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私とearthmanの「系」#0 (後半)まお 


earthmanを始めるに至るまで

▼全く興味のなかった農や自然環境

私は特段、山や田舎で生まれた訳ではなく、自然が好きかと言われるとまあ好き。
という程度でした。
虫なんて絶対触れなかったし(今でも友人にびっくりされる)
休みの日はショッピングやカフェが趣味でした。

どう考えてもこの暮らしに行き着いたきっかけは、
パソナに入社したことと、球ちゃんです、笑

パソナの淡路島拠点では1年目に農業研修があり、
そこで初めて農や農業の現状、環境問題について知りました。
知ったとしても「壮大すぎる問題で、私に何ができるんだろう?」
と逆に思考が停止していました。

しかし、1年目の時から球ちゃんは、
「自然環境も、経済も、社会のリミットが迫ってると思う。」
という、当時の私にとっては謎発言をしており、
それに対して私は、「考えすぎなんじゃない?笑」とあしらっていました、、笑

▼コロナが始まり、徐々に感じた違和感

そんなこんなでコロナや戦争が始まりました。
球ちゃんのそれまでの話に当てはまるところがあり、
事が起こり始めてから、やっと私も
「これからの社会ってどうなるの?」
「そもそも今の社会ってどうなってるの?」
と不安になって、アンテナを張るようになりました。

コロナで海外での生産がストップして一部の物が値上がりしたり、
戦争によって小麦や食料、電力の高騰が起きたり、

日本がどれだけ、食やエネルギーという命にかかせないものを
他国に依存していて、
その現実にほとんどの人が気づいていないことに危機感を感じました。

▼知行合一でないと気が済まないタイプ

そこから、パーマカルチャーセンタージャパンでのデザインコースを受講したり、
職場でも、農・農業を通じて自分、他者、社会を考える農業研修の企画実行をしたり、
すでに農的な暮らし、エネルギー自給などをしている人に会いに行ったり、
色々と勉強やできる範囲の実践に移りました。

でも、やればやるほど、知れば知るほど、
「家が古民家だったらコンポストももっとしやすいのに」
「コンポストトイレ、アパートじゃ出来ないなぁ…」
と、現状の暮らしのシステムでは自然循環に沿った暮らしを実現することが困難に感じ始めました。

そこから、淡路島や西日本各地で、
暮らしづくり、居場所づくりをできる場を探し続け、
行き着いた先は、「球ちゃんのルーツの地域でした」

▼暮らしの実践開始

今の高野口竹尾での暮らしが始まるまでは、スムーズすぎて逆に覚えていません。笑
球ちゃんに連れられ師匠ファミリーに会い、気がついたら何度か通っていて、、、

今の築120年の古民家もご紹介頂き、
見た瞬間に、「もうここだね。」となり、、、、
淡路島と橋本の二拠点生活が始まりました。

移住してからは、自分の五感が爆発して、
今までの生活は、感じているようで全然感じられていなかったとこに気づきました。

猪を初めて捌いた時、木を初めて切り倒した時、
「うわぁ〜〜〜今まで自分が求めていた“生きている”実感はこれだ〜〜〜〜〜〜」
と思いました。

そして暮らしの循環も、
野菜のくずは近くのコンポストに入れ、そのコンポストから栄養が流れる。
木を切ったら薪として使い、灰になったら畑に撒く。
洗濯は川に流せる素材で、洗い物は米糠で。
今まで自然循環に沿えないことにむず痒さを感じていた私は、
「めっちゃ快適〜〜〜〜!!」と思いました😂

▼二拠点生活の卒業

二拠点の生活を続ける中で、自分の中での中途半端さを感じるようになり、
そして、研修内で「失敗を恐れずにチャレンジしよう!」と伝えている自分は、
お金や孤独の不安によって、会社員という安定を残しているという事実に気づきました。

本気で自分が挑戦し、自分の殻を破ることで、
今会社にいる自分よりも、数十倍成長した自分がなんらかの形でパソナに関わる方が、
会社にとっても社会にとっても良いと思い、
会社に退職の相談をさせて頂くと、快く応援し、送り出して下さいました。

本当に会社には感謝しかなく、何かしらの形で、今後お返しできるように頑張ります!

