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私とearthmanの「系」#0(前半) まお

こんにちは。earthmanの真央です。
クラウドファンディングも残り1日となりました。
今日は、虫が嫌いで人見知りだった私がなぜearthmanの活動を始めるに至ったか、
つまり私の人生を書きたいと思ったので、是非最後まで見てください。

生い立ち

▼裕福〜貧困を経験した幼少期

私は熊本県熊本市で生まれました。父は事業をしていて、母は専業主婦。
幼い頃まではロールスロイスの車で迎えが来たことがあるくらい、
裕福な家に生まれました。

でもある時から、急に家庭内の空気が変わっていきました。
父親が事業仲間に騙され、お金が無くなった。
そして鬱病を発症し、寝室から出てこない日々が始まりました。

父は元から破天荒で、飲みに行ってはひっくり返って帰宅するような人でしたが、
母は大黒柱として父を立てていましたし、
家族で出かけたり、仲は良かったように思います。
しかし、父が働けなくなってから状況は変わり、家の中の雰囲気も悪くなりました。

まだ幼かった頃の私は、その状況を
「お金がなくなったら仲が悪くなった。私の家は、“お金”で繋がっていたんだ」
と思ってしまうようになりました。
そして、お金がなくなり生活に困ってもお酒やタバコを辞められない父に対して
「私は父にとってお酒やタバコに負ける存在なんだ」
と思い込んでしまいました。

父の病状が改善することはなく、私が飲食店で発した何気ない一言に傷つき、
父が刃物を持って自死しようとしたこともありました。

姉達と姉の旦那さんが必死に止めてくれて無事でしたが、
私は布団にくるまって何も見ないように。そして誰に対してか分からない
「ごめんなさい」を繰り返しました。

幼少期時代は、思い出したくない記憶なのか、
思い出や感情をほとんど思い出せません。
(↑なので上の話の時系列は記憶が曖昧。)

▼拗らせ期①抱え込み

私は家族のムードメーカーで、
「真央は手がかからないから助かる」がお決まりのセリフだったので、
何も気にしてないよ。傷ついていないよ。とおとぼけ役をかって出て、
みんなの雰囲気を中和することで、自分の価値を示して
捨てられないように。と必死でした。

時は過ぎ、私は高校入学。
父と母は正式に離婚することとなり、マンションを売り払い、
母と姉と私は小さなアパートで暮らし始めました。
アパートでの暮らしは、ギスギスしたマンション暮らしよりはとても楽しかったです。
閉店前のスーパーに駆け込んで半額のパンを買ったり、
狭い家に友達や彼氏を呼んでパーティーしたり。

それでも、なぜか今まで押し殺してきた不安や生きることに対する違和感を感じ始め、
「本当は幼い頃に自分のことをもっと見て欲しかったんだよ。」
「ピエロみたいに振る舞っていたけど本当はずっと泣きたかった。」
そんな気持ちが押し寄せてきて、体調を崩したり不安になって過呼吸になることが増えました。

誰も本当の私の寂しさに気づいてくれない。
家族全員が私を失って心の底から後悔したら良い。
そんな気持ちから、家族がいる部屋の真横の窓から飛び降りてやりたい。
と思ってベランダの手すりに登ったこともありましたが、
勇気があるわけでもなく、飛び降りられませんでした。

インタビューに対して普通すぎる回答を返す私、笑笑

▼拗らせ期②求められたい

このまま家族の元にいては私はダメになってしまうと思い、
大阪の大学への進学を決めました。
大阪に出てきて、毎日遊びにバイトに忙しい日々を過ごしても、
寂しさは拭いきれず、お酒に走ったり、遊び回ったりしていました。

バイトでは、求められたら必死で応えるようになりました。
自分がどこに存在して良かったのか分からなかった私の中には、
「いつも必死に取り組んで役に立つ。=必要とされる」という方程式が成り立っていて、
「いつも誰よりも頑張ってる姿を見せて認められたい」という意識があり、
それで社会人になってから苦しむことになりました。

