Classic Rock Magazine (2021, March) ブライアンのインタビュー訳

オリジナル訳公開:2021年2月17日

パンデミックがなかったとしても、ブライアン・メイは起伏のある2020年を過ごした。5月上旬、彼は「熱狂的なガーデニング」の際に、お尻の筋肉を断裂して苦しんだ。彼が話す様子は、実際よりもはるかに面白いように聞こえる。数日後、彼は「小さな」心臓発作を起こし、その後には胃出血を患い、死に近づいた。「決して退屈な時ではなかったね」と彼は顔をしかめて言う。ありがたいことに、彼は完全に回復するところだ。「長い登りだった。まだ頂上には到達してないけど、かなり良いよ」。
メイは、Queenという大混乱の中では常に落ち着きと合理性の中心にいるように思われている。批判者たちから彼のバンドを守る際には、刺々しくなって保護的にもなるが。今日、彼のスタジオの日当たりの良い部屋からZoomを介して話すと、ロジャー・テイラーが表現するところの「本質的にまともな人」は、温かく魅力的だ。たとえ彼が、Queenの50周年を記念して万国旗をぶら下げるようなことに対する、彼のバンドメイトの頑固な嫌悪感を共有していたとしても。

Q:パンデミックとあなた自身の健康上の問題があったとしても、あなたとロジャーはQueenの50周年の目立つお祝いを避けましたね。それはなぜですか?
B:僕たちのチームと、50周年を祝おうといあらゆるアイディアについて考えた。それから、僕たちはむしろ、ここにいて、生きていて、プレイできることをただ祝いたいと思ったんだ。
ロジャーと僕は今や、トップレベルの気難し屋だ。何かあったら、僕たちはすぐに「本当にそれをやって僕たちの時間を費やしたいのか? どれだけの時間が残されていて、人生のこの時に本当にやりたいことなのか? 価値があるのか?」ってなる。そして、常に戻ってくる答えは、音楽をプレイするってことだ。

Q:ロジャーは、あなたに出会った時から既に、あなたはビッグバンドになりたがっていた、と言っています。それも覚えていますか?
B:そうだね。僕たちは大きな、大きな夢を持っていた。僕たちはすべてを望んでいたし(We wanted it all)、僕たちには必要なものが持てていると感じていた。おかしな話だね、もし僕とロジャーだけだったら、僕たちは絶対一緒にやっていけなかっただろうから。僕たちはいくつかの点ではすごく意見が一致するのに、他はあらゆる部分で正反対なんだ。僕たちが反対の意見を持っていないテーマは一つもない。僕たちには調整役になる人が必要だった。そして不思議なことに、フレディがそれだったんだ。
皆が、フレディが軽薄に浮ついた男だったと思っているけど、彼は非常に実際的だった。もし彼が、僕とロジャーの間で起きている状況を見たら、彼はどうにかする方法、妥協を見つけてくれるだろう。フレディの偉大なキャッチフレーズの一つは「我々は妥協しない」だった。だけどバンドの中では妥協があった。だからこそ、僕たちは生き残ったんだ。

Q:2人が衝突するきっかけは?
B:ああ、もう何もかも。音符1つ、テンポ1つ、コーヒー1杯、窓……

Q:ですが、今のお2人はお互いにとても好き合っているようです。何が変わったのでしょうか?
B:兄弟のようなものなんだ。常に愛情があったけれど、競争心もたくさんあった。最近では、僕たちは良いものを実現している。すべてを見てきて、お互いを大切にしているから。離れているよりも一緒にいる方がパワフルになれることを僕たちは理解している。僕たちが心からエネルギーを合わせれば、魔法が起こるんだ。

Q:Queenの初期の頃はどんな感じでしたか? 楽しかったのか、それともハードワークだったのか。
B:間違いなく楽しかったよ。自分たちで機材を運び入れ、僕たちのローディー、親愛なるジョン・ハリスと一緒にセッティングした。ギグの前にサービスするために、自分たちでポップコーンを作った。そういったことすべてが、ギグの準備の一部だった。それから、マネージャーやレコードレーベルのお偉方をギグに招待する。もちろん、彼らは絶対に現れなかったけどね。

