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かみさまへ2

結婚して少ししてから買った中古物件の古い小さな家が私たちの棲み処。

子どもが生まれてからは 絶対に対面キッチンがいいと
智弘にリクエストして、リビングとキッチンはリフォームしたが
他の部屋や廊下などはなかなか年季の入った家で、
子どもの友達は遊びに来るとトイレまでの通路を
「迷路みたいー。」と面白がっている。

ハンバーグを食べながら

「やっぱりママのハンバーグはおいしいなー。」と瑞木が言う。
そう言ってもらえると例えお世辞だったとしても作り甲斐がある。

それに対して 智弘はテレビを見ながらよく噛みもしないでがつがつと飲み込むように食べている。

美味しいのか美味しくないんだか。

食べたいのか食べたくないのか。

少しむっとする。

舞花はそんな私の気持ちを察したのか

「たこ焼き美味しい。ママのハンバーグも美味しいよね。」
と言ってくれた。

「うん、でもたこ焼きは冷凍だけどね。ありがと。」
少し優しい気持ちになる。

 智弘は優しい。周りからの評判もいい。わたしのしたいようにさせてくれるし、何も口出しをしない。不満は特にない。
ただ、何も言ってこないと言うことは 何が好きで何が嫌なのかもわからないということ。強いて言えば 彼自身の気持ちが分からないことが不満だと言う感じ。

わたしは人にお願いごとをするのが本当に苦手で 物理的に無理だという時くらいしか家事や育児のことで智弘に何かを頼むことはない。

お願いするくらいなら自分でやってしまった方がよっぽど楽だと思ってしまう。 

これは夫が悪いとかではなく 頼みごとが苦手で甘え下手な自分がいけないのだろう。
結局のところ自分一人で自分の思う完璧を目指したいだけで、母親とはこうあるべきという理想の母になりたくて、人の手を借りられずにいる只のわがままなのだと思う。
自分がどうしたいかどうして欲しいのかもよく分からず 手助けなしで完璧にできなくてはいけないと思い込み、自分のしていることを正当化するために人を受け入れる姿勢も余裕もない。


 優しい夫と素直な子どもたちに囲まれ 満ち足りているはずだと思いながらも 表面だけの当たり障りのない会話を重ねていると もしかしたら明日わたしが違う人と入れ替わっていてもみんな気付かないんじゃないか。気付いたとしてもすぐに受け入れるんじゃないだろうか。という考えが浮かんでくる。まるで自分が透明人間にでもなった様な。このまま一人でどこかに旅に出ても この小さな世界は何事もなく回っていくんじゃないかとさえ思う。  


 夫の智弘とは小学校の入学式で出会った。その年は桜の開花が遅れて、4月に入っても桜は咲かなかった。入学式にちょうど満開になった桜と青い空とのコントラストが見事で今でも鮮やかに思い出せるほどだ。桜の花びらが舞い散る中 お母さんに手をひかれて所在なさげに服を着せられた彼を見て なぜだか突然「あぁ、この人にはわたしがついていてあげなくちゃ。」と思ったのだ。

 あとで聞いたら彼も もっとずっと後からのようだが 理不尽なことを言われて歯を食いしばっている私を見てなんだかとても「もう我慢させたくない。」という漠然とした想いを抱いたという。

 人に言ったら運命の出会いじゃない!なんて素敵な物語になりそうなエピソードの割には わたしたちの恋は静かなもので 一緒にいるのがただ当たり前なだけだった。二人の時間はゆるやかに穏やかに過ぎていった。

 彼は、わたしの30年を知っている。もちろんわたしもそうなのだが
いざ智弘がどんな人なのかを思い浮かべようとすると彼の輪郭がぼやけてしまう。あんなにも実態のあるように見えた入道雲が触ることのできないように。捉えたと思った瞬間からこぼれていく。目の前でテレビを見て笑う彼のことをわたしは何にも知らないのだと今更ながら強く思い知らされる。

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