複雑な人

大学生。法律の勉強をしています。noteでは、法律に全く関係なく自分が考えたことを書きます。文章を書く練習です。 正しいことを書きたいと思っています。

複雑な人

大学生。法律の勉強をしています。noteでは、法律に全く関係なく自分が考えたことを書きます。文章を書く練習です。 正しいことを書きたいと思っています。

最近の記事

歩いていく

人生という言葉はよくそれを「歩む」というふうな言い方で表現される。 「歩む」ということはどこかしらに向かっているはずだ。目的のない歩みもあるが、それでも歩くということが前に進むということである以上、歩くときに私たちはどこかしらへ向かっている。 「歩く」という行為に執着して人生というものを考えてみると、人生に意味なんてないとも言い切れないことに気がつく。なぜって、生きている限りどこかしらには向かっているのだから。 脱線するが、そもそも私はなぜ歩いているのか、このことについ

    • よいということ

      「よい」ということが一体どういうことなのか、その構造について考えてみようと思う。 「よい」とは何か。それは取り敢えずは「私にとってプラスのことである」ということができるだろう。ただし問題は二つあって、一つは「私にとって」とはどういうことかという問題、もう一つは「プラス」とはどういうことかという問題である。 まず先に「私にとって」に関する問題を考えよう。「私にとって」とは言い換えれば「他の誰でもなく」私にとってということである。これは「よい」という言葉については「私」という

      • 物語を生きる

        最近ずっと、人間は物語の中を生きているのではないかという感覚を抱いている。それは例えば江戸時代の人からすれば自分たちの今の格好はどれだけおかしなものなんだろうかと想像する時の気持ちを常に抱いているような感覚だ。いつも目の前の光景が相対化され、偶然のものに見える。他にも色々な可能性があったのに何故か偶然今目の前のような光景が現実のものとなっていることを思い、他の様々な可能性の中で今の光景を相対化させる。なんとも奇妙な感じだ。 だからこそ人間はその奇妙さ、もっと言えばその不安か

        • 政策立案コンテスト決勝進出

          無いということと、無いことを考えるということ

          死とは何かを考えるにあたっては、そもそも生きているとは何かを考える必要がある。生きているということは、私が存在するということである。だから、死とは私が存在しないということ、つまり無であるということだ。 もし仮に死後の世界があったとしよう。その場合「死後」というときの「死」は単に私の肉体の死を意味するのであって、生きているという事態が否定されるのではない。なぜなら、初めに定義したように生きているとは私が存在するということであり、「死後」の世界があると認識できている以上何らかの

          無いということと、無いことを考えるということ

          最近本を買いすぎてお金が節約しようと思った。といってもそんなに使ってないと思うけど。どこから手をつけようか。とりあえずnote読もう、

          最近本を買いすぎてお金が節約しようと思った。といってもそんなに使ってないと思うけど。どこから手をつけようか。とりあえずnote読もう、

          甲子園を見て考察

          バイトから帰って甲子園をちょっと見た。 部屋に戻ってふと自分が彼らよりも年上であるという事実に気がついた。私は現在大学生。彼らは高校生なのだから絶対に彼らが年下なのである。私はそれが信じられなかった。 私の感覚としては二十歳くらいまでだと年齢の一年一年の重みが違う。だけどそれ以上になってくると次第に一年上とか下とか関係なくなってくる。そんな気がする。それは、二十歳までが一番体の成長が盛んな時期だからという物理的な違いもあるかもしれない。しかし、一概にそれだけが理由ではない気

          甲子園を見て考察

          善人と悪人

          この世には善人しかいない。 善いということは悪いことなのではなくて善いということなのだから、人は善いことしかできないはずである。これはプラトンの話だっただろうか。確かに論理的にはそうである。問題は、自分が善いと思っていたことが時を経て実は悪いことなのだったと知り、本当は悪いことだったということがあることだ。だから、大切なのは正しい知識を身につけることである。正しい知識を身につけることができれば、人は真に善いことをすることができるからだ。 さて、しかしこれは人が究極的に利己的

          善人と悪人

          世界は偶然でありかつ必然

          本を読んだり、あるいは色々考えたりしていると世界の偶然性と必然性について思いを致すことがたまにあります。今日はそのことについて、簡単な証明をしていこうと思います。 世界が偶然であることの証明 まず、必要になるのが「現実」と「可能性」という概念です。 現実とは既に決定してしまっている出来事のことを指します。時制で表すと過去や現在完了、現在進行形などが当てはまります。 可能性とは、もしかしたら起こるかもしれない色々な出来事のこと指します。自制で表すと未来などです。 ここ

          世界は偶然でありかつ必然

          責められる時の体の力み方

          人は他人に責められると体をもじもじさせます。或いは、人に責められると体が動かなくなります。ふとこのことが不思議に感じられたのです。 今回は、このような、人に責められた時の自分のことをもっと詳しく思い出してその現場を言葉で表現しようと思います。 ①自責の念でいっぱいになる相手のことを舐めている時や自分は悪いと思っていない時、責められている自分を俯瞰的に見て自由な態度を取ることができます。だからこそ、相手に対して丁寧な姿勢をとることができます。ただ大概は器量が小さいために行動

          責められる時の体の力み方

          今日は三日連続勤務のバイトの最終日。終わったら本読もう。最近何をするにしても自分は極端だと思う。勉強するときはかなり自分を追い込むが、YouTubeとか見る時は一日中見る。そういうのを自分でコントロールできない。だけど、その自分ってなんだろう。誰が誰をコントロールするのか。

          今日は三日連続勤務のバイトの最終日。終わったら本読もう。最近何をするにしても自分は極端だと思う。勉強するときはかなり自分を追い込むが、YouTubeとか見る時は一日中見る。そういうのを自分でコントロールできない。だけど、その自分ってなんだろう。誰が誰をコントロールするのか。

          ふと、思い立ってnoteを書きます。noteを見てもらうためにはできるだけ毎日書いたほうがいいんだろうなと思いつつ、書きたいことも無いのでそのままにしていましたが、とにかくちょっとしたことでもせめて「つぶやき」で書こうと思います。あと、編集で見やすい記事も書きたい。

          ふと、思い立ってnoteを書きます。noteを見てもらうためにはできるだけ毎日書いたほうがいいんだろうなと思いつつ、書きたいことも無いのでそのままにしていましたが、とにかくちょっとしたことでもせめて「つぶやき」で書こうと思います。あと、編集で見やすい記事も書きたい。

          未来に転ばされない

          #未来のためにできること そもそも、未来とは何だろうか? こんな哲学的な話から「未来」について考えてみよう。なぜって、未来とは何かが分かって初めて、「未来のためにできること」が分かるのだから。現代人は、この世の正解なんてないのだと腑抜けたことを言っておきながら、実は切実に正解を求めているのかもしれない。だから、いきなり「未来のためにできること」から考え始めてしまうのだ。 よく考えれば、「未来」なんて存在しない。日本語の文法に従えば、今は存在する、過去は存在した、だが未来

          未来に転ばされない