日記 20230521

 週末、少し遠方に行っていた。折角だから二、三か所観光すればよかったのだけれど、疲れて予定より早く帰った。家でゆっくりしていればいいのに、明日発送しますと購入者に伝えていた植物を梱包して、前倒しで郵便局に発送しにいった。
 第四種郵便(種子・植物)を送るのに随分慣れた。色々試行錯誤して、ペットボトルか蓋つきのプラスチックコップ(スタバの透明コップを想像して欲しい)が一番安全に輸送できると分かった。
 私の育てた植物は色々なところに旅立っていく。東北から九州まで送付実績があるが、最近とある離島に送ることになった(離島名を書けば、「最近この辺りで遠方から植物を買った人」とその人が特定されてしまうかもしれないので伏せておく)。その離島には小学校や中学校は何校かあるのだろうか。高校からは島を離れる人も多いんだろうか。きっとここより暑い場所だろうから、植物はうちにいるよりもぐんぐん育つだろう。その人が今後どのように育てていくか見守る術はないのに、ただ島の名前を宛名に書くだけで、憧れのような、ロマンチックな気持ちが掻き立てられた。しかしロマンチックな妄想をするだけで、島の人口や学校数を調べる前に、取引終了になってしまった。

 最近、TwitterをROM専で見ていると言った。フォローしている中にミステリ作家の綾辻行人氏がいるのだけれど、作家のTwitterの正しい使い方ってこうだよな、と思う。
・ランニング、朝食などの日課の報告
・読書報告(withモルカーのぬいぐるみ。外出先にもしばしば連れて行く)
・作家仲間とのお茶・食事等の匂わせまたは直接言及ツイート
・それに伴うプロモーション臭のあまりしない作品紹介
 極めて平和である。
 この全部に「大ミステリ作家の」という枕詞が付くので、そのツイートには他の有象無象がする同様のツイートより価値がある。綾辻先生はモルカーのことを「プイプイ」と呼んでおり、最近はただのプイプイくそオタクでしかない。

ちなみにうちの車載プイプイ(DJモルカーと覆面シロモ)。
綾辻先生のプイプイはもっと小さい。

 私がTwitterをはじめたのは、所属していた読書会の交流がmixiからTwitterに移行しつつあった2016年ごろだったと思う。当時mixiのつぶやきとTwitterを連動する仕様変更がなされたのだけれど、連動つぶやきにmixi上で返信しても、マイミクはTwitterに生息しているので返信がなかなか来ないということが重なり、やむなく始めたという経緯がある。読書会の面々は、作家の日常を覗けたり、たまにその作家が戯れでイイネをくれたりレスを返してくれたりすることに歓喜していて、私は「それの何が面白いものか」と思っていたが、一周回って、その態度が一番平和だったな、と思うのである。
 自分で発信したり交流したりするTwitterをやめた頃、noteの記事にTwitterについて様々な思いを書いていた。「最近スキをもらったこの記事、なんて書いたっけ」と読み返すとそういう記事だったことがたまにあって、その度に、当時の私はすごく蟠りがあったのだなと気の毒に思う。
 私はnoteでは育児上の気付きは書いても、子供以外の同居家族についてのあれこれは書かないと決めている。Twitterで家庭環境や自分の境遇についての呪詛を吐き出していた頃は、吐き出せば吐き出すほど、吐き出した状態が固定化して、より強固になる感覚があった。投稿のしやすさも手伝って、脳内垂れ流し状態になるし、毒の排出はできないのに中途半端な発散だけがあって、自分自身にとっても、創作にとっても何一ついいことがないので辞めたのだった。しかし、それはTwitterを辞めた理由の一つでしかない。
 一番大きな理由は、私が好ましいと思いながらももう関われないと思っていた人が、他の人と親しげにしているのを見るのが耐えられなかったからだ。私は、その他の人を妬む自分を捨てたかった。その試みは成功したし、今はわざわざ自分がご機嫌でいられなくなる情報を取りに行こうとはしない。

 子供の最近の学校の宿題が「宝物を見付ける」だった。その宝物がなぜ宝物なのか、発表する機会が設けられるのだという。おそらく授業参観の題材だ。
 「どうしよう、決められない」と言うので、「次女ちゃんにすれば? 次女ちゃんを1年のクラスから連れてきなよ」と冗談で言ったら、「先生に人はダメだって言われた」とのこと。確かに私も、移ろいゆく、それ自体別の人格がある、人間を自分の宝物だと決めてしまうのはどうかと思いながら、冗談を言ったのだけれど。

 先日、新しい仕事の前にカツを入れるためにかつやで一人カツ丼を食べたのだけれど、隣の客がとても味のある客だった。
 彼は60歳代だろうか。「毎食後」と大きめのゴシック体で書かれた錠剤を四、五個、かつやのカウンターに置いて、カツ丼梅を頼み、冷たいお茶をすすりながらずっと正面を向いていた。どんな薬か知らないが、これだけの薬を飲んでいる人にとって、カツ丼はあまりいい食事とは言えないはずだ。もしかしたら家族に黙って食べに来ているのかもしれない。私の父もカツ丼が好きで、かつ常時薬を飲んでいる人なので、勝手に彼も父の同類だと思った。父はいつもお茶と一緒に水を頼む。この人もそうするぞ、きっとそうするぞと見ていたら、すっきりと肌をカバーメイクした、セルフレームメガネの女性店員が彼の錠剤に気付いて「お水お持ちしましょうか」と先回りしていた。私は彼が頼むのが見たかったのだが、この店のかつやの店員は優秀だった。
 数分後届いたカツ丼の前で、彼はうやうやしく両手を合わせて、両隣の客にようやく聞こえるくらいの「頂きます」を言い、備え付けの大根の漬物を数本載せて食べ始めた。彼はきっと米粒ひとつ残さずカツ丼を食べ終えるだろう。それに食後には、まるで儀式のように一つずつ薬を飲むだろう。彼が退出するまで観察していたかったが、悲しいかな、私の方が早く入店していたので、彼の様子を見届けることが出来なかった。

 100点を目指して努力して、80点とれたかなと思えるといいのかもしれないなと思う。少なくとも最近は、何かことにあたる前に、100点を取れるように綿密に計画を立てている。私と接した人、見ていた周囲の人は「80点はいってないわ」って思っているかもしれないけれど、主観でいいからそう思っていたい。用意したことがうまくできないこともあるし、うまくできてもその状況にはまらないこともあるし、言ったことも言われたことも、あまり覚えていなかったり覚えていてもらえなかったりするのだから、その80点という主観も、あてになるものではないけれど。

 でも今日は、へなちょこなりにうまくやれたのではないかな、主観だけど。

サポートいただけたら飛んで喜びます。本を買ったり講習に参加したりするのに使わせて頂きます。