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私なんては手放して

私なんてって言葉。
主語が自分で、頭の中で繰り返してしまう言葉。
他の誰にも言われたことないのに、
無意識にそうつぶやくのが当たり前になっていたりしませんか。

あきらめはどこから来るのか

デフォルトのように自分の一部となっていた言葉
私なんてどうせ、私には無理だから

やってもいないのに、先を考え過ぎてあきらめてしまったり、
やらずに結局後悔してしまったり、
他の人は軽々とできることができなくて
その自分がまた嫌になるのに
気づくと踏み出すより、
先の不安を考えて踏みとどまってしまう

知らないことは経験したことがないから
一歩踏み出す先が見えていないと
その先は暗闇のようで
不安の渦の中に吸い込まれてしまうことを
皮肉にも豊かに想像してしまう

この自分はどこから来るのかずっと疑問に思っていました。

もやもやの正体

人間の心には自己防衛本能が備わっていると心理学では言われています。
本能的に感情や思考をコントロールすることで自分を守る、心の働きです。
都合の良い言葉を自分に言い聞かせることで、
自己評価や自尊心が低下しないように守っているのです。

どうせできないからやめておこう
私には無理だからこのくらいを選んでおこう

その時の自尊心は傷つかないかもしれないけれど
同時に、踏み出した先にある達成感や喜びの可能性も自ら選んでいないという

だから、
まだ欲しいものが自分には手に入らない、
やりたいけどできないという自分が続く。
これがもやもやの正体ではと思うのです。

踏み出した先の感じたいと思った感情を感じられずに、あいまいな状態が続くと
そのうちに自分は本当は何が欲しかったか、
何に喜びや幸せを感じるのか
出口がわからないトンネルの中にいるように
自分で自分がわからなくなっていたのが私でした。

だから、今自分が何を感じているのか、に気づくところから。

ガラスの天井に気づいて

暗闇や不安は自分で作った想像で
目に見えないガラスの天井を
自分でせっせとつくって
いつの間にかそれに気づかずに生きてしまっている

私なんて、がまさにガラスの天井で
それに気づいたら、
もう必要ないと手放していけると
つかえて進めなかった心と身体が軽くなるように
漕ぎ出す力が湧いてくる。

ブランコを漕ぎ出すとき
最初はゆっくりだけど、
だんだんといつの間にか解放感とわくわくを感じられるように

私なんてが口癖だった自分が、
私でもできるかも、と思えているのは
コーチングをきっかけに
気づいて手放してを毎日少しずつ
私なんてとあきらめてきた自分をひらりと手放していきたい

自分の一部となってしまっているガラスの天井に、自分で気づくのはなかなか時間がかかるから、
コーチと一緒に気づいて
ブランコの背中をちょっと押してもらうように
サポートを選ぶことは、
見えていなかった景色を早く見ることができる
方法のひとつと思います。

体験コーチングを実施していますので、
ご興味ありましたらこちらもご覧ください。

今日あなたが感じる気持ちがひとつでも軽やかでありますように





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