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お天道(てんとう)様が見てるよ

おはようございます。ゆかりえです。


小さい時、祖母から良く言われた『おてんとう様が見てるよ』
この言葉は、今でもずっと心の中にあります。

『おてんとう様が見ている』とは


いくら隠れて悪さをしても、いつかは明るみになり、
それなりの罰が下る、悪事を働けばいつかは天罰が下るという意味です。

「そんなことをしたら、罰(ばち)があたる」
「この罰(ばち)あたりが・・」
「隠したってお天道(てんとう)様が見ているんだよ。」など。


この言葉を知っている方は、たぶん私と同年代かそれ以上の年代の方
なのかもしれません。


辞書によると「罰(ばち)があたる」とは、
神仏が人間の悪行を罰して、懲らしめ償いとして苦しみを与えること。

また、こんな話を今の若い人たちが聞いても
「何が神仏の罰だ、何がおてんとう様が見ているだ・・・。
そんなのただの迷信だ」と相手にされないかも知れません。

「罰があたる」「おてんとう様」という言葉も死語になってきたように感
じます。

しかし、これらの言葉が死語になっていく一方で、
「バレなければ何をやってもよい。バレたらバレたで弁償すればいいだろう。」
などと考える人が増えてきたようにも思えます。

人間として外してはいけない道、
社会の基本的なルールを守っていく歯止めとして先人たちは、
「罰があたる」「おてんとう様」などの言葉を使ってきたのでしょう。

それが日本の文化として受け継がれ、
日本人のよさを作り上げてきたのではと思われます。

忘れた荷物、落とした財布がきちんと届けられること、無人の販売所が成立することなどはその端的な例と言えるでしょう。

しかし、それらも最近では少々怪しくなってきましたよね。

これらの言葉が意味するものをしっかり受け継ぎ、
その言葉を知っている人たちは、
子どもたちにも伝えていかなければならないように思います。

私の『罰があたる』エピソード


3歳ぐらいだったでしょうか、こんな出来事がありました。

それは、近所のお墓に供えてあったお花を持ち帰った事です。

私にとっては、野山に行って花を摘むのと同じ感覚でした。

とても綺麗なお花だったので、持って帰って
家族に見せてあげようと思ったのでしょう。

案の定、母親からは、
「なんてことしたの! 罰があたるから、すぐに戻しておいで」と。

しかし、祖母は優しくこう言った。
「花取りは、泥棒にあらずよ」と。

でもやはり、罰があたるのは嫌だったので、すぐに返しに行きました。

日本にはいろいろな言葉があるものです(笑)


私が思う『おてんとう様』とは


『おてんとう様』とは自分自身ではないかと思っています。

悪い事をすれば、他人は見てなくとも自分は知っている。
その体験は、ずっと心の中に留まり続け、自分を苦しめる事になります。

逆を言えば、良いとされる行いをすれば、
その体験は、心を満たし、幸せな気持ちでいられるのではないかと思います。


おわりに


私自身、何かをする時にいつもこう心に問いかけます。

それは自分に正直な事か?
人の嫌がる事ではないか?

その結果、誰かに見られてても見られてなくても悪い事が出来ない、
嘘がつけない性格になったのかもしれません。笑


今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました🌺

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