「読みたい」の地層-2020.05-1

「この本が、自分に未知の何かを教えてくれる」「特別な感情を湧き上がらせてくれる」「ここではないどこかへ連れて行ってくれる」「もしかしたら自分を変えてくれる」「あるいは成長させてくれる」そういったポジティブな予感の集積によって、本は積み上がっていくのだ。自分は元々ネガティブな人間ではあるのだけど、世界に対して肯定的でなければその衝動は起こり得ない。だからこそ大事にしたいと思うのだ。」(施川ユウキ『バーナード嬢曰く。②』、p.44)

「読みたい」という感情は、積み重なって層になる。その層は、いつか振り返ったとき、その時の自分を知る手がかりになるかもしれない。


これは、ある本を読みたいと思ったときの感情を記録しようとする極私的ジャーナルです。

十月の旅人(レイ・ブラッドベリ著、ハヤカワ文庫SF)

4月×日

仕事があるのはいいことだが、特別対応で毎日深夜は正直身体が堪える。帰宅したのは日付が変わるちょっと前。いいことなんて何もない、と思ってしまうそうだったけど、明日は『バーナード嬢曰く。(5)』(施川ユウキ作、一迅社)の発売日。日付変わった瞬間にKindleで購入して、風呂に入りながら読むことにする。

結局風呂から出た後も読み続けてしまった。特に気になったのは二冊。

一つ目はレイ・ブラッドベリの『十月の旅人』。

河原で花火を見ながら神林が、ブラッドベリの短編に花火を待つ話がある、という。火星に植民した人類が、ただ一発だけ上がる花火を待っている。それは、爆破される地球であり、それを見た幼い少年が父親に尋ねる、「次はいつやるの?」と。

こういう切ない短編は好物なので、読んでみたい。ブラッドベリは未読なので、ブラッドベリ初体験としても気軽でいいんじゃないか。


春にして君を離れ(アガサ・クリスティー著、ハヤカワ文庫)

もう一冊は、アガサ・クリスティーの『春にして君を離れ』。

よき妻、よき母親として正しい人生を送っていると思っている主人公が、旅先で「本当に自分は正しかったのか」って人生を振り返る話(『バーナード嬢曰く。(5)』No. 114)

遠藤くんが「すべての大人に読ませたい小説」と言っていて、この長い人生を生きてきて、振り返った時にその意味や価値を問い直さざるを得なくなる話なのかなと思った。

タタール人の砂漠』を思い出した。意味のないことだとわかりながら、「いつか報われる日が来るのでは」と1日1日期待を捨てられない男の話。そういう、失った人生の時間を否応なしに振り返らざるを得ないという話、心がえぐられても大丈夫な、余裕のある時なら、好き。今はやめたほうがいいかもしれない・・・。


紙の動物園(ケン・リュウ著、早川書房)

5月×日

昨年から聴き続けているNHKラジオ講座「まいにちハングル講座」のテキストを買いに、近所の開いている本屋さんへ。しかし、テキストは売っておらず。というか、いくつかの本屋さんやAmazonを見ても、売り切れなんだが。みんなSTAY HOMEで語学の勉強始めたの・・・?

ついでに『バーナード嬢曰く。5』で読みたくなった『十月の旅人』をハヤカワ文庫の棚で探すが、この本屋さんにはなかった。かわりにケン・リュウ編の『折りたたみ北京』の横にあった『紙の動物園』が目に入る。『折りたたみ〜』は文庫化する前に買って、中国SFの面白さにびっくりさせられ、編者のケン・リュウの代表作も読みたいと思っていた。『紙の〜』はシンプルな表紙もいい。買おうか迷ったが、SFは普段読まないジャンルで、こういうのは買ってすぐ読まないと、どうせ積んだままになってしまう、と思って、今回は見送り。


反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」(草薙龍瞬著、KADOKAWA)

5月×日

仕事がどんどん積み重なる。仕事をしたくてもできない人がいる中、通常とは全く異なる状況とは言え、こなす仕事があり、それによって給料を得ることができるだけ、マシだと思わなければならない。だが、そんな状況で職場はピリピリしている。今日も人が不機嫌になっているのを見て、落ち込んでしまった。別に自分が何かしたわけでもないし、人の機嫌なんてコロコロ変わるものなんだから放っておけばいいのだが、どうしても人の機嫌の良し悪しに敏感になり、そしてそれに心みだされてしまう。最近、自分のこうした傾向が、特に気になって、それがとてもつらい。

反応しない練習』という本を思い出す。ちょっと「いかにも」な感じのタイトルと装丁だと勝手に判断し、遠ざけていたのだが、「無駄な心の反応」を減らし、よりよく生活するヒントになるのであれば、それはまさしく自分が買うべき本なんじゃないかと思う。




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