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秋頃からトラブル続きで気持ちが上向きにならず。その上、最近元々好きな書き物について、苦手意識が芽生えたこともありSNSは休止。でも新年は待ってもくれず。

と言いつつも、「ところで、絶好調の頃の私ってどんなだったけな…」と頭を悩ませられる位に、余裕のある停滞期生活を送っている近頃。

どんな時も、どんな状態でも「私は私である」と #セルフラブ 精神を発揮して記録、noteを書いてみている。なんと約1年ぶり。


停滞期と言えども

私の人生の落ち込み期を振り返ってみると、新しい環境下&長い通学時間に慣れるまでの期間に大失恋をした≪大1生の停滞期≫、肩の力の抜き方を習得できなかった≪新社会人の停滞期≫、良いと信じて一生懸命になりすぎてしまった≪社畜セロトニン皆無な停滞期≫、、、

さあ、今回の停滞期を何と名付けようか。しかしここで冷静な私は過去の停滞期と比べ、今回の停滞期の軽やかさに気付く。心の重さ、身体のだるさ、コミュニケーション、いずれもずっとマシだと感じるのである。通りで余裕がある訳だ。

原因は先でも触れたがその #セルフラブ 精神なのである。自己肯定感の高さは言うまでもない。これは、自己への認識を変えた2023年の日々の賜物である。

それは偶然であり、自覚のしようがないもの

辛いことを辛いと言った方がいい。自分が弱き人間であると知った方がいい。

こんな風に思える2023年、私は人生で、自分の弱さを最も見せた一年だった。きっかけがあり、過去の出来事や今抱えている悩み、自分自身を整理し伝える営みを行った。この営みは野球部の千本ノックかの如く休みがなく、隠すものはもうないと思うほどだった。

2022年ごろから、感情の認知が人より過敏であると気付き、HSS型HSP気質であると認め、自分自身が「そんなに強くはない」と考えていた。一方で、「まだ強い部分もある」とも考えていた。心身ともに元気である時、かなり高いレベルで日々を熟す≪シゴトノデキル≫私も存在するのである。そんな時周囲から褒められ、必要とされる。身の丈に合うかも確認せず、少し自意識過剰になり強くなった気持ちになる。

でも私はずっと弱いのである。本来強いときなどない。そうやって2023年はなんとなく考えていた弱さについて、確信をもった。振り返ってみれば大人になって一番泣いた一年でもあった。

それと同時に「私は私のせいで弱くなった訳ではない。全て偶然で弱くなった。」とも考えるようになった。2023年はアクティビズムとも正面から向き合った年だった。特に弱者を作り出すことで強者が存在する社会構造に、何度も抗議した。逃げることなくこの正義≪justice≫に向き合えたのは、同じ弱者としての、共鳴があちこちにあったからだ。私も彼ら、彼女らも仕方なく弱者になった者同士、その社会システムに怒っている。生まれた場所が違ければ、性別が違ければ、、、タラレバを繰り返し怒っている。

弱さを自覚するも、その弱さの理由も探るも個人の自由と感じていたが、実はそうではない。自責に依らない偶然によって弱い存在になって、今自覚している(私の場合)。

社会では相も変わらずマッチョな人が求められ目立つ。子どもの頃から「強くなること」「強さに正義があること」を教わったにも関わらず、ここに来て弱さに注視するようになった。こんな人きっと珍しいタイプなんだろう。本来は日々に忙殺され自覚できない、自覚のしようがないものにさせられているのだから。

不調は何味にアレンジできるのか

とにもかくにも、私は幸運なのである。先日、メンタルヘルスについて度々話し合える友人と「私たちメンタルの調子悪くなりがちgirlだけど、誰よりも気づいて、自分の人生を全うしているよね!!✨」と確認し合った。

正しくそうで、何事にも一歩手前で疑問を持ちモヤることが出来るのが、私の得意技。その結果自分自身を見直すだけでなく、同時にそうなり得る社会システムまで研究しアクションしているのであるから、井戸の中の蛙では全然ない。

話しを戻すが、とても心は絶好調とは言えない。だけどこの不調の味を楽しめるようになった&そんな環境が年々整ってきた。

2024年は3つだけ心に刻み、あまり大きなことは求めずに粛々と生活したい。「①ラディカルに、②楽しむ心で、③感謝を忘れずに」これらの順序は特に意味はない。と言いつつも結局何かし始めて自分の首を絞めることもあるだろう。「私は私なのだから」、読んでくれた方には当てはまらないこともあっただろう。でもこれでいい。

追記:サムネイルは2024年初日の出@逗子海岸。海側からではないのです。



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