ケルトの暦から~暦がない時代、人間はどのように暮らしていたのかな?という疑問
『ケルトの植物』という本を読んでいます。途中にケルトの暦の話が出てきます。紀元後1世紀ぐらいにドルイド暦の断片が発見されたものの、ドルイドは文書で知恵を残していないので、真相はよくわからないわけです。
暦とは時間を分割するもの。ドルイドの暦には多くの分割法があったそうです。
現代の私たちは世界共通でグレゴリを暦を使っているけれど、それで統制されているのって、当たり前になってしまっていますが、よいのだろうか?と考え直してみる必要もあったりします。それもあり、これもあり、あれもあり、というのも良いのでは。
ケルトの暦の中では、その時の流れの中に神々がどのように登場してくるのか?どのように変容していくのか?を感じ取ることが、どうも重要なよう。ふと足元を見た時に、日本では、それがどのようになっているのかが気になりはじめます。
こういうのもなんなのだけれど、わたくし、日本が嫌いなので、なんでも外に目が行きがちな人なのです。そのわたくしが、最近、少しばかり小さな問いから、日本に目が向くことがしばしばあります。
で、日本の暦について調べてみたら、国立国会図書館がつくっている『日本の暦』というウェブサイトを見つけました。ありがたや。それによれば、
とあります。じゃあ、604年の前はなかったわけか。おそらく、各地に農事暦のようなものはあったのではないかと推測するが…
ウィキペディア先生によれば、
ということは、安土桃山時代あたりからなの?その前は、自然の移ろいを見て農作業をしていたのだろうか?
自分で今日は何月何日でどうこう、ってのが解らないと、誰か知っている人の言うことを聞くしかなくなるよね。暦は人を支配する道具にもなりうるのか。
ケルトではドルイドたちが暦を掌握していたので、神官であり政治家でもあり様々なことを司っていたドルイドが民衆を導いていたことになるんでしょうね。
そうなるとさ、やっぱり、自分の感覚を土台として時を知るしか術はないので、ケルトなんかは、その季節を支配する神々がいて、それが季節によって入れ替わる(または、変容していく)と捉えています。
で、日本人って、そういう感じあるのかな?というのが、前置き長かったけれども、私の疑問。
新しい年を迎える時に「歳神さまを迎えるために大掃除して、あれしてこれして」っていうのはやりますよね。春分、秋分、夏至、冬至、それぞれの行事を思い出してみると、春分と秋分はお彼岸でお墓参り、冬至は柚子湯に入って冬至カボチャ食べる、夏至は??なんかあったっけ?
というのが私の日本のカルチャーに対しての理解レベルです。
今住んでいるところは春夏秋冬がはっきりしていて自然の動きがダイレクトにわかる暮しをしています。もうここに住んで12年目。季節ごとに何かするパターンはできて来たけれど。なので、こんなのをつくったことがあります。
季節感が全国のニュースでやるようなのと違うからね。1月7日に七草粥食べようと思っても、雪に埋もれて七草も採取できないし。フキノトウだって、2月で出ているところがあるようですが、雪が解ける4月ぐらいですし。
こうして四季を感じていくと、古代のケルト人たちと同じように、神々が役割をバトンタッチするとか、変容していくというのは、ちょっとわかるかもしれない。
先日、白鳥が鳴きながら上空を飛んでいたのだけれど、3月ぐらいになると、白鳥が編隊を組んで、シベリア方面に帰るのを見ます。上空を通るので、それはそれは感動的です。実家がある市街地の川にも白鳥が来るので、子どもの頃見ていたかもしれないけれど、大自然の中で見るととても感慨深いものがあります。白鳥が帰るのを見ると、冬の使者が帰るなと思います。やってくるのは11月末ぐらいだったかな?
白鳥が帰ると、あとはウグイスが鳴くのを待つばかり。雪があっても3月下旬になると鳴きはじめますからね。
それはそうと、個人的に自然界から感じることはあるのだけれど、日本のカルチャーとして、ケルトのように神々の変容と捉える感じはあったのだろうか?違うとしたら、どんな感じで捉えていたのだろうか?というのが、今の疑問です。形骸化している風習じゃなくて、根源的なところ、調べてみたい欲求。
時間の感覚は自分が生きる土台でもあるので、それにたいして自覚的なことは、非常に重要だと思います。当たり前にあるもの、やっていることについて、問いを持ってみること、とても重要。
時間はある意味、薬であるともいえるわけで。
Time is Medicine
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