かみさまへ4
良く二人で遊んだうちの前を流れる川。
魚を追いかけたりダムを作ったりして。
水は冷たく澄み、魚が泳ぐのも見える。川底には丸い石がたくさん積み重なっていてはだしで歩いても痛くない。川遊びのあとには、川原の木陰でおにぎりやおやつを食べるのが日課で この木の下はわたしたちのお気に入りの場所のひとつだった。
ある日のこと この川の水がどこからくるのかが気になり、二人でおやつを持って探検に出かけた。しばらく歩くと、木立を抜け景色が広々と開け 川はだんだんと細くなり、周りに家も見えなくなった。
「すごいね。きっとこんなところまで来た人はいないよ。」
ミキが興奮して言う。
「うん。きっといないね。」
わたしも興奮して応える。
あぜ道だった川の反対側はいつの間にか土手になり、だんだんと高くなっていって ふわふわとした白い花をさかせた木が生えている。その花の周りをミツバチが飛んでいる。
「もとこちゃん、おみずつめたいね。」
「うん。つめたい。」
「もとこちゃん、だれもいないね。」
「うん、いないね。」
「あっ、おさかながいるよ。」
もう川の幅は 子どもの私たちでも飛んで渡れるくらいになった。小さな魚が光を反射して時々きらきらと煌めいて見える。とても素速いのでなかなかじっくり目に止めることが出来ない。黒い小さな貝がものすごくゆっくりと歩いている。
「もとこちゃん、つかれた。」
「ん。」
ミキの手を取り、並んでゆっくり歩く。
「もうあるけない。」
泣きべそになりながらも一生懸命あるくミキ。
「かえる?」
「ううん、いく。」
本当はわたしも足が重くて、人影もないことに心細くなっていた。
でも、あと少しかもしれない。その思いに支えられミキの手を引きながら歩き続けた。
30年経った今でも あの川面のきらめき、水の流れる音、ミキとつないだ掌のあたたかさと緊張とワクワクでにじんだ汗は 映画のワンシーンでも見るかのように色彩豊かに浮かんでくる。
この時はまだ自分のなかに沸き上がった感情を選り好みすることなく すべての感覚をもつたったひとりのわたしだった。だからこそ大切に胸のおくの宝箱にしまってある。
やがて 木々の隙間から西日が差しこみ わたしたちの大きな冒険の旅も終わりを迎えた。
あんなに途方もなく感じた冒険は終わりとなり 川は小さな水たまりのようになっていた。水底から こんこんと冷たい水が湧いている。湧く勢いが強いようで水の表面が小さく盛り上がってぶわぶわと小さな噴水のようでとてもきれいだった。
まわりにはもう使われていない田んぼがずうっと遠くの山の裾の方まで拡がっている。良く見ると轍のあとのついたあぜ道があった。こんなに遠くまで来たって言うのに ここに来たのは自分たちが初めてじゃないんだと分かると わたしたちは声には出せないほどがっかりした。
でも本当は 人の気配が感じられることがとても心強かったし おとなってすごいなぁとただただ素直に憧れた。
そしてこんなに小さな水たまりだった大地から浸み出したこの水が あの川の流れとなってわたしたちのお気に入りの場所まで流れてることの奇跡。
「ここがはじまり。」
ミキは葉っぱを流した。
「あっ、ずるーい。わたしもやる。」
心細さをごまかすように 大きな声を出して葉っぱを水に浮かべた。
時折水面に浮かぶ枝やごみにぶつかりながら、葉っぱは流れていく。小さな魚たちが一斉に逃げる。わたしたちは葉っぱを見失わないように くたくたになった足を引きずりただただ無言で追いかけた。日が落ちてあたりが暗くなり、半分泣いている小さなミキを励ましながら 自分も泣きそうになるのをこらえて歩く。
ピッピーッ
大きな音に驚いた。
「おーい、もとちゃん、ミキちゃん」
おやつごとなくなったまま 真っ暗になっても帰ってこないわたしたちを心配して ばあちゃんもお母さんもお父さんも ミキの両親も小さなわたしたちを必死に探しまわっていた。近所の人も心配して探しに出てくれて、隣の隣の家のおじちゃんが軽トラで迎えに来てくれたのだ。わたしとミキは少しほこりっぽい軽トラの助手席に乗せてもらい さっき歩いた道を戻った。わたしたちの半日の大冒険は おじちゃんの軽トラで5分の近所だった。
お父さんとおじさんは 隣の隣のおじちゃんに何度もお礼を言い頭を下げていた。
「とにかく無事でよかった。」
「きちんとどこに行くか行ってから出かけなさい。」
と言っただけで誰も叱りはしなかった。
普段からもお父さんとお母さんは わたしに口うるさく言ったりはしなかった。記憶にある中でお父さんが怒ったのは一度だけ。まだ保育園に行き始めたばかりの頃だったか クラスの子がお母さんのことをママと呼んでいるのが素敵に思えて うちに帰ってその子の真似をしてお母さんを「ママ」と呼んでみた。その時「ママじゃないお母さんだ。人の真似をするな。うちはうちだ。」と物凄く怒られた。
お母さんに対しても同じだった。お父さんは自分の計画している道から家族が外れることを極端に嫌っていた。今だから何となく理解できるようになったけど、お父さんはきっと何をするにも 楽しむための旅行に行くにも慎重に計画を立て 物事をその計画通りに進めたかったのだと思う。計画通りいかなくなりそうになるとお母さんやわたしの話に一切聞く耳持たずに怒る。一貫していたのだ。自分が進むべき道がもうすでに出来上がっていて それ以外の新しい道は想像も創造もしたくないようだった。
今思えばお母さんはお父さんを怒らせないことに一所懸命だったんだと思う。わたしの記憶の中のまだ若いお母さんはどれも笑ってはいない。毎日おうちにいてごはんをつくってくれたお母さん。そこに姿はあっても こころはどこか遠いところにいってしまっているようだった。
この頃のお父さんは仕事の時間が不規則だった。だから、眠れないことに対してすごく敏感になっていて 夜中に泣いたりぐずったり寝相の悪い子どものわたしが一緒に寝ることを嫌がった。
だからわたしは物心つく前からばあちゃんと一緒に寝ていた。自分で望んだのか、お父さんかお母さんが望んだのか、見かねたばあちゃんが一緒に寝るように言ってくれたのかはもう思い出せない。
ばあちゃんはわたしが眠るまでお腹に手をあててくれた。あたたかくごつごつした手に、安心して眠りにつくのだった。たまにばあちゃんが先に眠ってしまうと ひとりこの世界にとり残されたようで不安になり余計に目が冴えてしまうことがあった。
そんな時決まって天井の片隅に視線を感じた。その視線は遠い世界からのような、懐かしいような不思議な感覚で、決して怖くはなくむしろ見守ってくれてるような感じだった。
夜の闇は心細かったけど 朝が来ればミキが来る。
ミキといれば 魔法だって使えるようになると信じてた。あの頃は本当に毎日がわくわくすることばかりで、きらきらと光に満ちていた。
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