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グレイのジャイアン

 男の子は決断が遅い。

 ヒステリーが酷い母と離婚する決断が中々つかなかった父さんもそうだし、今目の前に座っているこの人もそうだ。日本の会社の不祥事の多く、経営不振の多くは、男族の決断の遅さによるものじゃないかと私は思っている。

 LINEでさっさと終わらせてくれれば、私は22時のマックなんかにいないのに。コロナ禍なのにマックには結構人が入っていた。明らかに酒臭い数人のサラリーマンがいて、飲み会の〆はラーメンじゃないの、青臭くて、自分のことをまだ若いと思ってるみたいで嫌だなと思う。みんないい歳のおっさんなのに。

 正面に座っている彼は、呼び出したのはそっちの癖に、さっきから俯いて何もしゃべらない。

「もう帰っていいかな」

「えっでも」

「私はさっき仕事終わったばかりで、まだ何も食べてないんだよね。こんな時間にマック食べたくないし。これ以上何を話すことがあるの」

「じゃあ場所変えて何か食べようよ。俺も小腹すいてるし」

「いや……寒いし、家に帰りたいんだけど」

 本来、お腹が空いている時の私は機嫌が悪いのだ。だから今彼はこれまで以上に困惑している。気の毒だ。まさか私にこんなに動揺させられるとは思ってなかったんだろうな。この人は私の心の機微を知らないまま、私の元を去るのだなあと思う。私は都合の良い女でいすぎた。今だってそれをひきずっている。家で待っている野菜たっぷりのスープにマカロニを入れて食べるよりも、どうせ何を食べたって体には良くない時間なのだから、近くの美味しい塩ラーメン屋に行きたい、今すぐ行きたい。でも、口では「帰りたい」と言っているのに席を立つことが出来ない。人としてきちんと応対したいという気持ちがあるだけなのだけど、彼の、かるく微笑んでいるようにさえ見える表情からは、私にはまだ未練が残っているのだろうという思惑が透けて見て嫌だなと思う。そうやって軽んじられること、からかわれることは、恋がまだあたたかかった時はくすぐったく嬉しいものであったのだけれど。

「理由は……聞かせてもらえない?」

「うーん。知りたい?」

 彼は黙った。そうだよね。あなたは都合の悪いことは聞きたくないよね。本当はなにもかも洗いざらいぶちまけて、背後のおっさん達が引くくらい泣いてもいいんだけど、もうそういうのないんだ。だって私は最近仕事が忙しいし、お腹空いてるし。

「荷物は送るから。住所後でLINEしてよ」

 彼はやっと諦めたのか「うん」と頷いた。LINEが届いて住所をメモったらすぐブロックしよう。万にひとつ、情が湧いてしまうと困るから。あるいは酔った勢いでついスタンプを送っちゃったらダサいから。

 やっとありつけた塩ラーメンは、鰹節と鶏の出汁が利いていていつもの美味しさだった。一仕事終わったからお疲れ様で全部乗せにしてもいいかなと思ったけど、ヘタに失恋気分になっちゃうのは嫌だったから、たまごだけつけた。ここのたまごは、黄身がちゃんと固まっているのがいい。オレンジの液体がとろりとしているようなのは、過剰で下品だと私は思う。


 翌日は土曜日で、私は繁華街のユニクロに来ていた。ここのタートルネックセーターが好きだ。エクストラファインメリノっていう、スムースな編みのやつだ。毎年ちょっとずつ色の展開が違うのだけれど、私が手に取るのは大抵いつも同じだ。

 グレー

 本当は白とかパープルを買いたい。だけれど、スーツに合わせるのにはグレーが一番無難なのだ。数年前惚れ込んで買ったこの商品は、年々生地が薄くなっていっているようで、淡色では下着が透けてしまいそうなのもこの色を選ぶ理由だ。家には色合いとくたびれ具合が少しずつ違う、このグレーのセーターが何枚もある。アニメのキャラが、毎日同じ柄の服を着ているみたいだなと思う。春はボートネックのニット、夏はシャツに変わる。気に入ったものはいつも数枚買っておく。

 君は白黒つけようとしすぎなんだ。物事には白と黒の間が沢山あるんだから。

 そう言われて、グレーの服ばかり着るようにしたら、そういうことじゃないよ、まあ形から入るのは重要かもしれないけどね、とあの人は笑った。極端だなあ、いや着てるのはグレーだけど、と。

 昨日の彼とは、私がグレーになってから出会った。今思えば、本当に付き合ってたと言えるかどうかもグレーだ。多分、彼には他に一番がいたし、もしかしたら三番手、四番手もいたかもしれない。白黒つけない、をここでもやってみようとしたつもりはないけれど、あの人が遠くに行ってしまって、とにかく人の関心が、愛が欲しくて、それが近くで手に入るなら少しまがい物でも構わなかった。

 利用していたのはどっちか分からない、なんてカッコつけすぎだろうか。私も何人かキープしてはじめてお互い様だって言えるんじゃないかな。私は一応、彼と会っていた時には他の人とデートしたり、体を合わせたりはしなかった。特別義理立てしていた訳ではないけれど。

 ユニクロの入っているビルを出ると、日が落ちてギュッと冷え始めた十二月の街に雨が降り始めていた。生憎傘は持っていなくて、チャコールグレーのウールコートに雨粒が染み、もっと暗いグレーの粒ができる。雨は街をグレーにする。グレーの街に溶け込んでしまえたらいいのになと思う。街のグレーを渡り継いで、あの人の住んでいる街まで辿り着けるならいいのに。

 私はもう一度ユニクロに戻ることにした。グレーのセーターを、パープルのセーターに交換してもらおうと。


※note30日チャレンジ18日目 累計 27,903文字(オフライン含め30,317文字)

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