▼本格的な暮らし作りの開始

ということで、暮らしづくりが始まり、
最初の数ヶ月間は、たのしーーーー!!豊か!幸せ!だったのですが、
だんだん、「これで良いのかな?これからどうすんだ?」
という気持ちになってきました。

周りの人から
「二人は、つまり何をする予定なの?」
「お金はどうしてるの?」
そういう質問を頂く度に、

“サステナブルな暮らし?自給自足?パーマカルチャー?
う〜ん、どれもそうだし、それだけでないんだ…“

というモヤモヤが付き纏いました。

せっかく会社を辞めたんだから、どんどん事を起こさなきゃ!
お金も減っていく、、、何か生業を見つけなきゃ!
という焦りで、球ちゃんとも馴れ合ってしまったり、逆に言い合いになることも増えました。

そして、私にとって大きな問題が、
「私は何のためにここにきたんだっけ?」というシンプルな疑問…(笑)

現代社会の暮らしのあり方に違和感を持ち、
半分は「やるべき」半分は「やってみたい!」で移住し退職までしたものの、
ガッツリ畑をするとなると、球ちゃんみたいに身体がうまく動かずイライラ。
火をつけるのも原理が分かっていないから球ちゃんより時間がかかってイライラ。

…私たちは、じゃなくて “私は” 何をしにこっちに来たんだ?
と考えた時、明確な答えが自分の中になく、
それに焦ったり悩んだりする期間が長かったです。

▼見えてきた私たちの道と、私の道

本当に色々悩みながら、暮らしを作っていく中で、
私たちが救われたのは、“本当に多くの人が来てくれた”ということでした。

二拠点移住の時から、
淡路島から、徳島県から、岐阜から、東京から、
毎月誰か一組以上は、いや大体二組くらいは来てくれて、

一緒に手作りの食卓を囲んだり、作業を手伝ってくれて、
その時抱えている悩みや、これからのことをシェアしたり。

みんなが
ソファに座って山を眺めて   「ここ座ったら立てなくなるわぁ」
一緒に薪で炊いたご飯と味噌汁で「人間ってこれで良いんだよなぁ」
薪ストーブやコンポストを見て、「これ我が家でやってみたい!」
話していて、         「実はこんなことで迷ってるんだけどねー」
と言って中々帰らない姿を見て、これで良いじゃないかと思いました。

そして、自分の中の変化として、ずっと球ちゃんと自分を比べて
卑下していましたが、球ちゃんみたいに博識になりたいか?
と言われると、別になりたいわけではない。笑
でもこの場所は球ちゃんの知識や探究心があることで輝く。

であれば私は、外に出てどんどん新しい人と繋がり、
この場所の良さ、球ちゃんの知識やワクワクを皆さんと共有したい!
と、自分の道が見えてくるようになりました。

▼里山と生かし合う暮らしについて

日々、私たちの暮らしを、より多くの皆さんと共有するために
どういう言葉に落とし込むか?を考えています。

その中で、
自然環境を守るために、近い関係性の中で生きたい。
“里山“は、自然とまさに共生する場所。
その土地の気候風土に合わせた人間の暮らしは合理的で効率的。
そしてそこから文化や民藝が生まれる。
集落の中でも得意が生業となり、助け合いながら生きてきた。
里山は人間らしく、感覚を研ぎ澄ませる場所。

など、実際に暮らす中で“里山”という言葉が私たちの暮らしを
表現してくれると思いました。

そして、“生かし合う”については、
自分が感じた、生きるということは無数の命に生かされているという感覚。
パーマカルチャーのデザイン手法を基にしてできる限りロスを減らし、
outを次のinに繋げること。
人それぞれの天才性を発揮し合え、エネルギーの高い場所にすること。

をイメージして落とし込みました。

▼さいごに

私は10年前、こんなに幸せな人生を送っているとは夢にも思いませんでした。
そして5年前は、OLになるものだと思って就職したので、
こんな自然に囲まれて過ごしているとは全く思っていませんでした。笑

それでも、巡り合わせの中で生きている「今」が豊かで幸せで、
苦しくて楽しくて、心の底からの“生きてる”を感じ、
日々を全うしていると自信をもって言えます!

是非、earthmanと、この「系」というフィールドで、
何かを共有、協働しましょう!

新しいステージが始まってワクワクする時も、
少し疲れてしまった時の充電にも、
暮らしを移行したいと思った時の参考にも、
これから何かをしたいという時の壁打ちにも、
この場所を使ってくださいね^^
いつでも球ちゃんと「おかえり〜〜」します!

ながーーーく書きましたが、以上が私とearthmanの「系」でした!


earthmanの取り組み、チャレンジはこちらをご覧下さい🌱🌿
https://readyfor.jp/projects/we_are_earthman

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