見出し画像

自分の奥深くにあるものと繋がっているものを前にしたら、理屈や理由は言葉でしかない。

画像1

僕が育ったお家がなくなります。
それはおじいさんが一生懸命に建てた家だからと、僕のおとんはいつも言っていました。だから、できることなら直したいとは思っている、と。

家は直すことにも、壊すことにもお金が必要。
誰かに貸すことだってできる。
けれど、もし両親が旅立つときがきたとしたら、その家は僕たち子どもが尻ぬぐいをしないといけません。そしていつかまた壊さないといけないタイミングが来る。

家族で話しあって了解し合ったことは。
「おとんが後悔のないように、納得して決めればいい。」
ということでした。彼が生まれ、育ってきた家なのだから。

そのときは、これで夏くらいまではとりあえず自分のこれからのことについて動いていけるかな、ぐらいに思っていたんです。けれど意外と早くこのお話が次の章に進むタイミングのほうがやってきました。僕の想像する展開よりもだいぶ早く。

最近はみんなそうなのでしょうか。家族のLINEグループというものがあって、
今晩はみんなでごはんを食べましょう。
昌徳に荷物が届いています。
次帰ってくるのはいつですか?
とかいうふうに連絡が届きます。だから前のように要件があったらとりあえず家に行って話をするというようなことは少なくなりました。

どこかに出かけていたときだったかな。
その家族のLINEグループにおとんからのメッセージがはいりました。

「6月22日から住宅の解体始めます。」

ただその1行だけでした。いかにもおとんらしいというか。
それを読んだあと家に向かって車を運転しながら、頭のなかがぐるぐるとしはじめたのを覚えています。僕が住んでいて今回取り壊すことになったばあちゃんの家には、ばあちゃんやじいちゃん、おとんのきょうだいの思い出のものたち、仏壇があるほかは、僕の荷物ばかり。
さあてどうやってそれらをまとめていこうか、という感じでぐるぐるしていたのだと思います。

コロナのあと思いたって、これも空き家になっていた僕のおじさんが住んでいた平屋に僕のコーヒーの焙煎機や道具はすでに移動させてあって、そちらで寝泊りはするようになっていたんですけど、そのとき思いつきでそうしていたことも、もしかしたら自分のなかでは気持ちがこの流れに自然にひきつけられていたのかもしれないし、ただの偶然かもしれません。けれどもそのとき全体でいったら10分の1ぐらいなのだけれど、生活の拠点を移動していてよかったなと思います。すんなりと引越しをはじめることができました。

それからはもうとにかくモノと向き合う日々でした。
必要な方に、そして自分が思い浮かべるかたがたに「届けるフリーコーヒー」を焙煎し、袋詰めし、手紙を書いて発送しながら、片付けもする日々がはじまりました。粗大ゴミの日(僕らの住んでいるところでは、月に2回あって、その日に所定の場所に粗大ゴミを出すことができます)に合わせて、もう使わない大きな家具、家電、そして僕の思い出の品々。

そのほかには自分がかつて着ていた服たち。学生時代につかっていたもの。そんなものもたくさんありました。高校のときのバッグ、野球部のユニフォーム、子どものころ使っていたグローブ。衣装ケースにたくさんとってあったのですが、それらもひとつひとつ、ありがとうと声をかけては燃えるゴミの袋にいれていきました。なかには、これはもったいないかなぁと思うものもあったし、最近Facebookのタイムラインでも「断捨離するものをメルカリで売ったら結構なお小遣いになりました」という投稿も見かけるので、売ったらいいのかなと思うものもあったのだけれど、いまの自分の優先順位としてはとにかく次の生活に向かうことが大切だと割り切ってどんどん捨てていきました。

まえに洋服をかけて撮影していたマネキン、とっても気に入って履いていたスニーカーたち。それからずいぶんと使いこんだ旅の装備や自転車のパーツ。こんなことにならなかったら「もったいない」「またいつか」と思ってしまいこんでいたはずのものたちを処分するときに自分で問いかけるのは「この先これをほんとに使うときが来るのかどうか」でした。

そうしてどんどん減らしていって。ついには僕がはじめて自転車で日本1周したあとに徳島でやった写真展のためにプリントした写真たちにもさようならしました。逆に捨てられなかったのは、旅の日記や、講演や授業で関わった子どもたちからの感想文、誰かからいただいた手紙でした。

それらは、僕が見せていない僕をあらわしているようで。だからいつか僕がいなくなったときに、家族が知らない部分を見てもらえるような気がして、それらは分別して衣装ケースにおさめました。

おじさんの家の倉庫にあった家族のものを移動させて、必要ないものは処分して、そうしてなんとかおさめられるかなぁと思っていた僕の荷物は、その倉庫の3分の2ほどを埋めて片づきました。ほんとに気持ちの整理をして思い切るとここまでモノって減らせるのか、と旅人らしくもない考えかもしれないけれど自分でやってみて感じたことがそれです。

そうしてあとばあちゃんの家に残っているのは、僕がこれはもうほんとに理由とか理屈とか、そりゃ言葉にしようと思えばいくらでもできるんですけど、どうやってもその自分のほんとうのところには届かない何かとつながっている、僕が集めた服たちばかりになったのです。けれどそれは恐らく僕の一生を使ってでもすべて着ることができない量でした。

イメージがつかないかもしれないので、書いてみると。たぶん6畳ワンルームのアパートだったら床からびっちり天井までその部屋の全てが僕の服で埋まると思います。数で言うとズボンだけで300本はあると思います。秋冬もののジャケットだけで200着はあったと思います。そのほとんどが1960年代とか、それ以前や、もしくは1970年代ぐらいまでの【ビンテージ】と呼ばれる洋服たちでした。あとはその時代のものづくりをベースにしたブランドの洋服たちです。

これはもう自分の人生というか、僕という存在のなかのほうのものとくっついてしまっているので、この服をどうしようかというのは僕の中でも人生の一大事と呼べるものなのです。さて、これほど書くことがあるかと思うほどにまた書いてしまったので、肝心の洋服たちの運命はまた次回に。

画像2

画像3

画像4

画像5

画像6

画像7

画像8

画像9

ここから先は

0字
月に4回程度配信。お金を払うのも、タダで読むのも自由です。

自分が自分でいられること。

¥500 / 月 初月無料

旅の日々で自分の心に浮かぶ思いや気づきを読み物として。僕の旅の生き方のなかで、読んでくださる方々の心に心地よい余白が生まれればいいなという…

自分の人生を実験台にして生きているので、いただいたお金はさらなる人生の実験に使わせていただきます!