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【大人のファンタジー小説】マッチ売りの女の子(第三話)

Part3 居心地のいい女

 梨々子はまた一本、マッチを擦りました。シュッと明るい火花が散って、今度は目の前に十二月大歌舞伎 昼の部の演目「男女道成寺」の華やかな舞台が現れました。満開の桜が描かれた背景画の前には真っ赤な緋毛氈が敷かれ、上段には裃を着た長唄の唄方と三味線方、下段には同じく裃姿の太鼓・大鼓・小鼓・笛の囃子方といった長唄囃子連中が並び歌舞伎音楽を演奏しています。さらにその前では、金の烏帽子を被り、赤地に大胆な花模様が描かれた振袖を纏った白拍子花子と白拍子桜子が優雅な舞を披露しています。  
 
 1階の桟敷席から観劇している梨々子は、水浅葱色の地に、七宝繋ぎの地紋が浮かび上がる色無地の着物を着ています。髪は夜会巻きのアップスタイルで、一輪の花を模した鼈甲の簪を刺しています。横に座っているのは、薄卵色の地に白と金で松竹梅の刺繍を施した訪問着を着た陽子。
 その隣の桟敷席にはチャコールグレーの地に更紗文をあしらった付下げを着た昌美、ほんのりと灰みを含んだ薄ピンク色の江戸小紋を着た小百合が座っています。

 前半の「男女道成寺」が終了して後半が始まるまでの幕間になると、四人は桟敷席に届いた幕の内弁当を席のテーブルに広げ、食べ始めました。
「せっかくのお弁当なのに着物がきつくて完食できないわ。慣れてないからだわね」と百合子が言うと、「私も。だけど、百合子が完食できないって事件ね」と梨々子は百合子を冷やかしました。
「でもさ、ヘアセットと着付け込みの着物レンタルを頼んでよかったよね。よくぞ銀座でそんな有難いサービスを見つけてくれたわよ。陽子はやっぱりアンテナが高い。この冬一番の思い出だわ」と雅美。
「私たち、着物を着慣れてない感が出てないかしら? さっきから、他の奥様方は佇まいが違う気がしているの。ついでに言えば、歌舞伎座に来慣れてない感も出ちゃっているんじゃないかしら」と陽子。
 そんな幕間の会話はすぐに、スマホに保存してある画像を見せ合いながらのお互いの近況報告会へと変わります。
「啓太郎の高校の学校案内の保護者の声の欄の保護者に選ばれたのね、私。コメントと顔写真を送ってくださいっていうから、資生堂のザ・ギンザのヘアメイクアップ付きフォトプランで撮った写真を送ったのよ。盛りすぎだって啓太郎に怒られたんだけど、保護者代表ってルックス重視で選ばれるわけでしょ」
と言いながら、陽子が「これこれ」と差し出した入学案内の誌面を写した画像を見て、他の三人は周囲の客の迷惑にならないよう必死に声を抑えつつも大笑いを始めました。
「『25ans』とか『婦人画報』の読モじゃなんだから、ばっちりメイクすぎるでしょこれ」
「なにこの巻髪。美魔女気取り?」
 そんな風に陽子の近況報告にさんざんツッコミを入れた後に続いたのは昌美でした。テレビの通販ショッピングを見て購入した電動パン切りナイフの切れ味が抜群で、ホームベーカリーで焼き上げた食パンを薄くスライスして、野菜サンドやフルーツサンドを作りまくっているというお話です。スマホの画像には、これを食べたら顎が外れるのではないかというくらいに具材を挟んだボリューミーなサンドイッチやフルーツサンドの画像が30枚ほど保存されていました。
「この美しい切り口を見てよ。普通のパンナイフじゃできないんだから、電動パン切りナイフじゃないと鮮やかな断面にはならないのよ」と昌美。
 外資系の電機メーカーに勤める百合子が披露したのは、本国から赴任しきた女性上司に勧められてNetflixに加入してアメリカのTVドラマを見ていたものの、韓流ドラマの方が断然面白くてドハマリしているという話でした。
「韓流ドラマってたいがい当たりなんだけど、特におすすめなのが『愛の滑走路』。結構前の作品なんだけどね、何度見てもいいわけ。1話から24話までを3巡も見ちゃってさ、今、4巡目」と言った百合子が「梨々子は?」と水を向け、梨々子はスマホの写真を見せながら「ソロキャンプに初挑戦! アマゾンでソロキャンプセットを買って、人生初キャンプでソロキャンプ」と語りました。
「梨々子がキャンプ好きって聞いたことがないんだけど。お笑い芸人が書いたソロキャンプの本を読んで触発されたの? それになにこの画像、よく見たらノースフェイスのダウンジャケットとムートンブーツじゃないの。このスポーツブランドとかアウトドアファッションって梨々子の趣味じゃないじゃない。なんでも形から入るんだから」と半ば呆れた表情で目を丸くする陽子。
 小百合が「熟女でキャンパーデビューって痛すぎるでしょ。そういえば一昨年くらいにビーチヨガ始めましたとかいって、海辺でレオタードみたいなの来て瞑想ポーズでキメてる画像を送ってくれたことあったよね。オリビア・ニュートンジョンとかフラッシュダンスのジェニファー・ビールスっぽい画像」とお腹を抱えて大笑いします。
 昌美は「シッ、シッ、いくら幕間だからって笑い声が大きすぎるよ!」と口に人差し指を当ててボリュームを下げるよう促しながらも、「百合子ったら、いつの時代の人を引き合いに出しているのよ。せめてビヨンセとかマドンナでしょ」と昌美自身も爆笑しています。
 そうこうしていると後半の演目が始まる合図があり、4人は梨々子ネタの笑いの余韻を引きずりながら舞台に体を向け観劇の体勢を取りました。
「着物を返して、ヘアセットを崩して、洋服に着替えたら、ギンザシックスでお寿司を食べて帰ろうよ」と顔は舞台に向けたまま陽子が小声でささやきます。一同がうんうんと頷いたところで緞帳があがり、「信濃路紅葉鬼揃」の場面が目の前に現れようとしたその時に、舞台を照らすスポットライトがスッと消えました。

