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第七章 人生を変える資格試験とは


1,資格取得で変わる人生

まず身も蓋もない結論を述べる。

何か資格を取得して、人生が変わるなんてことは、結局「その人次第」である。

なぜなら資格を生かすも殺すも自分次第だから。

しかし、資格試験で変わる人生は、ある。確実に。

まずは私の場合。

国文科に入って、国語の教員免許を取得していなければ、誰かに何かを教える営みを、自分の一生の仕事にしたい、とは思わなかった。

そもそも、高校2年生の秋ごろまでは、高校を卒業した後、就職するつもりだった。理由は、家が裕福ではなかったからだ。福祉系の仕事に興味があった。

しかし、師との出会いが運命を変える。

「オマエは萬葉集をやれ」

高校の、非常勤講師である国語の先生は、私に命令した。

なぜ萬葉集なのかわからなかったし、そもそも、大学へ行くつもりは無かったのだ。そんな私に「大学へ行け」・「大学で萬葉集を学べ」と連呼する。

相当、洗脳されたのだと思う。だんだんその気になってきたのだ。

要するに『萬葉集』を学ぶことで、日本語とはどういう言語か、日本人とはどういう人たちなのか、その原点を学べ、と教えられた。オマエはその力があるんだ、なんで就職なんだアホかバカかと説教され続けた。

その師のいうとおりにした。奨学金をMAXで借りながら、あれやこれや金策に励みつつ、国文科に進んだ。1年生のときから「上代文学研究会」に参加させてもらって、教員や院生たちからしぼられまくった。萬葉集を学ぶというよりは、萬葉集というテキストを通じて「日本語とはどういう言語なのか」・「学問とは何をすることなのか」ということを、徹底的にしごかれた。

これって今思えば、「国文学者へのエリートコース」だったのだ。古事記研究の第一人者が「ほぼ毎日」直接指導してくれているのだ。1年生から4年間、根気よく事細かに「学問」を指導してくれた。

その分、プライベートの用事にも駆り出され、先生の引っ越しや個人的なお出かけにも付き合わされて(先生は車を運転できない)、だからこそ「学会の第一人者」がどんな日々を送っているのかもすごくよくわかった。ご自宅の本棚は、宝の山だった。

そうなると私は、このまま大学院へ進んで国文学者になることが、ほぼ約束されていたといっても過言ではない。普通の学部生が体験できないようなことを、数えきれないほどさせてもらった。

なのに今は、フリーランスの自営業者だ。何があった。

2,学校の先生にならないのに教員免許を取って何の意味があるのか

それは教員免許を取得したことがきっかけだった。

教育実習は、母校が受け入れてくれた。

期待に胸をはずませて、しっかり準備を重ねて、実習初日を迎えた。

何だこれ。

指導教官を悪く言いたくはない。しかし、授業、下っ手ぁ!生徒が寝るのは当たり前!職員室の雰囲気、悪っるぅ!そりゃ鬱になっても仕方ない!

指導教官になるくらいだから、O先生は相当のベテラン教師であるはずなのに、申し訳ないが、引くほど授業が下手で、事務作業もちゃんとできなくて、セクハラパワハラいじめ何でもあり。これで一流教師として評価される世界なのかと、絶望した。

私は、高校生たちを心底かわいそうと思った。

確かにここは、商業高校。進学コースはあるものの、一流の進学校ではない。どちらかといえば、スポーツが盛んで、全国大会出場はもちろん、全国優勝することが目標でガチ勢が県内外から集まってくる、というようなところだった。当時公立では珍しいと思う。

どのクラスにも、レベチなアスリートがいた。

それでも、この子たち全員が、将来スポーツで食べていけるわけがないし、やっぱり文武両道であって欲しいという想いが、私にはあった。

私も大学生で空手道場を受け継いで道場主となっていたから、スポーツに情熱を燃やす子たちを心から応援もしていた。

でも、スポーツだけで人生やっていけないんだよ。ほとんどの人は。だから「学業」・「教養」というものは、ほんとうの意味で大人になるために、必須なんだということを伝えたかった。まだ22歳のガキだったけれど。

私は『徒然草』を題材に、助詞や助動詞がいかに大切な役割を果たしているか、文法の授業を行った。生徒たちから「O先生より、わかりやすいし、ためになる」と評価を得た。

ともあれ、実習ではA評価をもらって、O先生からも「教師に向いているし一緒に働きたい」と絶賛された。最後には、受け持った生徒全員から、もれなく手紙をもらった。全員からだ。こんなことはもう人生でないだろうな、とそのとき思った。当時1年生だったマラソンの野口みずき選手もいたことは内緒だ。

でも学校の先生にはならなかった。

「自分の塾をひらく」道を選んだ。国文学の研究は、趣味でもできると思った。それにすんごいお金がかかる。恩師には申し訳なかったけれど、国語が苦手な子たちに、国語の愉しさ、素晴らしさを伝えるほうが、私の興味・関心を湧き立たせた。

でも学校の先生だけはイヤだった。

職員室のダークな雰囲気が耐えられなかったし、授業よりも事務作業や雑務でアタフタして、授業準備を怠っている先生たち、平気でいじめやセクハラをしている大人たちを見て、そういう人たちの下で働くのは絶対イヤだと感じたからだ。もちろん全部の学校がそうではないのは、22歳でもわかるけれど、若い私は心底ネガティブなイメージを持った。

それも、高校Ⅰ種教員免許を取得していなければ、「塾の先生」というのは選ばなかった道だろう。

「教員免許」という資格そのものは、実はそこまで役に立っていないのだけれど、

資格取得に至るプロセスで経験したこと、学んだこと、

これがとてつもなく私の人生を支え、変える力をくれた。今も力をもらっている。

何を学ぶにしても「国語力」は必須の能力で、そこにフォーカスできたことを、今でも感謝してる。過去の自分に。そして導いてくださった方々に。

3,人生を変える資格はある

はっきり断言する。あなたの人生を変える資格は、ある。だから学ぼう。

何を学ぶかも、結局はあなた次第なのだけれど。

私はライフワークとして、看護学校を受験する人を支援している。看護師・准看護師の資格もきっと、あなたの人生を大きく変えてくれる。勤務先は病院だけとは限らない。

他にも大きく人生を変えるであろう資格はたくさんある。

特に国家資格はすべてそういえるだろう。

もちろん、そう簡単に取得できるものではないので、膨大な時間と労力と情熱は必要だろう。専門家の援けもあったほうがいい。

しかし、そのコストをかけるだけの見返りは、必ずあると断言する。

途中で挫折してもいい。あなたにとって、何度チャレンジしてでも、挑む価値のある資格であるならば、どんな資格だっていいのだ。たとえそれがウイスキー検定だったとしても。あなたにとって価値があるならば。

4,おわりに

本章のテーマに着目して欲しい。人生を変える「資格」ではない。「資格試験」と述べている。

「合格」で変わる人生もあるだろう。

しかしたとえ「不合格」であっても、それでも変わる人生もある。

大切なことは、何かをしようと決めて、それに向かって進んでいるかどうかなのだ。

私が「まめじゅく」で支援するのは「決めたい人」と「進みたい人」だ。相談は無料なので、いつでもお待ちしております。

↓参考リンク「国内で取得できる資格一覧」


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