見出し画像

ぬいぐるみと犬

 犬と語らう子供だった。

 夕ご飯は七時には済んでいた。実家の玄関は、父の帰りを待つために、ややオレンジがかった門灯が付けたままになっている。庭の入り口、東側の門柱脇に犬小屋があるが、犬は寒い時や雨以外は、コンクリの地面で寝ることが多い。建付けの悪い玄関ドアを開けて外に出ると、勝手知ったる犬は起き上がってポーチにやってきて、お座りの姿勢を取った。

 私は何も言わずにジュンの顔を見る。ジュンの目は真っ黒で、いつもとろりと潤んでいる。ジュンに言いたいことが沢山あったけれど、何もしていないのに困ったような眉毛の彼を見ていると、胸で巣食っている毛玉は、熱く回転するばかりで口から出てこない。彼の耳と耳の間の毛を撫でた。頭なのか眉間なのか、毛が滑らかに短く整ったその地帯は、人に撫でられるからこうなのか、元々こうなのか。

 室内から母の声がする。

 「あんた、また犬と話してるの」からかい、呆れ、半笑いの声だ。まだお風呂に入るには早い。宿題はもう済んだ。何をしたって自由なのに。私は犬を撫でる。きゅうと言うので、首輪の後ろに手を回して犬を抱く。たまには首輪を取ってあげて、抱く。胸の毛玉は消えはしないけれど、少し大人しくなる。明日の一時間目は国語だ。

🗝 🗝 🗝

 フォロワーさんの記事で、ぬいぐるみとしゃべる人の話があったので、私はどうだったかなと考えた。私はぬいぐるみではなく犬と喋っていた。

 しかし、犬相手でも、犬に私の胸の内のどろどろを聞かせることで、ただでさえ短い寿命の生き物の寿命を、更に縮めることになりはしないかと怯えた。それで大抵の場合、犬をただ撫でた。撫でるのですら、指先から私の黒が染み出して、犬を汚染するのではないかと思った。事実、彼は無言の私からいつも何かを察して、きゅうと鳴くのは彼なりの「わかるよ」だった。彼は夏生まれで、まだうちに来る前に、蚊が媒介する致死性の病気に感染していたから、命は大事にしなければと思っていた。

 私が犬に何も言えなかったのは、扉の向こうに母がいたからでもあった。母は食器を洗ったり洗濯物を畳んだり、妹に早く食べ終えよと急かしたりで中で忙しくしていたかもしれないが、自分のことを犬に悪く言われているのではと、三和土で耳をそばだてている可能性も大いにあった。台所やリビングから物音がするから、来ているにしてもずっとではないだろうが、母が三和土に来た一瞬、運悪く母のことを口にしていたらお終いだ。夕方、母に嫌なことを言われて、だからここに逃げてきたことを、母はお見通しだと信じてしまっていた。学校のこと、友人のことを聞かれるのも嬉しくない。

 大体、私が玄関に向かったのを目敏く観察して、言葉で追手をかけなくてもいいのに。門外には出て行っていない、犬と語らいたいだけだということが分かったら、いつものことだと、そっとして立ち入らないで欲しかった。

 子供を持つと、自分がされて嫌だったこと、自分は子供にこれだけはしないでおこうということが立ち上がってくるというのは、古今東西の親が言っていることだろう。私の犬との語らいに母が首を出すことは、当時はさほど嫌だと思わなかった。空から盥が落ちて来るようなお決まりの展開だと、心を揺らすことをしていなかった。

 今、自分の子供が犬と語らいたいようなしぐさを見せる時、私は後を追わない。自分の衝動を抑えてそうしないのではない。そこまで気が回らないのだ。ワンテンポ遅れて、ああこれはわたしのあれか、と思う。リビングに戻ってきた彼女は、私に無言で抱きつくので、その肩を抱く。その時、母が私にしたことに気付く。

 うちには今犬はいないけれど、子供に犬は必要だろうかとたまに思う。犬なんて飼う時間的余裕はないけれど。猫は散歩が要らない分手間はかからないだろうが、猫が人間の話を聞いてくれるとは思えないし、私は猫アレルギーだ。

 母と私は違う。母のやり方が私に合わないのは仕方がない。一度合わないのだと感じたら、音量を調整して欲しかった。音量ガンガンのままでは、私はコートを脱げない。北風と太陽の寓話は親子には生かされない。母はもっともっと、これでもかとギラギラ照らし、旅人を死なす人だ。母はそのギラギラで、自分の身をも細らせている。あの寓話は太陽の方が意地悪だと思う。

 「きみはペット」のスミレちゃんも、犬と語る人だった。東大・ハーバードを経て新聞社勤務の超エリート、スミレちゃんは、会社では鉄面皮の剛腕記者だと思われているが、実は繊細で傷付きやすい人だ。彼女は犬のモモが短命だったことを、自分の悲しみを引き受けてくれたからではないかと、人間のモモにこぼした。奇しくもモモとジュンの享年は同じ。スミレちゃんは私だ、と思った。

 今うちにはIKEAのサメのぬいぐるみが私用にあって、それは一抱えもする大きさだ。私はもういい年で、会計をする時「きっとお子さんのためね」という目で見られるので、却ってぬいぐるみを買いやすくなった。子供用にもう一尾いるけど、これは私用なんです。

 そういえばコンサル時代には大きなくまのぬいぐるみをAmazonで買って、上司に激詰めされた時や、ひどいミスをした時、その子を抱きしめて眠った。両手に磁石が埋め込まれていて、子供ならば首や腕くらいはぎゅっとしてもらえる仕組みだった。私はサメを抱くときも無言だし、くまを抱いていた時も無言だった。だから彼らの綿は白いままだと思う。

サポートいただけたら飛んで喜びます。本を買ったり講習に参加したりするのに使わせて頂きます。