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ユリを抱えて

中学一年生長女が陸上部に入部した。

初めて大会に出場するというので
夫と3歳四女、0歳次男を連れて
自宅から片道30分ほどの陸上競技場へ
朝早くから出かけた。

陸上競技場の観客席に腰を下ろすと
太陽が照りつけ、子どもたちの頭がすぐに熱くなった。
周りにいた中高生たちは袖をたくし上げていた。

長女は800mをなんとか走り抜けた。
入部したての1年生としてはまずまずの健闘であった。

競技が終わって帰ろうとしたが
四女はすっかり飽きて不機嫌だった。

そこで陸上競技場から駐車場へ向かう途中、公園に立ち寄った。

大きな木には若葉が茂り
ほどよい日陰のおかげで涼しかった。

四女はトンネルのついた滑り台で遊んだ。
階段を登ってはトンネル内に隠れ

私が
「あれ?どこかな?いなくなっちゃったかな?」
などと言って四女を探し始めると

滑り降りてきて私を驚かせた。

そこへ70〜80代の女性が通りかかった。

紬の着物をリメイクしたような
蝶々柄のセットアップをお召しになっていて、
鹿の絵が織られたポシェットを下げていた。

片手に大きなユリの花束を抱えている。

「小さい子って全ての動きが可愛いわよね。
自然と笑顔になっちゃう。
だからいつもつい足を止めて見てしまうの

一人で住んでいると笑えることも大してないのよ。
あらこれ今日の初笑い!」

彼女は目を見開いて口に手をあて
少し驚いたような顔をして

そのあと無邪気に笑った。

少し近づいてきて四女が隠れているトンネルを覗き込んだが
四女は出てこなかった。

私は彼女に話しかけようと声が出かかったが

彼女は

「ごめんね!
楽しく遊んでね!
ありがとう!
お墓参りに行ってくるわね!」

と言って背を向け
木漏れ日の中を足早に歩き出した。

日本では古来から
蝶々はあの世とこの世を行き来しており
故人の霊魂の化身とも考えられてきたそうだ。

4月の下旬に催したお茶会では
年末に他界した社中の一人を偲ぶ意味で

蝶々をテーマに
故人に縁あるものを集めてお茶室を設た。

お茶会当日、水屋で支度を整えていると
窓の外の草むらを黒い蝶々が舞っていた。

先ほど通りかかった女性に私は

「お召し物が素敵ですね」
または
「大きなユリですね」
と話しかける予定だった。

彼女の姿を見送りながら
彼女と故人の一緒に過ごした日々に思いを馳せた。

一緒に出かけるときに
今お召しのセットアップで出かけたのだろうか。

庭に咲いたユリを一緒に愛でたのだろうか。

彼女は何度か立ち止まり
片手で目を拭っているようだった。

彼女の背中に若葉の間から漏れる光が差して
蝶々は白く浮き立って見えた。

50年後私は・・・と思いを巡らせかけて慌てて頭に浮かんだ映像を掻き消した。

いつの間にか四女は夫のいるほうへ移動した。
木馬のように前後に揺れる遊具に腰掛け二人で遊んでいる。

私は二人に心の乱れを悟られないよう
ゆっくりと視線を落とし
スリングで抱いていた次男の肩に顔をうずめた。

先ほど通りかかった女性は
お墓で蝶々に出会えただろうか。


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