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無有 15 歪んだ正義

 熱い想いとともに海を渡ってきたものの 言葉の通じない国、ましてやもう自国の宗教がある国にあたらしい宗教を広めるのは困難を極めた。食べ物も合わず 胸が焼けるほどの埃と日差しの中で父もギルダーもひんやりと湿った故郷の石畳に強く焦がれるのだった。教会は宣教活動の成果が見えないうちは迎えの船を寄こしてはくれなかった。それどころかこのままでは 故郷の家と母親たちの生活の保証はできないと仄めかすのだった。

 食べるものもなく、焦りが焦りを生み出し、ただ時間ばかりが過ぎていく。親子は途方に暮れた。宗教の違いがあるから争いが生まれる。奪い合い、殺しあうような争いはよくない。世界のすべての人が我々と同じ神を信仰すればよいのだ。そう司祭様はおっしゃっていた。この国の人々にはもう信仰している神がいる。だけどその神はこの世のすべての人を救ってくれるわけではないようだ。そこがこの国の宗教の問題だと思う。主ならすべての民をお救い下さる。

 改宗すれば皆が救われるうえに、平和な世界になるじゃないか。ギルダーはそう思った。
 やつれた様子で歩くギルダー親子を見かねてひとりの男が声を掛けてきた。男はこの国の主流な宗教の教師だった。

「お困りのようですね。見知らぬ国でさぞ心細いことでしょう。」

身振り手振りの会話ではあったが、彼はクリートと名乗り 自宅に招いて妻と娘の作った料理をふるまってくれた。クリートは朗らかで異教徒のギルダーたちにも大変優しく接してくれた。言葉は通じなくともあたたかいもてなし。清潔で質素な暮らしが見える。ギルダー親子はこの地に来て初めて心休まる時間を持てたのだった。何度かの交流ののちここにはキリスト教の入る余地のないことを悟った。この国の宗教は戒律が厳しかったが、クリートの教えは素晴らしく、教徒は貧しくとも皆信心深かった。ギルダーは励ましてくれた故郷のニーサのこと、イエス様のことを思った。




#創作大賞2022

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