 なりたかった自分がいた。炎が消えて燃えカスになったマッチを握り締めながら梨々子はそう思いました。梨々子が憧れるのは、自分の人生や生活を楽しみながら生きる女性でした。しかしながら通帳の残高はいつも4桁寸前の5桁で、お金が出ていくことに常にビクビクして、節約と我慢が努力であった梨々子は、友人の陽子や昌美や百合子のようにはいかなかったのです。陽子が誘ってくれても参加するのは、はとバスツアーや新名所散策、ランチ会、ビストロでの食事会などたいしてお金がかからなそうな企画のみでした。海外旅行や老舗温泉旅館ツアー、恵比寿のジョエル・ロブションでのディーナー、オペラ鑑賞など出費がかさみそうな企画の時には「イラストの仕事の締め切りが迫っているので無理、ごめん」と断ってきたのでした。

 気がつけば、伊勢崎町はすっかり暗くなっていました。福富町仲通りのビルとビルの隙間にうずくまってマッチを握りしめている梨々子の頭には雪が積もっていました。それでも梨々子は、着物を着付けてもらって桟敷席で歌舞伎鑑賞をしたり、あるいはビギナーセットを購入してソロキャンプにチャレンジした自分自身の姿に、“呑気で能天気、好奇心とチャレンジ精神旺盛で、一緒にいて楽しい人”という憧れの自分像を見出して、反芻するように思い返すのでした。

 普通に会社員として働いていればこんなにもお金であくせくすることはなかったのだけれど、イラストの仕事をすることにこだわって、フリーランスの道を選んだのだから仕方ないと自分に言い聞かせました。
 決してイラストのオーダーがないわけではありませんでしたが、いかんせん単価が安く、まるで昭和時代の造花作りやシール貼り、ネジ止めやハンダ付けの内職のように、寝食を忘れて量をこなさなければなりませんでした。
 どんなに小さな仕事でも、安いギャランティでも、きつい締め切りでも、納品から支払いまでのスパンが長くとも、いつも笑顔で言われた条件を呑んで仕事を受け、徹夜をしてでも納期をきっちり守ってきた梨々子でした。けれども、世の中の多くの流れがそうであるように、結局足元を見られて、どんな条件でも受けてくれる便利な人というポジションに自分自身を陥らせただけだったのです。
「流産をして、日帰りの掻爬手術をして家に帰ってからもパソコンとワコムの液タブ(液晶ペンタブレット)に向かっていたっけ」と思い出し、まるで小林多喜二の『蟹工船』や浅田次郎の『鉄道員(ぽっぽや)』のように仕事をしてきたものだと自虐的に独り笑いをしました。

