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京都銭湯巡り | GWの波は銭湯にも

流れ出る水音が静寂を纏い耳から緑あふれる谷間にいざなわれいつの間にか目の前にはどこまでも澄んだ小川が旋律のように揺れ流れる。そんなぶっ飛んだ感覚の世界へとおみまいされたのは、ぽつんと一人貸し切り状態になった時のことだ。京都の銭湯ではタイミングが合えば気付くとぽつねんと周りに誰もいなくなることがある。そんな時、水風呂なんかに入ってしまっていると内側へと意識の集中力が強まりあっというまにぶっ飛んでしまうのだ。加えて「お先です」と常連らしきおばあちゃんが見ず知らずのわたしにまで優しく声を掛けてくれるような心がほっこり解けてしまいそうな銭湯は最高だ。しかし、GWというのは恐ろしいものでその完璧な旋律がぐにゃりぐにゃりとうねりを帯び別物に変えられていってしまう。

今日はやはり人が少し多いかなと感じながらすっぽんぽんに脱皮した衣を入れた籠をロッカーに直そうとするが直せない。若めな女子2人が床に荷物を広げロッカーの前でそのまま衣服を脱いでいるのだ。京都の銭湯では脱衣所に籠が備えてあるのでその籠を持って状況に応じて空いているスペースを見つけ着替えをするというのがスーパー銭湯との違いの一つである。わたしが困っていると常連らしきおばあちゃんが「ここ使いたいんか?」と声を掛けてくれ彼女らの前にさっと手を伸ばしロッカー扉をひとつ開けてくれ、誰も嫌な気持ちにならないニコニコとした優しい笑顔でさりげない助け船を出してくれた。

京都一周トレイル東山コースを歩き切った体は汗で湿っている、頭からお湯をかぶっていると「これ使ってもいいですか?」、「どうぞ」というやりとりが入り口の方から響き聞こえ「これ使ってもいいですか?」の方の声の主がわたしの左側の視界をちらりとかすめながら洗い場の一番奥へと腰をおろした。全身綺麗に洗い終えたわたしは、疲れた体を泡風呂へと放り込み体の面という面に勢いよく吹き出る泡を打ち付けた。

サウナ室から一人出てくるのが見えた。常連らしきそのばばあはサウナ室すぐ前の洗い場に自分のシャンプーリンスなどを置き陣地を築いていたようだが、その前で立ち尽くしたまま一瞬フリーズし、くるりと方向を変え入り口の方へ向かうと椅子を手にして戻って来た。そういう事か、脳内でくるくると時間を巻き戻す。銭湯では湯に浸かる時もサウナに入る時も体を洗うのに使用した自分の物を洗面台の前から基本どけない、どける必要があるほどに混まないからだ。かつ、スーパー銭湯のように椅子と桶がはじめから鏡の前にひとつひとつ設置されているのではなく、入り口から自分で持っていくスタイルなので、一度洗面台の前に座ると浴室を出るまでそこが自分の陣地となる。そしてその主不在の陣地にあった椅子をその隣の隣に座っていた前述の若め女子2人が「これ使っていいですか?」と尋ねられ、彼女らはなぜか「どうぞ」と許可を出しサウナから出て来た常連ばばあをフリーズさせたのだ。

「あっちっ」と小さく連呼しながら青い髪色をしタトゥーの入ったばばあが泡風呂に入ってきた。「これ使ってもいいですか?」の声の主だった。「ここめちゃくちゃ熱くないですか?」と声を掛けられたので「京都の銭湯って熱いですよね」と返した。京都の湯はどこの銭湯も大抵ケツが慣れるまでになかなか時間がかかる程に熱いのだ。「水出していいですか?」と同意を求められた。共犯にしないでほしい、とまず頭の中で警戒令が鳴り響き、「わたしここの常連でもなんでもないんでわからないです」と答えた。そもそも蛇口をひねったからといって出るものなのかと疑問を抱いた、なぜならそんなことをしている人を見た事がなかったので勝手にいじれないようになっているのではないかと思っていたからだ。青髪ばばあが「まあいっか」と言い蛇口をひねるとわたしの想像に反しジョジョジョジョと勢いよく泡風呂の中に水の進軍が遠慮なく迫りくる。お湯はみるみるとぬるくなってゆき、京都の湯どす、というどやさ感はたよりなくどこかえ消えていった。

青髪ばばあが蛇口の水を止める気配はいっこうにない。こんなに水出して大丈夫なんか?不安が募ると同時にふと視線を感じちらと左を見やると、先程の椅子を奪われた常連ばばあが洗い場からこちらを見ている。やばいやばいやばい、すると急に静かになった。青髪ばばあが蛇口をしめたのだ。常連ばばあの視線に青髪ばばあが気付いてのことなのか、ただもう気が済んだだけなのかどうなのかは定かではない、が、ばばあ同士のバトルほど関わってはいけないものはないときちんと心得ているので、わたしはそっと泡風呂を出て隣の湯船に移動した。