▼拗らせ期③人を見下す

パソナグループに就職し、働き始めた1〜2年ごろが最大にこじらせていました。笑
必要とされたい、認められたい一心で、朝早くに出社、夜遅くに退社を心がけ、
先輩や上司の前ではいい子ぶったり、そうかと思えば楯突いたり、
自分よりできないと勝手に決めつけた同期や後輩には偉そうぶり、
自分の仕事は誰にも渡さないと囲い、責任感で潰れるという、
本当にこじらせピークでいつも他人に対して不満を持っていました。笑

その時を一緒に過ごして見守ってくれた
心の寛大な上司や、先輩方や、同期や、後輩や、球ちゃんには感謝しきれないと同時に、申し訳ないの気持ちでいっぱいです。

▼変わるきっかけ

そんなこじらせ続けてきた私が変化した理由は、
「何でこんなに頑張ってるのに人に頼られない?」
「何で球ちゃんや周りの同期はいつも楽しそうにコミュニケーション取れるの?」
というシンプルな疑問でした笑

これから先長い人生、
自分みたいにいつもイライラして人に不満を持って生きるか?
それとも彼らのように誰と接しても楽しく、ワクワクの人生を送るか?

迷った先に選んだのは、「楽しくワクワクの人生でした。」

▼変換の年、みんなと私のギャップイヤー

そこからは、球ちゃんやコミュニケーションが上手い人が、
どういうふうに人と接しているかをひたすら観察して真似ていきました。

オープンポジションという制度で、環境を返させてもらい、
あえて人と接しまくる「人事・研修担当」に挑戦しました。

30名弱の新入社員に対して、週に2回農業研修を企画・実施しました。
「会社に入ってなんで農業なんてしなければいけないんだろう?」
という疑問を持って来る人たち。
そして疑問や文句、マイナスな発言も思いっきり投げてくる人達…笑

最初は、いつも通り舐められないように、自分が上に立っていなきゃ。
のクセが出て失敗していたけど、
もういつからか、「私だって人間だ!日々悩みながら作ってるんだー!でもみんなとこの時間と場を共有したいんだー!!」と良い意味で諦め始めました。

そこから、みんなが敵から仲間になりました。
あぁ、今まで私は“私のプライドのために“、
みんなに言葉を発していたんだ。だから伝わらない。
これからは、“みんなと一緒に楽しむために“ 言葉を発しよう。行動しよう。
そこに気づいた時、一気に色んな詰まりが流れました。

勿論一筋縄ではいかず…
責任を感じすぎて爆発したり、上下を付けたがったり、白黒つけたがる癖は
なかなか治らず、失敗しては球ちゃんの前で、チームの前で泣きました。
でも、自分を許せるようになり、同時にみんなのことを愛して信じられるようになり、
ひたすらトライアンドエラーを繰り返しました。

たくさん弱みを見せ合った仲間

▼みんな違うし、みんな一緒

トライアンドエラーを重ねる中で気づいたのは、
多くの人は課題やトラウマを持っていて、その根源はどこかで繋がっているということ。

たとえば、気が強くて避けられる人も、気が弱くて辛くなる人も、
結局は“自分に自信がない”という点で、
根源は繋がっていて、出てくる症状が違うだけなんじゃないか?と。

そう思うようになってからは、自分と全く違うタイプの人にも
想像力を働かせ、
目の前の人も、私も、愛を求める同じ人間なんだと思えるようになりました。

そして、ずっと心の中のしこりだった、
父も、母も、姉達も、
何かを抱えながらも必死に生きる1人の人間で、
恨んでいた私は自分の課題を家族に押し付けて逃げていただけだったんだ。
と認識できるようになりました。

今は、ぶつかり合いながらも、人間らしい
自分の家族が大好きで大切で、この家族に生まれてよかった〜と感謝してるし、
この家から生まれた激しい自分が大好きです☺️笑


目の前の相手、敵に見えるような相手も、根底はみんな繋がってる。

<後半#earthmanに至った経緯 に続く>



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