非暴力の暴力性、存在の暴力


暴力は至る所において性懲りも無く生ずる

その暴力を無力化せしめんと非暴力を提起する

その非暴力は暴力に対する暴力になり得る

暴力にはもちろん暴力性があることは想像し易いが、非暴力にも暴力性があることは想像し難い

何をするでもしないでも存在そのものに暴力性は付与される

暴力性は受容側の認知によるものだからだろう

それを認知したことで変わることといえば

今のところ分かるのは生きづらさを感じるか否か

これを越えたところに面白さはあると信じたい

絶対なんて絶対ないという絶対、頑張らないことを頑張るという頑張り
といったパラドックス、矛盾は何に置いても当てはまる

仏教の不二の概念をインプットできれば解消されるのかな

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