 梨々子が思い描いていたイラストレーターとは、横尾忠則を理想形として、しりあがり寿、五月女ケイ子、スージー甘金、湯村輝彦のようなサブカル色が強く、それでいて作家として高い評価を得ているポップカルチャーアーティスト。さらに言えば、草間彌生、奈良美智、村上隆が目指す最終形態で、ファインアートの世界のスーパースターアーティストになりたいと願っていたのでした。
 出版社や編集プロダクション、印刷会社から依頼が来るのは、1カット@500円という低価格設定も珍しくない、スペースを埋めるためのカットやチラシのアイコン程度のイラストばかり。クラウドソーシングサイトにイラストレーターとして登録して案件を受注していますが、発注数に対して登録者数が過剰なレッドオーシャンで、出版社や印刷会社からくる仕事よりさらに単価設定が低く、時給換算すればマクドナルドのパートやスーパーのレジ打ち以下でした。
 LINEでスタンプを販売したり、簡単なアニメを製作してyoutubeにアップしたり、インスタグラムやTwitter、FacebookといったSNSで作品を発信したり、デジタルアートを製作してNFTのマーケットにのっけてみたり、さらには流行りの絵師的な作風にトライもしてみたりと、できることはなんでもしましたが何の反響も得られないままでした。それはすなわち自分のイラストに魅力がないわけで、イラストは趣味の範囲に留めておいて会社員として普通に働いた方がいいということも理解できていないわけではありませんでした。それでも印刷会社を退職して30歳でフリーランスになって以来、婚期を逃してまでイラストレーターという夢にしがみついてやってきたのでした。
 週に2回、コンビニで夜勤のレジ打ちのパートに入っている他、工場などの短期・単発に特化した派遣会社に登録して工場の日雇いバイトをしたり、クラウドソーシングサイトにグラフィックデザイナーとしても登録して、組版といわれる書籍や冊子の印刷をするためのデータ作成や、チラシなどのペラものDTPデザインの仕事を受注していました。そうしてようやく築30年落ちのマンションのローンの半分と、共稼ぎと言える程度の生活費を家に入れ、化粧品やコンタクトレンズなど自分の身の周りのことをまかなえるくらいの収入が得られるのでした。
 コンビニのパートを夜勤にしたのは、日中にイラストの仕事の電話があったときに速攻で応答するためと、イラストの仕事のメールやスラックに秒で返信するためでした。
 コンビニバイトの収入がイラストの仕事の収入を上回る月も少なくはありませんでした。それでも陽子たちの誘いを「イラストの仕事の締め切りが迫っているので無理」と断る時、そこには自分はイラストレーターとしてやっているのだという精一杯の矜持がありました。

 最後の一本、三本目のマッチを擦ったら、銀行口座が7桁になっている幻を見られるかもしれない。いや、それよりも、有林堂8階のギャラリーでイラストレーション展をやっている自分の姿を見たい、梨々子はそう思いました。白い壁面に額装された原画作品が並び、入り口には出版社や画廊、オークションサイトなどから贈られた白やピンクの胡蝶蘭がズラリと並んでいるはずです。オープニングパーティーでは、アートシーンの重鎮や、新進気鋭のコレクターが駆けつけ、シャンパンを飲んでいるかもしれません。
「梨々子先生の作品は、アジアのマーケットで好評で、特に中国の富裕層の間では投機案件としても見られていて、最近ではずいぶん高値がついています」
「イラストというよりは、もはや現代アートの領域で評価されていて、画集も好評ですね」
「ロンドンのホワイトチャペル地区のギャラリーで、梨々子先生の作品を常設展示したいという話がきているのですが、うちのギャラリーを通してやらせてくれませんか」
などとささやかれるかもしれません。
 たとえ、それが単なる幻だったとしても、1年間、笑顔を絶やさずに二束三文の仕事を請け続けてきた年末のクリスマスの日に、そんな夢の一つや二つ見たって悪くはないはずではありませんか。

 寒さで震える手で、マッチ箱の中から最後のマッチを取り出した梨々子は、すっかり空っぽになったマッチ箱のなかを見つめました。これがアンデルセンの物語なら、流れ星が落ちる。だけれどもマッチを擦りたいという衝動には抗えませんでした。家に帰ったところで、雅紀との会話も、おいしいご馳走も、ましてや子どもの賑やかな声もない、つましく寂しいだけのクリスマスと大晦日と正月が待っているだけなのですから。

#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門


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