Q:実際に自分たちがやっていることに興味のない観客に対して、プレイしたことがありますか?
B:しょっちゅうね。よく知られた話があるんだ。Ball’s Park Collegeと呼ばれる場所でプレイした。そこのダンスパーティーでプレイする契約を取り付けたわけだ。何百人かの若い子たちがいた。僕たちは前半をプレイしたけど、彼らは、なぜやつらはStairway To Heaven やParanoidをやらないんだ、とか思いながら僕らを見ているようだった。
休憩の間に、娯楽協会の秘書が入ってきて、僕たちに話しかける。彼女はこう言うんだ。「ありがとう、みんな。本当に、本当に素晴らしいわ。でも、リクエストがあるの」。僕たちは答えた。「ああもちろん、リクエストは何でしょう?」「後半は、あなたたちの代わりにディスコがいいらしいの」。それで僕たちは言ったんだ。「ギャラを下さい……さようなら」。

Q:初期の頃に、Genesisが彼らのドラマーにと、ロジャーの周囲を嗅ぎまわっていました。誰かがあなたを引き抜こうとしたことはありますか?
B:Sparksが僕にアプローチしてきた。彼らがThis Town Ain't Big Enough For The Both Of Usで大ヒットした後で、僕たちはちょうどKiller Queenを出したところだった。2人の兄弟(RonとRussell Mael)が僕のフラットの周りにやって来た。彼らは言った。「なあ、ブライアン。Queenはどうにもならない、君らにはこれ以上のヒットはないだろう。でも俺らは世界を征服するつもりだ」って。それで僕は、「ありがとう、でも遠慮するよ、僕は大丈夫だと思うから」って返した。

Q:クイーンへの信頼が不足したことは一度もない、と言っても過言ではありませんか?
B:ないと思うよ。僕たち自身のユニークな才能に、非常識なほどの自信と早熟な信念を抱いていたんだ。

Q:Queen IIのMarch Of The Black Queenには、Bohemian Rhapsodyの種子が聞こえます。そう言って良いでしょうか?
B:そのとおりだね。My Fairy King(Queenの名前を冠したデビューアルバムから)までさかのぼって、色々な曲がある。フレディの頭の中には最初からこうした小さなミニオペラがあって、彼はそういうものをお父さんの仕事用のメモ用紙に書き留めていたよ。皆が「Bohemian Rhapsodyの素材を聴いてショックを受けたか?」と言う。ノーだ。フレディはすでに最初からそれをやっていたからね。

Q:Bohemian Rhapsodyは古典的な作品として賞賛されています。しかし、あなた自身のオペラ大作The Prophet’s Songは、同じA Night At The Operaの中にあって、影に隠れてしまいましたね。
B: そう、あなたはそこに神経を尖らせるんだね。The Prophet’s SongがBohemian Rhapsodyのように世間に知られたらいいなとは思ったけれど、そうはならなかった。僕の曲は、僕が見た夢に対する明確な反応だった。とても具体的な夢でね。僕は頭の中でこの奇妙な預言者を見たし、あのリフが聞こえてきたんだ。
僕にとって苦闘の連続だった。ロックフィールド(スタジオ)にいて、フレディが自信を持ってピアノを叩き創り出すものを聴いていたのを覚えている。でも、僕はあまり自信がなかった。リフを頭の中で形にするのに苦労していたし、曲が自分の手の届かないところにあるようで髪の毛をかきむしっていた。でも、前に進むために必要なことだと強く感じていたんだ。僕はいつでも嘆きの亡霊だったと思うんだ。そうだよね?

