机上の恋の話

 今から話をするのは高校一年生の時の淡い恋についてである。

 私の出身高校は定時制高校が併設されており、一年生の時、私のクラスの教室が定時制クラスの教室として使われていた。担任教師は、確か授業もまだ始まらぬ頃、定時制の生徒に迷惑になるので、一年間は教科書などを置いて帰らないようにと厳しい口調で私たちを諭した。

 授業が始まって、私は早々に数学が理解できなくなった。母校は一年生の後半には数Ⅱ・Bを始めるほど進度が早く、夏休みに出た黄チャートの宿題は、数Ⅰ・A各100P以上はあったと思う。中学時代は数学も割と好きな部類だった私には、定期考査で赤点すれすれしか取れない現状は自尊心を最大限に削られる事態だった。

 当時の数学の担任は、太宰と又吉と平安美人を足して三で割ったような外見の男性教師で、モナリザと呼ばれていたような気がする。取り立てて彼の教え方がまずかった訳ではないと思うが、モナリザの顔を見る度私の表情は曇った。

 その上秋頃から、私はそれまで仲良くしていたクラスメイトに何故か避けられるようになっていた。私はその子に夏休み中にお泊り会に誘われていたのに、親の猛反対にあって行けなかった。私の代わりに参加した子と彼女が意気投合したせいなのか、彼女の他校生の彼氏が、私と一緒に映っているプリクラを見てべた褒めしたらしいのが癪に触ったのか(ちなみに私はその彼と会ったことはない)、原因が分からないし教えてもらえないまま鬱屈とした日々が続いていた。

 そういう事がなかったとしても、私はクラスで目立つ存在ではなかった。休み時間も校庭で体を動かすよりは、席でぼんやりしたり本を読んだりする方が好きだった。そんな生徒が鬱屈すれば、更に机にかじりつくことになるのは必定である。ある日なんとなく思いついて、自分の気持ちを机に落書きした。日本語だと生々しいので、筆記体の英語で書いた。

 翌日自分の席に着くと、昨日書いた言葉に、英語ネイティブらしい筆跡で返事が書いてあった。一瞬意味が分からなかったが、この席を使っている定時制の生徒が返事を書いたのだろうと気が付いた。普通なら正体不明の相手からの言葉など無視するところだろう。でも私はドキドキしながら、更にその下に何かを書いた。最初はWho are you? とか、What your name? のような他愛のない英語だったのではないだろうか。その机上の交換日記は、机の半分以上を文字が占め、これでは教師に見咎められるのではと思う頃まで続いた。

 机上のやりとりをやめて、その後どうしたか実は余り良く覚えていない。多分机では色々問題があるから、どちらかがルーズリーフかノートかを提供して、今度は紙で交換日記のようなことをしたはずだ。中学までと違って、そこまで頻度はないものの、高校だって定期的に席替えはある。いつまでも机上に書いていたら連絡が取れなくなってしまう。

 数学や友人による鬱屈は依然続いていたが、私はもう惨めな思いをしないで済むようになっていた。私は一人ではなかった。私がこんな交換日記をしていることは、教師もクラスの誰も知らないのだ。私はこの奇妙な状況を、そして彼の言葉を楽しみに登校するようになった。

 多分会いたいと言ってきたのは彼の方だったと思う。でも、これも記憶がおぼろげなのだが、約束までしたのに結局私は彼に会わなかったはずだ。覚えていないのは、会わなかったからだともいえる。私が待っていたのに向こうが来なかったのか、直前で怖くなって待ち合わせの場所に行けなかったのか、それも良く覚えていない。当然、交換日記は終わった。私は心配した親に数学だけ個人指導の塾に放り込まれ、しばらくして二年生に進級し、その教室ともお別れになった。二年からはやはり数学だけマンモス進学塾に通った。

 会っていたら付き合っていたんだろうか。でも、私が自由になる時間に相手は仕事をしたり授業を受けたりしているのだから、もし意気投合したとしても続かなかっただろう。私は都合良く忘れて時折ノスタルジーに浸っているけれど、待ち合わせ場所に来なかった私を彼は少し恨んで、そして今はそんなやりとりをした子が居ただなんてすっかり忘れてしまっているかもしれない。薄情な私のことなんて忘れて、幸せになってくれていればいいなと思う。

 そんな私が文字だけのやり取りであるTwitterに親しんでいる。机の落書きと電子の言葉という違いはあるものの、私という人間は多分、今も昔もそこまで変わっていない。

サポートいただけたら飛んで喜びます。本を買ったり講習に参加したりするのに使わせて頂きます。