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日記 20230628

 今日はパフェの日らしい。巨人の藤本英雄氏が日本で初めて完全試合をした日だかららしいが、6と28は完全数でもある。その日、藤本氏は一睡もしない状態で登板したので、6と28が完全数だから完全試合をしてやろう、と思って挑んだわけではないらしい。

 まあそんなことはどうでもいいことだけれど、最近思ったことなどをつらつらと書き連ねてみることとする。

アルソミトラの種の話

 アルソミトラというウリ科のつる植物がいる。東南アジア原産である。その植物はある界隈ではとても有名だ。種が飛ぶという点において。
 アルソミトラの種は扁平で、薄い羽根のような構造を持つ。その羽根のおかげで、高さ10メートルから落下した時、無風でも40メートル先にまで飛んでいく。アルソミトラの種の構造は、航空機誕生のヒントになった。「ある界隈ではとても有名」と書いたが、それは植物界隈と航空機界隈の二つ、ということになる。
 アルソミトラの種の滑空中の揚力係数は0.38で、これは飛行機の巡航中の値に一致するらしい。アルソミトラの種がモデルだからそうなのか、アルソミトラは自力で(?)巡航に適切な形態を獲得したということなのか、どちらが先かド文系にはよく分からないけれど、感嘆してしまう。
 メルカリでアルソミトラの種を売っていて、買いたいのだけれど、どの出品者も「飛ばさないでください、壊れます」というようなことを書いているので二の足を踏んでいる。

読書記録および短歌について

 私を別の世界に連れて行ってくれるので、短歌集を読むようになった。

 短歌は、歌の途中で別の世界がふっと乱入してくるのがよい。写真は「えーえんとくちから」の抜粋である。これだけお気に入りの歌があるなら買えばいいのではと思うが、自分で書いて体に刻むのもまた、意味がありそうな、あるいはありがたみがありそうな気がして。

横線より上は別のメモである、あしからず。
たくあんのほんらいのすがたってなんだろう。あれ? それともこれ?

 人に何か差し上げようと思って、私が何か贈るなら本だろうと思った。短歌、あるいは詩なら字数が少ないし、かつ(残念なことに)短歌や詩を普段から嗜む人以外はほとんど未開の地だと思うのでうってつけだと思ったが、私がよいと思うものは、詠み人が夭折しているか、あるいは単価が高いかで、気軽な贈り物にはなり得なかった。
 短歌をよく詠む人は、不自由な人が多いらしい。不自由な人ほど、遠くのことを詠えると感じた。しかしその不自由さゆえに、様々な理由で早くに空に召されてしまう。先に、私は小説において、自分の苦しみに目を凝らして、苦しみながら書くのはもたないと書いたが、やはり苦しさ、現実世界における社会的、身体的、精神的不自由さは、人を別世界に容易に誘うものらしい。

これから何を書くかということ

 についてずっと考えていて、どっちからアプローチするかということなのだけれど、異化する、自分を発見する、(本当に言いたいことを)寓話にする、ということができるといいのかなということを考えている。テーマというよりは、自然とそうなるといいという種類のターゲットかもしれないけれど。
 最近創作をしていて、確かに自分が書いているのに、自動筆記のようになる瞬間があった。その自動筆記の内容自体は、創作の狙いと外れるものだったので没にせざるを得なかったのだけれど、自分からこんなことが出るのかという空恐ろしい感じがあった。
 それはかなり極端な例だけれど、創作を書いて、掘り下げていくと、物語の表面ではこう書いているけれど、実際はああいうことを言いたいのだ、というのが分かることがある。その「ああいうこと」をどこまで詳らかにするかは書く人の好みや、展開の必然に左右されると思う。全面的に「ああいうこと」に改定するもよし、「こう」書いているのを少し手直しするのもよし、もっとぼんやりさせて、「ああいうこと」を匂わせるような形に行間をあけるというやり方もある。そういう作業を、以前は先の見えない苦しい作業だと感じていたけれど、最近は少し楽しめるようになったと思う。

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