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ガイジンさんは治外法権?

下町で地味に育った小生からすると、山ノ手のお金持ちさんと並んでガイジンさん(近年では差別用語とも言われている、当時はそれが普通で逆に外国人は舶来品と同じで上位にあった)も苦手な部類であった。神戸という地域性から高校の同級生にも中国人や韓国人は数名いたが、普段彼らを外国人と意識することはない。家に遊びに行ったときに母国訛りが強いご両親の口調に違和感を持ったぐらいだった。

予備校にも通わずズルズルとフリーター暮らしをしていた小生は、英語ぐらいは勉強してみようと元町に古くからあるパルモア学院に通うようになる。そこは教師全員が英語のネイティブでいわゆるミッション系の学校。夜間に2時間だけの教室だったが、平日は毎日だったので多少は英語を理解できるように。そのおかげでたまに二楽園に来る外国人とも話してみたくなっていた。

その学びがあって二楽園ではジョニ黒のような変な名前のアメリカ人と仲良くなり、何度か遊びに行ったりするうちに神戸北野町にオープンするレストランバーで働かないかと誘われる。夕方から深夜の勤務だけど時間給が800円と聞き思わずOKしてしまう。ただ当時の時間給は400円ぐらいだったから「なんでそんなに高いの?」と聞いたら、「キミは英語が話せると言ってある」という返事。ブラフもいいところだ。「えっーー!」とかなり焦りながらも面接に出かける。

場所は北野異人館クラブの最上階。店の名はThe Attic。オーナーはマーティ・キーナート(後に東北楽天ゴールデンイーグルスの初代GM)。日本にはない本格的なアメリカンスタイルのインテリアは、ところ狭しとオーナー夫妻がコレクションしたアメリカ雑貨で飾られていた。近年でいうスポーツバーという感じ。お店の真ん中にはクラシックなジュークボックスがあり、実際に各テーブルから25セントでかけるようになっていた。なにしろ46年前のことだけに、日本人にとってまさにカルチャーショックの塊のようなお店だった。

オープニングスタッフは、バーテンのアランとサム、キッチンは関さん、ホールはシャーリーと甲南大学生のHIDE、そしてHIKOと呼ばれた小生である。メニューは本場アメリカン・ダイナースタイル。100%ビーフのハンバーガーはダイレクトな肉感があり、エッグベネディクトやスピナッチサラダなど昭和の日本では聞いたことのない料理ばかりだった。またバスケットで出される殻付きピーナッツは床に殻をそのまま捨てるスタイルで、一週間もすればフロア全体が殻だらけになり、たまに入ってくる日本人のお客さんはそれに驚いていたものだ。

オープン初日から神戸在住の欧米外国人たちの話題の場所として賑わっていた。マーティは神戸の製靴会社の役員をやりながら日本に来るMLB選手のサポートする敏腕ビジネスマン。殆どの外国人選手は来ていたが、なかでも阪神のラインバックやブレーザー監督はよく目にしたものだ。まあ、本国のアメリカにいるようで落ち着くのだろう。バーテンのアランも淋しくなると頻りにジュークボックスでお気に入りの「lonesome cowboy」をリクエストしては故郷を思って歌っていた。そういえば1978年は映画のサタデーナイトフィーバーが日本でヒットする直前で、The Atticでは辟易するほどのヘビーローテーションでBee Geesがかかっていたのを思い出す。

とある真夏の夜のこと、イブニングドレスを着た白人さんが次々に入店してきた。どうやらすぐ近所にある白人専用のKobe Clubでパーティがあったらしく、二次会の店としてマーティが連れてきたようだ。で、何がショックかというとロングドレスを着ている女性の背中は、腰の辺りまで丸見えで目のやり場に困るほどだったのだが、若かった小生が興奮するかというと意外とそれほどではなかった。女性とはいえ欧米人の立派なガタイと金色の産毛立った背中は、まさに外国人さんそのもので、例えるなら、初めてゴールデンレトリバーと出会った柴犬という感じだった。

そういえば常連客のピーターの誘いでKobe Clubに出かけたことがあったのだが、それはまさに異国情緒満載であった。クラブハウスはリゾートホテルのようで館内には映画の「エマニエル夫人」で観たようなスカッシュのコートもあった。広々とした庭にはプールがあり、そこで欧米の人々がきわどいビキニで日光浴をしていた。彼の案内で泳ぐことになったのだが、突然に係員が寄ってきて退出を彼に伝えていた。「イエローは立ち入り禁止だ」とのこと。ピーターは中国系とはいえメンバーだから問題はない。つまりは小生のことである。そうするとピーターは激怒する。「私のゲストに失礼なことを言うな!」とカウンターを食らわす。しかし空気が悪くなったのでやっぱり帰ることにする。まったく難しい話だ。神戸でありながら神戸ではない場所があるのだ。それは今も日本全体で当てはまるケースが多い。

小生は外国人の違いはまったく分からなかったが、The Atticでバイトするようになり、なんとなく国別で分かるようになる。例えば英国人は背筋を伸ばしてグラスを胸の位置に持つイメージ。アメリカ人は派手に店内をウロウロする感じ。フランス人はボックス席で仲間とワイワイするかな。ドイツ人は難しそうにカウンターで独りで飲んでいた。まあ、それは常連さんイメージなんだけど色々と行動パターンに違いがあって面白かった。で、日本人はというと、団体で恐る恐る入店して会員制と聞くとまずはボトルキープ(サントリーのリザーブ15,000円)、ボックス席に陣取って色々と注文すると安心していた。それに対して欧米の人は無駄なモノは一切頼まず伝票も厳しくチェックし、支払いには本当にうるさかった。

ただ外国人のスタッフと世間話をしていて困惑したのは、駐禁や一旦停止違反で捕まったときに日本語が話せるくせに英語でまくし立ててごまかそうとすることや、訳の分からない英語の身分証明で学割をしてもらったりすることだ。とにかくいちいちせこい。基本的に日本をなめている。ある夜には近所の交番に営業時間の違反で呼び出されたときも「HIKOさんが代わりに行ってください」と小生が謝り行く始末。そんな調子だから小生のバイト代がけっこうな金額になると「HIKOさんは今月から正式なスタッフです。だから月給制です」と本人の確認無しで10万円近く削られる(税金や社会保険を天引きすればそれくらいかも)。いま思えばオーナーの高評価だったのかもしれないが、情けないことに当時の小生の社会経験レベルでは手取りが少ないことに腹が立ってそのまま辞めることになる。外国人相手の場合には交渉事は大切で、納得できなければはっきり「No」と言わない限りはそのままになってしまうことを学んだ19歳の夏であった。







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