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さみしいよ

「さーみしいよ」
 授業中雑談の多い先生だった。小学校では担任が全部の教科を受け持つことが多いと思うが、私が通っていた小学校は高学年の理科をその先生が専任で受け持っていた。無愛想でそっけないのでクラスメイトからの人気はいまいちだったが、私はその先生のわざとらしいほどの名古屋弁と、世の中を斜に見ている物言いが好きだった。

 さみしい? 自分より四十も五十も離れた人に囲まれて、朝に夕に布と糸に向かう生活は淋しいかもしれない。でも先生は私に有松絞りの職人になったらと勧めていたのだ。なんだか話がつながらないなと思った。
 何年も経って、あれは「サービスいいよ」だったのではないかとふとひらめいた。後継者不足だから、若い人が「職人になります」と言ってやってきたらきっと手取り足取り教えてくれるだろうと。うん、それなら話が通る。

私は社会人になったが、心身を壊して会社を辞めた。ようやく少し笑えるようになった頃、ふと有松のことを思い出した。

 平日の旧東海道は閑散としていて、時折通る人や車は皆忙しそうに格子で覆われた家の中に吸い込まれていく。今の自分は相当ぼやっと生きているなと思った。
 私が絞り会館につき、館内の展示をぶらぶら見ていると、縄のような布の塊をしょったおばあさんがやってきた。それはこれから染められるであろう、くくられた布だった。子供の頃ぼんやりと抱いたあこがれの実際の姿はもっとずっしりとしていて、確かな存在感があった。
 話し掛ける勇気を絞り出しているうちに、彼女はスタスタと通路を通り過ぎ、レジのおばあさんと軽く挨拶を交わして奥に引っ込んでしまった。さみしかったけれど、あなたの世界はあっちでしょ、と肩を叩かれた気がした。

 私は帰りに若手作家さんの店でカラフルな手拭いを買った。胸にあてるとほっとした。近いうちに、迷っていた資格試験の勉強を再開しようと思った。

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