Q:Queenのメンバーでいることは、ある時点では、あなたにとって大きな負担のようでした。あなたは実際に楽しめていたのでしょうか?
B:難しいものだよ。グループのアイデンティティの範囲の中で、常に自分のアイデンティティのある作品を創り出すのに苦労しているんだから。もしそういう状況にあって、あなた自身の声が聞こえないように感じるなら、それはすごくネガティブなことだ。人を意地悪で独断的で頑固で怒りっぽくさせてしまう。僕たちは皆、いろいろな場面でそう感じた。僕はロジャーがそう感じていたことを知っている。ジョンもそうだった。フレディは……わからないな。フレディはいつでも楽観的(a cup-half-full)な人だった。本当に、とことん楽観的(a cup-compoletely-full)な人だったよ。
だけど僕たちは皆が、様々なアルバムセッションの様々なポイントで、バンドから離れた。ミュンヘンで、The Gameをやっていた時のことを覚えている。僕はイングリッシュガーデンの周りを歩いて、考えていた。「これで終わりだ。僕は二度とこれをやるつもりはない」。それからまたそこに戻って、手袋をはめ直すわけだ。

Q:当時、嗅覚が敏感な批評家たちは、あらゆるハードロックバンドを厳しい状況に追いやりました。しかし、Queenは他のバンドに比べてより直接的にそれを受け止めているように見えました。なぜそうだったのでしょうか?
B:音楽のマスコミ界隈には、僕たちがゴミだと言っている人が本当にたくさんいた。だから、確かに辛かった。僕たちが乗り越えられたのはお互いのおかげだよ。僕たちは、マスコミができるよりもはるかに、お互いにもっとひどく残酷になれる能力を持っていた。だから、僕たちはお互いを支え合い、とても強いファミリーになることで乗り切った。

Q:批判の多くはフレディに個人的に向けられたものでした。当時は、最近では書けないようなことを書いてもいました。ホモフォビアの要素はありましたか?
B:それは興味深い考えだね。僕はそれについては考えたことがないと言うよ。人々はフレディがゲイであることを知らなかった。僕たちも知らなかった。それに最初は、フレディも知っていたとは思わない。だけど彼はそうだった。表面上は、すごく軽薄で、華やかで、人生を踊り明かすような人だった。そしてもちろん、それは人となりすべてを表すものではなくて、彼が身に着けていたマントだった。けれど人々は、それを腹立たしいもの、傲慢なものだと思っていた。

Q:バンドの中で一番仲が良かったのは誰ですか?
B:フレディかな。

Q:フレディ・マーキュリーのイメージは、近寄りがたい存在というものでした。
B: 彼のイメージは近寄りがたいものだっただろうけど、実際にはとても思いやりのある人だったよ。何につけても不真面目だというような印象を与えていたけれど、彼はいつも驚かされる存在だ。何か議論をしていると、彼は数日たってから戻って来てこう言う。「考えていたんだけれど……」って。そして彼は、僕たちが話していたことをさらに発展させて、結論にまで持っていく。彼は外交官だね。

Q:あなたはかつて、Queenにいることがあなたを「めちゃくちゃにした」と言いました。どういう意味でしょうか。
B:簡単な生活ではないんだ。甘やかされたポップスターのように聞こえるかもしれないけど、それぞれのストレスがある。自分自身を公衆にさらしていて、馬鹿にされるリスクにずっとさらされて、バンドの他のメンバーや周りの組織とあらゆるバトルを戦っていて、休む時間が本当にない。流されて、学校時代の友人や家族の近くにいられない。世界の反対側のホテルの部屋にいるんだ。この奇妙な泡の中に住んでいる。それに適応するのは簡単ではないし、一度適応してしまったら、それを解除することはできない。それが人を台無しにしてしまうんだ。

Q:その対極にあるのは、あなたがプレイに費やした時間のはずですね。Queenが全速力で飛んでいたとき、ステージに立ってどう感じていましたか?
B:地球上ではかなり最高の気分だよ。ミュージシャンとして夢に見るようなものだけど、現実は夢より何千倍も良いものなんだ。何らかの音を出したりジェスチャーをして、そうやってつながることができるっていう感覚は、信じられないほどすごいものなんだよ。

