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シェーカーの自給自足と物作り 2/2

前回に引き続き

シェーカーの自給自足と物作りについてまとめていきます。


自給自足の物作り

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エンフィールドチェア


UNOHで製作するエンフィールドチェアは彼らが自分たちの生活の中で使用していた椅子を参考にして製作している物です。

このタイプの椅子は、シェーカースタイルを代表するユニークな椅子としても知られています。シェーカー独自の物作りが生まれ、そして作り続けられた要因として、自給自足と社会との分断はとても重要な視点と考えられます。

コミュニティ創設の1780年頃から1830年、1840年頃の最盛期にかけて、彼らの物作りは、あくまで彼らの生活をより良い物にするために発展していきました。この時には、信徒が作り手であり、同時に信徒が使い手でもあります。

写真資料などで見る、足が当たれば倒れそうなほど繊細で軽いオリジナルの椅子やテーブル、スタンドは、どれも信徒が使うことを前提とした、彼らの生活の丁寧さを想起させられます。


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この自給自足による「生活のために必要な家具や道具を、自分たちの手で作る」という素朴な発想は、ある時代においては、徹底した社会からの隔離という特殊な事情によって、市場、流行を退け、純粋な状態で継続されたと言えます。

これは現代的な特定の企業が商品として作る物や、デザイナーや芸術家が自分の想いを形にすることとやはり異なる物に感じられます。

加えて、彼らの捉える「生活」それ自体が、非常に宗教的で特殊な生活であったことも彼らの独自性やシェーカーらしさを生む大きな要因であったと考えられます。

しかしその後、南北戦争の頃を境に、信徒は減少を始め、教団としての活動は減衰の一途をたどります。加えて信徒の高齢化により、これまでのような自給自足の維持が困難な状態に陥ります。


自給自足の生活から分離する物作り

おおよそ1860年から1870年頃からシェーカーのコミュニティは、その存続のために外の社会との接触を回避することができなくなっていきます。その様子は、外部の労働者の雇用によるコミュニティ経済の維持、マウントレバノンサウスファミリーによる椅子の大量生産と外部への販売、運営難によるコミュニティの合併などから知ることができます。

この頃からコミュニティ内で生活のあらゆる物を賄うというテーマの達成は非常に困難な物になり、コミュニティ、組織といった「シェーカー」それ自体の継続をいかに行うかという課題に直面することになります。

社会との繋がりという点で言えば、実際には種子や衣類などを外部に販売する事業は、コミュニティ創設期から積極的に行われており、よく知られたものでした。

しかし、その時の彼らの事業とは、あくまで彼らの生活を根本から成り立たせることを目的とした経済活動ではありませんでした。それは安定した自給自足のための環境と労働が揃っていたからでもあるでしょう。後年の彼らの椅子製造の事業は、彼らの生活を維持するために必要に駆られた事業である点で、上記とは趣が異なります。

彼らの培った物作りの技術や優れたデザインは外部社会にも歓迎され、椅子の生産、販売は非常に好調だったと言われています。

椅子の製造事業を担うサウスファミリーでは、椅子の規格化、チェアカタログや価格表の作成による販売促進、これまでとは異なるタイプのサイドチェアの製作にも取り掛かります。自給自足を離れ、市場に参入、適応する大きな変換点でもありました。

これまでの自給自足による「生活のために必要な家具や道具を、自分たちの手で作る」という発想から、変化した「外部社会で使用される椅子」としての商業的視点の導入ともとることができます。

この頃にマウントレバノンで制作された椅子を基に、UNOHではレバノンチェアを制作販売しています。


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レバノンチェア

もし機会があれば、ぜひ実際に座り比べていただきたいです。エンフィールドチェアとレバノンチェアにどのような違いを感じられるでしょうか。


椅子販売の成功にあっても、1860年以来、減少を続ける信徒をかつてのように取り戻すには至りませんでした。19世紀末から20世紀初頭にかけて、いくつものコミュニティが閉鎖され、最盛期のような教団としての活動は事実上停止しました。

このように自給自足の視点に立つと、彼らの物作りの環境や条件、意識の独自性に気付きます。彼らの根底にあった素朴な発想と、時代と共に変化する姿勢にもまた、シェーカースタイルのあり方の深さを感じます。

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