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かみさまへ7

 5年生になった舞花は 学校ではしっかり者で通っているみたいだが 本当はとてもひょうきんで のんびりしていて我が娘ながらとても純朴な子だと思う。

 団体行動をするようになってからか どんなことも間違ってはいけない、失敗してはいけないと普段から凄く気を張るようになったようだけど、瑞木にだけは素の自分を出せてるように見える。そう言った意味で どんな時も揺らぐことなくマイペースな瑞木は 舞花にとってもわたしにとっても本当に心休まる唯一無二の大切な存在なのではないかと思う。

 舞花は小さなころから目立つことが好きではなく、同じくらいの年の子どもたちが集まるような施設に連れて行っても みんなの行動を部屋の片隅でじっと観察しているような子だった。
  わたしが「一緒に行くからおいでよ。」と言っても梃子でも動かない。まず観察して、周りにいるのがどんな人物なのか、どんな状況なのかを知る。動くのはそれから。とても慎重なので安心するまでに時間がかかるため ほとんどの場合動かないけれど。だからなのか、ひとを見る目は鋭いほうじゃないかと思う。時々大人がどきりとするような厳しい一言を発したりする。のんきにしている瑞木やわたしが時々我慢ならないのだろう 小学生の舞花にお説教されることもある。

「ママ、あれ持った?」とか

「なんでこうしないの?」とか。

まるでどちらがお母さんか分からない。だから選択に迷ったときはいつも「ママはこう思うんだけど、舞花はどう思う?」と尋ねた。そんな時舞花はいつも面倒くさがらず私わたしの質問に真摯に答えてくれた。子どものようなわたしと 母のような舞花。見た目とはちぐはぐのコンビ。娘はどう思ってるかわからないが 完璧な母親を目指していたはずのわたしは 意外とこの感じが気に入ってたりもする。

「朝だよー。起きてー。」

舞花も瑞木も 割合寝起きはいいほうだ。

瑞木は起きてきてから 次に動き出すまでが本当にながいけど。

どんなときもマイペースで自由で わたしがびっくりすることを平気でやってのける瑞木。今まで培ってきた常識がこの子には全く通じない。

 まだ保育園に通っていたころの話だが 主婦にとって一番あわただしく忙しい朝の時間のこと。バタバタしているわたしとは対照的に瑞木は起きてきてもこたつにもぐってしまってじっと動かないでいた。これがいつものことだったが 毎朝あまりにもマイペースでなにもしてくれないのに腹が立って もう今日は仕事に遅れてもいいからきちんと話してわたしの気持ちを伝えようと決意し 母親というものが朝のこの時間の子どものお手伝いをどんだけ必要としていて有難いものだと思ってるかを丁寧に冷静に語った。
くどくどと長い話の間 瑞木は何か言いたげに黙って聞いていた。

 そして「瑞木が食べ終わったお皿をママのところに持ってきてくれるだけで本当に助かるの。だからやってほしいな。」と最後に伝えたのだけれど
瑞木は「いやだよ。だって ぼくはやりたくないもの。」の一言で片づけてしまったのだ。

あまりの返事にびっくりしてしまった。
マイペースな子だとは思っていたが驚くほど人の都合に振り回されない。自分と瑞木のお互いの気持ちの伝わらなさがあまりにも滑稽で 怒っている自分が全くばかばかしくなり、思わず噴き出してしまった。

 こんな風に瑞木は、長い付き合いの智弘でもしたことのない 怒れるわたしを笑わせてしまった。という伝説的な過去をもっている。

吹き出してやっと やりたくないと断られて腹が立つのは 自分がやりたくないことをやりたくないとわかっていても断れずに引き受けてしまってるからだったのだと気付いた。

自分の気持ちより先に ほぼ反射的に笑顔を作ってしまった時も 心と体のしたい事が全く違う方向だったので疲れてしまっていたのだとわかった。

でも どれだけの大人がやりたくないことを 面と向かってやりたくないと言えるだろうか。笑顔を作らないでいられるだろうか。

子どもだってそうだ。誰しも嫌われたくはないし そのもっと根底には人を喜ばせたいという想いがあるからだと思う。

瑞木は 傍から見ればただのわがまま坊ちゃんに見えるかもしれないが やるかやらないかの選択は自分の気分のみで決めるという在り方に 生きるということの単純さと 潔さと 優しさを感じる。

こんな風にこの世界はただただ優しく 本当は単純でシンプルなのに ひとはみなそれを忘れてしまっている。

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