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どうして僕が子どもたちとの旅をつくるのか


韓国への子どもぼうけん自転車旅
【MOUNTAIN BIKE JOURNEY KOREA】
今晩から募集を開始しますが、
人が集まるかページを公開してから不安しかありません。

不安は減らすことはできるけれども、不安はなくならない。
なぜならやったことないことをやるから当たりまえだのクラッカー。


そこには自分の知らない世界があって、けれどその世界を見てみたいから、
そこに行ってみたいからなにかを企画する。

そしてその世界に共感してくださった誰かがそれを支えてくださったり、
そこに参加してみたいと思ってくださるから、
そのなにかに向かうことができる。


自分の旅を、ひとり旅を生業(なりわい)にしたいと思っていた頃には、
正直分からなかった思いがあるのです。

それは自分が経験を積んで、何者かになって、
それが誰かのすごい!につながって必要とされてごはんを食べられるようになると思ってたんだけれど、それは自分がなしえたチカラでもだけではないということ。
そこにはほんとに多くの方々の支えや気持ちや、そしてもちろん行動があって成り立っているということ。そのことに気づくまでにほんまにたくさん失礼をしてきたし、いまもたぶんし続けながらほんまに生かされています。


なんだか脱線してしまったとみせかけてここから話をつなげて「おおぉ!」となるようにしたいので話をつなげていくと、旅もまったくそうなのです。
世界一周したからすごい!わけでもなんでもなくて、それを続けることができるのは、日本で待ってくれている人がいて、現地で助けてくれた地元の人たちがいて、だからこそできるのです。

成功体験と呼ばれるものにそれはあるのだろうか。
誰かを道筋をつけて導いていって成功した体験を得たときに、
その人はそのことに気づくことができるのだろうか。
そこには僕は疑問を感じます。

その誰かと繋がる感覚。助けられる感覚。
そうしてゴールできたときに、浮かぶ顔がたくさんあるということ。
そこまできてはじめて、それはその人の心に刻まれるような出来事になると僕は信じています。

そのためには困ることが必要不可欠だと思います。
ドキドキ、ソワソワすることが不可欠だと思います。
自分に足りないものに気づくことが不可欠だと思います。
そのことをすることで起きるリスクを実感することが不可欠だと思います。

自分ができるようになったことを実感することではなく、
自分に足りないことを実感できることが先に来るべきだと僕は考えます。


だから僕は子どもたちとは「旅行」をしません。
旅行とはつまり「行程を旅する」ことであり、僕が企画する旅が親御さんや本人、そしてまわりの不安を少しでも無くすために「行程、やることがあらかじめ決まっていること」になってしまうことです。

リスクを減らすことは、旅を安全にすすめていくうえでは大事なことだけれど、それを考えるばかりにそこから得られる可能性をも切り落としてしまうことになるのです。


僕の旅ではたいてい子どもたちは困るところからスタートします。
それは僕があまり教えないからです。
旅のはじまりの子どもたちの多くがこういう発言をします。

「いま何時ですか?」
「今日はどこまで行くんですか?」
「昼ごはんは何を食べるんですか?」
「○○ちゃんが困っています。」

これはそのままその旅が自分ごとになっていない証明です。
子どもたちは自分たちで楽しい遊びをするときには、決してこんな質問はしてこないと思います。自分で考え、思い描き、そして勝手にやっています。困った人がいたら勝手に助けています。それが自分ごとであるということです。

もし僕たちオトナが彼らが自分の人生を歩んでいくためにサポートする存在であるならば、
彼らにとっての人生や世界を「自分ごと」としてとらえるための環境を作ってあげることが必要なことだとぼくは思っています。


「旅を終えた子どもたちはどう変わりましたか?」
「彼らは自分の人生に戻っていくと、またきっと元に戻ってしまうから西川さんが関わり続けることが必要なんじゃないですか?」とよく質問されます。
はっきり言ってそんなことは知ったことではありません。
たかだか10日や長くて1ヶ月をともにしただけで、彼らの目に見える変化を
「人が変わった」などと言えるはずがない。

もちろん彼らの言動が変わっていくことは日々見えます。
けれども、彼らが自分の人生に戻ったときにすぐに変わらなかったとしても、
種として彼らのなかに息づくものを生み出すことに、ぼくは興味があるのです。
それが嫌だったら彼らがオトナになってこの世からいなくなるときまでずっとひっついて生きていく保護者がいればいいと思います。


そして彼らと関わり続けることについて。
ぼくは自分の旅を経験した子どもたちに自分からメッセージを送ったりすることはあまりありません。僕の旅を終えたあとは、彼らの人生だと思うからです。

僕は彼らにとっての跳び箱の踏み台みたいでありたいのです。彼らが自分の人生に向かって飛び立つときの踏み台に自分がなればいいなと思っています。だから自分の踏み台を踏んでジャンプしたあとの彼らのことは願うだけです。

それに僕は限られた時間のなかで自分にできるすべてのことを彼らに対してしてあげたいと思います。それは手取り足取り教えていくことではなく、自分の行動をもって見せるということです。


そんなこんなですっかり真面目っぽくなってしまったのが恥ずかしいのですが、これが僕が子どもたちの旅に対して考えていることです。成功体験を作りにいくのではない、ニーズに応えるのではないから自分で企画しているのに本当に不安になります。ドキドキします。

けれどもそのドキドキや不安をともにかかえながら、旅を終えたときに、たくさんの人の顔や自分に刻まれた感情を一緒に感じられる仲間をつくりたくて僕は子どもたちと旅をするのです。

MOUNTAIN BIKE JOURNEY KOREA
今晩から募集がスタートします。この春、僕と一緒に旅をしてみませんか?

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旅の詳細・応募ページはこちらから
https://www.earthride.jp/about-1/mountainbikejourney2020/

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