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料理の研究 ゼッポリーネ

 昨晩は寝落ちしまして、何度目かの連続投稿がまたも途切れました。まあするつもりがないのだからしょうがないですよね。なにもかもコロナが悪い!

 普段は、なにもかも適当に味付けしたり調理したりしてしまう。スマホがあるのだから調べればいいのに、麻婆豆腐の味付けってなんだっけと、適当に配合してつくってしまうから毎回微妙に味が違うし、再現性がない。たまに麻婆豆腐のもとの裏面を見て、そうだったかと確認する程度である。

 そんなだから、「お菓子作りは指定された分量・作り方を守ること」というルールがあるお菓子作りはあまり好きではない。好きではないだけで苦手ではないのだけれど、レシピひとつとっても誰かの言うことを忠実に聞きたくないらしい。

 しかし、料理研究家、お菓子研究家の人は、日々同じメニューの、最適な配分を考えて、それをレシピとして公開しているのだ。一般人がそれを金科玉条のようにしてしまっているだけだ。だからお菓子であっても、もっとバターを多目にしてリッチに仕上げたいとか、甘さを控えめにしたいとかいう若干のマイナーチェンジはできるのではと思った。そう思ってからはお菓子作りも苦にならなくなった。それでも、良かった時の配分をしっかりメモしておかないのだから、無手勝流料理人であって、研究家とはとても呼べないのである。

 そんな私にも、こだわって研究するものが最近できた。ゼッポリーネという、揚げパンのようなものである。

 友人とイタリアンレストランだかフレンチレストランだかに行ったときにゼッポリーネが出た。昼間だったし、午後には子供の習い事の送迎があるからお酒はのめなかったが、お酒がのめたらのむのに! という味だった。ポンデケージョにも似ているがもっと軽くて、ふわふわで磯の香りがして、塩気があって美味しい。

 どうにかあの味を再現できないものか。今はいい時代なので、ゼロからレシピを考えなくても、色々な人が色々なレシピをネット上に公開している。それを参考にすればよいのだ。研究過程の外注である。

 最初のレシピは、発酵が十分でなかったのか、「青のりのパン」という感じだった。

 二回目、同じレシピでもう一度、今度は十分発酵させたつもりだったが、やはり「青のりのパン」の域を出ない。家族はこれはこれで美味しいと言っていたが、それは本当のゼッポリーネを知らない人だからだ。こんな青のりパン、ゼッポリーネとは似ても似つかない。

 しかし、私はついに黄金のレシピを見つけた。どうやら、普通のパン以上に十分発酵させて、あわあわとろとろの生地にしないと、あの質感は出ないらしい。

  できました、ジャーン!

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 私は実はもとのレシピに砂糖を少し加えている。イーストというのは糖分を好み塩分を嫌うので、糖分を添加した方がより膨らむと思ったのだ。しかし慌てて入れたので甘いところとそうでないところができた。甘い個体に当たるとなんだか幸せな気分になったので、失敗が成功に転じた例ということにしておこう。

 しかし、沢山のゼッポリーネのレシピを前にして私が思ったのは、このネット料理研究家達の記憶のなかにあるゼッポリーネと、実際に再現されたゼッポリーネ、そして私がレシピを見て作ったゼッポリーネはおそらくそれぞれ少しずつ違うということだった。私がレシピに忠実に作ったとしても、その日の湿度、温度、揚げ油の温度、青さの質などによって、味は変わってしまう。この料理研究家とて、記事を読んだ人が、同じゼッポリーネを確実に作れているとは思っていないだろうし、自分が食べたゼッポリーネと全く同じものを、自分が今食べているとは思っていないだろう。ひとつの経験を出発点に、無限に分裂していくゼッポリーネ。私たち自身も、関わる人によってその印象が違っていたり、振る舞いかたが違っていたりして、無限に分裂可能である。そんなことを思った。

 哲学っぽいことをまぜてうまいこと言った感じにしてみた。うまいこと言えてないかもしれない。でもゼッポリーネはとてもうまいので食べてみてほしい。

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