雑記 20231122

 「よふかしのうた」にハマっていた。昨日まで公式アプリで最新巻の一巻前まで無料開放していて、待てずに最新巻だけ先に買った。この無料開放キャンペーンでゴールデンカムイも買ってしまったから、刺さる客にはいいキャンペーンなんだろうと思う。無料開放の時期も重要な気がする。
 お話の作り方としても興味深くて、まあどんな漫画もそういうところがあるのかもしれないけれど、絵を描くようだった。
 最初に主人公の周りに色を入れる。周囲のことは何も分からない。主人公二人を描きこんで、少しずつ他の世界、他のキャラクターもキャンバスに描き加えていくといった感じがした。
 
 でも今日話したいのは別の話で、植物とその愛についてである。
 以前、noteかTwitterで、人間関係がうまく作れない人は植物に逃げる、みたいなことを言っている人がいた。その自覚はあったからひどいこと言うなと思いつつ、この人は植物が好きな人を陰キャだとバカにしたいだけかなということも思った。
 ただ、最近では植物をペットとしてとらえるという考え方が欧米で生まれてきているらしい。
 単に栽培するのと、ペットとして扱うのと、どっちが尊重しているのか全然分からないが、ペットを人間の家族と捉えるなら、植物を動物に――人間より近い存在に――捉え直したということでいいのだろうか。
 ペットというと、まだ植物のことを対等に見ていない感じがする。しかし少しはマシだなと思う。先の発言も、植物のことを無機物のように捉えるから「人間関係からの逃げ」という表現になるのであって、自分が好きな植物を、愛している存在を、わざわざ人間より下に位置付けなくてもいいなと思ったのである。なんなら、人間より賢いと思う。物を言わないだけで。

 植物が好きな人というのは、どんどん植物を買い込む習性がある。最初はもう成熟した株を店などで買うのだけれど、それがうまく行くと別種の植物を買ったり、その株を一から育てたいという欲が湧いてきて種から育てたりし始めるのである。
 その頃には、その人はそれなりに栽培に長けているから、他の植物や子株もよく育つ。育ちすぎる。結果、管理が雑になって枯らしたり、鉢を落っことしたりする確率が高くなる。

 私の好きなビカクシダという植物は板に張り付けて、その板に金具などを取り付けてぶら下げるタイプの植え方(?)をするのだけれど、インスタで相互フォローしていた人の中に、しょっちゅう株を落とす人がいた。その人は仕事がとても忙しくて家には寝に帰るだけなのに、テレワーク出来る人でも管理しきれないように思える数のビカクシダの株を持っていた。
 最初はその人の「落としました」報告を見て、「わあ、私もやっちゃうことがあるから気を付けよう」と思っていたけれど、そういえば先月もこの人は同じことを言っていたな、しかも大抵同じ局面で手元が狂って落っことしてない? ということに気付いて、段々見ていられなくなってしまった。
 その人が自分のお金で買ったものだろうし、株のそれぞれに愛着があって誰かに譲ったり売ったりできないのだろうなと思う。それに植物って、人間と違って正しく愛し続けると個体が増えるのだ。忙しい中でもなるべく全部育てたいと思って焦った結果落としているんだろう。事情は分かるが、分からなかった。

 ポリアモリーを標榜する人に対する釈然としない思いも、ここに通じるものがあるなと最近気付いた。彼等は、今愛している人全員のことが好きで、それには優劣がなくて、大体同じぐらい好きだという。普通の人なら100の愛を一人に持つけれど、私たちは100の愛を全員に持てるのだ、と。
 植物を沢山育てている人もそういう気持ちだろうと思う。
 でも、ポリアモラスな人、植物愛に溢れている人だけ、一日72時間あるかと言われたらそうではないわけで、その人が主張する通り全員に対して100の愛を持っていたとしても、その100を時間で割らざるを得ないんだろうと思うのである。
 そしてその分、株を落っことしやすくなる。

 私はポリアモリーですと表現したければすればいいし、彼らというのはそういう風にしか生きられないのだろうから(それは性的嗜好?としてそうだ、生まれつきだから仕方ないのだというのよりは、もしかしたら心理的障壁や生育環境のせいでそうなったという割合が多いのではないかとは思う)、批判的な意図はないのだけれど、それでもなお、自分に一日72時間あるかのように言うのは誤魔化しだよなと思う。それが誤魔化しだと、その人自身もよく分かってるのかもしれないし、見ないふりをしたいだけなのかもしれないけれど。植物愛の大きさを、実質的に株を雑に扱うことになる免罪符にしちゃいけないよなと思って、私はその人のアカウントのフォローをそっと外した。

 しかし、その人よりももっと植物愛が大きくて、植物をうまく育てられるような人は愛する植物をビジネスとしてもっともっと大量に育てて、販売するようになるのだ。うまく愛せるようになると、それは仕事に似るということなのだろうか。

 お前はどうなんだって? 私は胞子からビカクシダを育てているけど、元々売るつもりでそれを始めたので、仕事に似るタイプの愛の持ち主かもしれない。一日は24時間しかないことはしっかり自覚しているよ。

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