Q:Queenは、Spinal Tapな時のあるバンドとしては気品がありすぎるように見えましたが、あなた方にもそういうことはありましたか?
(※Spinal Tapはコメディ映画のフェイクバンド、Wikiによると「イギリスで最も騒がしいバンドの1つ」…馬鹿げた騒ぎがあったか、みたいな意味かな?)
B: ああ、そうだね。最高の瞬間の一つはオランダだった。王冠のようで宇宙船みたいにステージから上がっていく素晴らしいリグがあった。We Will Rock Youをやる時には、フレディが一方の側、僕は反対側にいるんだ。でもその夜、巻き上げ機の配線が間違っていて、片側が傾いてしまった。全体が上がっていって、大騒ぎになって、完全な失敗というわけ。ただ笑うしかないよね。

Q:フレディの晩年についてのお気に入りの思い出は何ですか?
B:僕たちはモントルーで素晴らしい時間を過ごした。詮索好きな目から離れていたからね。僕たちはその頃は、まさに本当の家族だった。他の誰も中に入れなかった。僕たちは、誰にもフレディの気持ちを患わせたくなかった。フレディの最後の時間に……その時点で、彼の最後の時間かどうかは確信が持てなかったけれど。信じないという気持ちがあったからね。目の前に証拠を突き付けられても、彼が逝ってしまうとは信じていなかった。ただ、素晴らしい時間だったんだ。この最後の数年間は、僕たちはそれまで以上にお互いに支え合っていた。

Q:あなたはまだ彼と話していますか?
B:彼はまさに存在しているよ。誰かが質問をしてきて、何と答えたらいいかわからない時は、「フレッドは何て言うだろう?」って考える。それで、実際に彼が何て言うかわかるんだ。確かに彼はかなり予測不可能だったけど、頭脳がどう働くかはわかっていたよ。

Q:もし彼がまだここにいたら、Queenはまだ存在すると思いますか?
B:ああ、間違いなくそうだね。輝かしかった頃でも僕たちは地球の四隅をさ迷っていたけれど、僕たちはいつもマザーシップ(The Mothership)に戻ってきた。マザーシップは今でも健在で、僕たちは皆プレイするために一緒になって戻ってくるだろう。僕はそう確信している。それに、フレディは今でもショーの一部だよ。

Q:Queen+ポール・ロジャースをやりましたが、予想されていたほどにはうまくいきませんでした。アダム・ランバートとも、同じようになるのではないかと心配しませんでしたか?
B:皆が、Queenの後、僕たちは立ち止まってどこかへ行き何か他のことをすべきだと言ってきた。僕は考えた。「いや、そうは思わない。僕はQueenを構築する一部だった、それなら僕は続ける権利がある」とね。プレイする必要があるか? もちろん、そうすべきだよ。それが僕たちの血の中に流れているんだから。こういう質問を受ける。「フレディの言葉の一部をアダム・ランバートに解釈させるような大胆さを、どうやって可能にしてるんだ?」と。まあね、僕たちはできるんだ、僕たちがやるから。僕たちはそれをやるんだ、僕たちにはできることだから。そしてアダムは曲を解釈し、でもフレディを模倣したりしない。それが曲を生かし続けるんだ。

Q:ロジャーは、あなた方が数年前にアダムと新しい曲をレコーディングしようとしたと言っていました。
B:ある友人からもらった曲をアレンジしようとしたものだった。素晴らしい曲になりそうではあったけど、完成させられなかったんだ。

Q:胸に手を当てて正直に、あなたは新しいQueenとアダム・ランバートのスタジオアルバムを考えたことはありますか?
B:わからないよ。それが正直な答えだ。本当に、本当に知らない。何の異論もないと思うけど、今のところ実現していないものだよ。

Q:過去50年間、そしてこれまでの人生を振り返ってみると、時には驚くようなことがありますか?
B:いつだってそうだよ。僕は今でも部屋に入っていくときに、誰も僕が誰であるかを知らないだろうから、自分自身を証明しなければいけないと感じる傾向がある。そういったことは消えないんだ。僕は目を覚ますと、こう思う。「神様、本当にすべて起こったことなんですか?」って。

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