一瞬どぎまぎしたが、ばばあのバトルは起きる気配なく、わたしはゆっくりと熱い湯に浸かった。というのもサウナに入る前にまず湯舟でしっかりと体を温めるのがわたしの好みだからだ。そして、いざ!とサウナの扉を開けるがそこにわたしのケツが入り込む隙はなかった、なかったのだが、白いタオルで一枚場所取りされている個所があった。なぜ4人しか入れないサウナで場所取りをするのか、、、と、とぼとぼ湯舟にもどると、ロッカー前で着替えをしていた若め女子がサウナ室へと戻っていった、またもお前か、と思ったが仕方のないことだとわかっていた。常連ばばあはサウナ室で場所取りをしている、それが狭かろうが広かろうがそんな事はまったくもって関係ない。なので、きっとこの若め女子2人も入り方からしてサウナ初心者で常連ばばあの真似をしたに過ぎないだろうと納得できていたからだ。

現に若め女子2人は短時間サウナ室にいたあと、水風呂にも入らず軽くシャワーを浴びるというのを2回程繰り返しただけで、サウナ室の己の陣を撤退させた。

ここでひとつ宣っておきたいのは場所取りをする常連ばばあを非難しているのではないということだ。そして、ばばあと呼ぶのも某女性サウナドラマに影響され、親しみとその方がなんだか愛らしい感じがするのでそう呼称しているだけである。常連ばばあが銭湯から消えてしまえばそれすなわち銭湯存続の危機に関わるということだ。日々の銭湯経営の一助となっているのは常連ばばあの存在に他ならない。わたしなんぞはほんの一時お邪魔させてもらっているに過ぎず常連ばばあのこれまでの課金額に比べたらすずめの涙程にも満たないのだ、故に京都の銭湯へ行くと周囲をよく見渡しその銭湯での暗黙のルールを自分が見逃し乱さないよう注意を払い、自分では考えられないような行為を見かけてもすっと心の鐘をリーンと鳴らしその場に適応するようゆっくり心を静めてゆくのだ。

若め女子2人が出た後、それでもなお狭いその空間にすみませんと吐息のように小声で断りを入れ小さくペコリと頭を下げつつやっとこさ我がケツを下ろすことができた。

そうこうしている内に常連ばばあ達も風呂場を後にし、3回目のターンでサウナ室を独り占めできる時間がやってきた。しかし、サウナに入るであろう装備を携えた人が新規で2人洗い場に増えていたので独り占めはこのターンのみだろうなととことん1人を満喫した。混雑とも言えない程度の人出だがGWはやはりいつもと様子が異なるのだなと思った。

京都の銭湯には基本外気浴できる場所がない、なのでわたしは洗い場で椅子に座り休憩するのだが、この銭湯のいい所は洗い場が壁に沿ってだけでなく、それと並行する形で壁からは独立してもう一列あり、壁側の洗い場を使えば後ろにもたれかかる事ができるという点だ。ここの銭湯のお気に入りポイントの一つである。しかしそれも人が少ない時限定でできることであって、この日はなるべく控えるようにした。

そろそろ出ようかと最後に頭と体をもう一度洗おうとしていた時、一つ開けて隣に常連らしきばばあが腰を下ろした。常連というのはたいていでかいシャンプーリンスのボトルやらを自前のプラスチックカゴに入れてやってくるが、このばばあは手ぶらであるらしかった。ここの銭湯には一応シャンプーとボディーソープが備え付けてあるが、女湯なのに何故かリンスがないのが謎だ。

京都のばばあは椅子ではなく地べたのタイルにケツを付いてそのまま座る人がまあまあいる。身体的理由でというわでもなさそうな人も皆普通にケツを付く。マットを引いたりする人もいるが、初めて見た時はびっくりした。ひとつ隣にきたばばあももれなくタイルにケツを付くスタイルで備え付けの洗剤で体を洗いはじめた。さっさと洗い終えると湯舟に向かうのだが、すぐに戻ってきてまた洗いはじめた。わたしはシャンプー中だった頭を流し終え顔を上げた、すると一つ隣で頭を洗っていたのは先程のばばあではなく今日初めて見る若い女子で、その彼女の頭上後ろから先程のばばあがプルプル手を伸ばしている。ばばあの手を伸ばす先を見ると、女子の座る鏡の前の小さな段差部分に透明の小さなクレンジングボトルが一本置かれてあるではないか、ばばあは手ぶらではなくクレンジングボトルを一本携えて来ていたらしかった。シャンプーであわあわになった頭を下に向けている彼女は一向に気付く気配はなく、ばばあは懸命に手を伸ばす、やっとこさでボトルを掴み取る事ができたばばあは静かにその場を去っていった。椅子、桶、色々詰め込んだプラスチックカゴ、この三種の神器を置いていてさえも陣地が崩れ落ちるこのGW期間中に小さな透明ボトル1本でそれを死守するというのはやはり難しかったか、とまたもや陣地が崩れ落ちる様を目撃したのだった。

しかし文句を言うようなばばあはここには一人もいない。銭湯によっては常連と、わたしのようにサウナブームでやってくる新規の客とでトラブルが起こるのか注意書きが至る所に張られている様子を見かけたことがあるが、この銭湯にはそういった物騒な張り紙はない。ここに集う常連ばばあの心の器がでかいということなのだろう、だから新参者のわたしでも居心地良く過ごさせてもらうことができる、とますますここの銭湯が好きになった。そんなあれやこれやを思い、懐深きばばあの存在のありがたみを感じた、銭湯で過ごすGWのひととき。

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