【惜別】#00阿部俊人~球団初の地元宮城出身生え抜き選手の足跡を振り返る

「マツオ・カズイさん」。久米島キャンプ朝の声出しで師匠と慕う松井稼頭央の名前を言い間違える”天然キャラ”(※1)。雨の日にはYoutubeで仕込んだ大久保博元監督のモノマネ芸や「1人世界水泳」も披露したムードメーカ-だった。

宮城出身、埼玉育ち。花咲徳栄高から東北福祉大学という「名門ルート」を歩み、2010年ドラフト3位で楽天入り。背番号は新人ながらも一桁9番を付与されたことを見ても、球団の期待感も高かった。

独特なキャラで仙台のファンに愛された『生え抜き球団史上初の宮城出身支配下選手』(※2)は、堅実な守備でチームを支えた。

武器はアマチュア時代から絶賛された内野の高いユーティリティ能力。
遊軍スキルを活かし、一時期は緊急時に備えて捕手練習にも取り組むなど、7年間チームに尽くす『印象に残るサブキャラ』だった(※3)。

致命的なスランプやシーズンを棒に振るような大怪我も少なく(※4)、1年目から7年連続1軍出場。2015年からの直近3年間は3年連続開幕1軍入りし、66試合、55試合、44試合と、まとまった数のゲームで起用され、縁の下からチームに貢献した。

少し残念だったのは、同じ経路を辿りプロ入りした5歳先輩の根元俊一(ロッテ)より一足先にユニフォームを脱ぐかたちになった点。阿部本人も、やっぱり悔しさ残っているのでは?と感じている。

そんな阿部の7年間に及ぶ現役生活を、データを交えながら、もう少し細かく振り返ってみたい。

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