なろうとしている自分に到達するためのちから
薔薇の奥深くには、開花するずっと前に自分が薔薇になるのだというイメージが隠れている。最初は無自覚にぼんやりと、自分の中に何かあることだけを感じる。
そして薔薇になるために必要なプロセスを経るうちに、明確に自分は薔薇になるのだということを自覚的に持てるようになる。
それは人間も同様だ。
誰もの中の奥深くに、自分自身の青写真を持っている。そして、なろうとしている自分に到達するための力が、消えることのない炎のように存在している。
しかし、充分に「それになる」ためには、その前に準備期間が必要である。植物が葉を茂らせ光合成をし、茎をのばして太陽の方向に成長していくように、内的衝動と太陽の導きのバランスの中で、少しづつ前進していく。
相応の準備ができる前は、内的ビジョンを明らかにすることがはばかられ自分を制約する自分を感じる。しかし、それは捨ててはいけない原石のようなものであり、消してはいけない炎のようなものである。
そして、いよいよ準備が整い、時を得ると、表明できなかった自分の本当のビジョン、そして本当の姿を表現していこうという意志が発動し、つぼみは静かに花を開かせていく。
早く咲こうとする必要もなく、自分の感覚に耳を澄ませて、この開花プロセスを丁寧にたどっていくことが、成長と学びの道なのだ。
薔薇は、そうした人間の成長プロセスにも寄り添ってくれている気がする。
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薔薇は形態原理がはっきりしており、着実に段階を追って変容していく。地のエレメントとかかわりが深いといわれているが、観察していると、その段階的に移行していくタイミングを知的にはかっているということを感じる。
そのような質が、人間の成長プロセスとして存在していることを、自分の内的体験を通して知らされたような気がしたので、現段階のメモとして言語化をしてみました。
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