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許しと癒し

世界中のすべての問題は人権の問題だと思っている、という話は、以前の投稿でしたことがあります。その最たるものが戦争。

人は生まれながらに持っている人としての権利があり、それを守るために人権にまつわる方があります。紛争時には、それを守るための道徳的なこととして人道法があります。そもそも戦争すんなよ、って感じですが。

第2次世界大戦後、その反省として国や民族のために闘うために人権を無視してはいけないということで、世界人権宣言がなされたそうです。

戦後、人権についてはだんだんと法制化されてきて、それに基づいて人々が行動するようになってきたのは近年であり、日本は人権意識遅れてると思っていたけれど、世界的に見ても人権というものを意識化してきたのは、まだまだ浅い歴史のようです。

そんな人類が、「私たちが生きるために必ずや守るべきは人権なのである」ということを明確に意識する時に来ているのではないかと、ずっとハマスとイスラエル戦争を見ていて感じています。

日本でも、多くの人権問題は起きているし、自分の身近なところでも、そして自分にとっても人権の問題には、常にさらされていることに自覚的でありたいと思います。

人権に対して鈍感であれば、自分が人権侵害をしていても、されていても気づくことがないのだから。

この戦争に関しても、情報は中立的にとりたいと思い1か月、見てきたけれど、どちらが正義かというのは、歴史を知れば知るほどわからなくなってきます。しかし、私たちはそこに陥る必要はなく、シンプルに、人を殺すのはやめろ!と言いづつければよいのではないかと思います。

どちらの国につく、とか応援する(スポーツ観戦じゃないので)ということではなく、どちらのサイドにもつかないが、自分は人道的立場に立つということを言えばよいのです。

なので、今やることは1択であり、即時停戦。

しかし、パレスチナとイスラエルの問題の背後にある長い長い歴史を考えれば、それで根本解決にはなりません。誰かが言っていたけど、もう恨みつらみが澱のようにたまっていて、政治的な話でもどうにもならないと。私もそれを感じます。

くしくも、2千年前にイエス・キリストが生きていた地において、今、こうしたことが起きています。神は愛を人類に教えるためにキリストを派遣したのではなかろうかと思うのだけれど、その地でこういうことが起きている。
かの地には、地球や宇宙の歴史にもかかわる形で、いろいろなことがあるようですが、それを語ってもしょうがない。

大事なのは、時を超えたところで起きていること、この時空間内で起きてきたこと、すべてをひっくるめて、キーワードは「許しと癒し」ではないかと感じています。

つまり、今までいろいろあったけど、今に生きようということです。過去を許し、その傷を癒し、今から始めようということ。
許しと癒しは、それまでつくられてきた罪をチャラにするということではなく、今ここにあるままの自分たちを自覚する助けになることではないかと思います。

この戦争の背後にある、何を許して、何を癒したらいいのかなどを、すぐに考える必要はなく、まずやるべきことは、自分の中で自分が許していない自分を許すこと、そして統合していくこと。
もし、多くの人の中でそれができた時、外的世界の葛藤も調和へ向かうのではないかと思います。

しかし、それは一番難しいことなのかもしれず、だから人類はいつまでも戦争をしているのかもしれない。

世界の多くの目が、この戦争に集まっている今、ひとりひとりが人類の中のひとりとして、何かを担っている感覚がある。何を担っているかはわからなくても、それを意識することだけでも大事なのではないかと思います。

日々行うことは、粛々と自分の暮らしの中に調和をもたらすこと。そしてできるならば、その調和の感覚を、不調和が起きているところへと届けられたら、という思いです。

Photo by Gayatri Malhotra, unsplash
https://unsplash.com/ja/@gmalhotra


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