白木克洋

シェーカースタイルの家具の制作、復元と書籍・文献調査を通して、シェーカーの人々の物作り…

白木克洋

シェーカースタイルの家具の制作、復元と書籍・文献調査を通して、シェーカーの人々の物作りとその生活の精神性や考え方への理解を深めるための備忘録になります。

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「シェーカーに何を学ぶか」ーはじめに

このノートについて 「シェーカースタイル」の家具の制作、復元と書籍・文献調査を通して、シェーカーの人々の物作りとその生活の精神性や考え方への理解を深めるための備忘録になります。 参考文献・資料 シェーカースタイル 18世紀後半からおよそ200年に渡り、アメリカ東部を中心に共同体を作り、生活をしたシェーカーの人々。彼らが作り、使用していた家具は、現代家具様式、デザインの源流の一つとして多くの影響を与えています。

    • Fieldwork #2 Watervliet 2/2

      Watervlietの位置する現在のオルバニー周辺は、特に森林と土壌の問題、特に沼沢地のような土地であった。そのため、当時、シェーカーの人々は比較的安価にこの土地を購入することが出来たそうだ。 彼らの入植における開墾作業において、木の伐採と地質の改善が急務となった。 彼らは溜池を作り、その土で周辺を埋め立てることで、徐々に居住と農業の可能な土地へ改善していった。 今もWatervlietサイトにはAnn Lee Pondという大きな池が残る。 池の周りをハイキングすること

      • Fieldwork #1 Watervliet 1/2

        今回のフィールドワークは、アメリカ北東部と中西部にあったシェーカーコミュニティ跡を3週間かけて巡る計画である。 アメリカ北東部はニュージャージに住む友人宅を拠点に、通訳から食事、運転まで大変お世話になった。感謝の言葉しかない。 まず初めに、拠点であるニュージャージーから北上し、2時間ほどで訪れることのできるAlbanyへ向かった。 ニューヨーク州の州都は大都会ニューヨークではなく、実はここAlbanyである。 道中はカナダの山火事による不穏な空気もあったが、アメリカ東部の

        • シェーカーに何を学ぶか:フィールドワークの予定

          あっという間に6月になり、慌ただしく日々を過ごしています。 変わりなく家具製作と資料研究を並行して進めています。 さて、1週間後この6月末から7月の中旬にかけてアメリカへ訪れる予定でいます。 シェーカー家具の現物を間近で見ることと、シェーカーコミュニティーの跡地を見学することが主な目的となります。 今回、私は初めて各コミュニティの跡地に訪れることになります。非常に楽しみで待ち遠しい限りです。 シェーカーコミュニティーは最盛期の1830年ごろに約19カ所に広がりました。短

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        「シェーカーに何を学ぶか」ーはじめに

          「シェーカー家具」と「シェーカースタイル」

           今回は、今月15日、16日に京都文化博物館にて開催される『きょうと椅子』にて、一部配布させていただいたUNOHによるシェーカーについての紹介文に、詳細を少しだけ加筆したものになります。  シェーカーは18世紀半ばにイギリスで活動を始め、1774年に指導者であるアン・リーが数名の信徒を引き連れアメリカに渡りました。イギリスでの黎明期には明確な教義や理念は存在せず、アメリカでの宗教コミュニティの建設を期に教団としての骨格を確かなものとして行きます。  開拓期のアメリカにおいて

          「シェーカー家具」と「シェーカースタイル」

          シェーカーの自給自足と物作り 2/2

          前回に引き続き シェーカーの自給自足と物作りについてまとめていきます。 自給自足の物作り エンフィールドチェア UNOHで製作するエンフィールドチェアは彼らが自分たちの生活の中で使用していた椅子を参考にして製作している物です。 このタイプの椅子は、シェーカースタイルを代表するユニークな椅子としても知られています。シェーカー独自の物作りが生まれ、そして作り続けられた要因として、自給自足と社会との分断はとても重要な視点と考えられます。 コミュニティ創設の1780年頃か

          シェーカーの自給自足と物作り 2/2

          シェーカーの自給自足と物作り 1/2

          シェーカーは18世紀後半から20世紀にかけてコミュニティを形成し、自給自足の集団生活を志しました。 コミュニティはビレッジとも呼ばれ、シェーカーの人々は単にハンコックやマウントレバノンと言った名称で呼んでいたそうです。彼らのコミュニティ、ビレッジは最盛期には19ヶ所に広がりました。 彼らはいずれのコミュニティでも、自給自足というテーマの下で物作りを始めました。 自給自足と物作りのテーマで二回に分けてまとめていきます。 シェーカーの自給自足 シェーカーはアメリカに渡り数

          シェーカーの自給自足と物作り 1/2

          その背景を探ること

          シェーカーのものづくりという言葉が指すものは、非常に幅が広く、200年近く続いた教団としての「大きく一般化された活動」としても、その時代に生きた「個人の営み」としても捉える事ができます。 このようなスケールの違いに注意を払った上で、掘り下げていくことでも、また新たな学びがあるようにも感じています。 シェーカーのものづくりという言葉は、一般的には教団としての、総体的なものづくりを指しているように思います。 壁にかけられた椅子、積み重ねられたオーバルボックス、壁一面の建具の

          その背景を探ること

          オーバルボックスから知る

          シェーカーの物作りを代表するアイテムのOval Box オーバルボックス。時代、コミュニティによってさまざまなサイズで作られたオーバルボックスは、住居や作業場で利用され、ハーブやスパイスの保管や粉末状の物や釘、ボタンのような細やかな物から、液体を除いてはほとんどの物を収納する用途に使われていました。 サイズの多様さやその数には、シェーカーコミュニティにおける整頓、収納の重要さがよく現れています。 UNOH Oval Box No.0 to No.5 (Maple) シェ

          オーバルボックスから知る

          シェーカーにとっての『共同体』

          かつてシェーカーの人々は共同体を形成し、自給自足の集団生活を行い、その宗教ソサイエティーはアメリカの建国期から20世紀半ばまで続きました。 ベンチや大きなテーブル、大容量のキャビネットなど大人数で利用するための家具や建具が、シェーカーの各コミュニティで用意されたのも、彼らが共同生活を営むことに起因しています。 開拓、建国、南北戦争といった混乱期のアメリカにおいて、シェーカー独自の文化やライフスタイルが醸成された背景には、共同体経営を基盤とした長期の生活環境の安定がありまし

          シェーカーにとっての『共同体』

          シェーカーの黎明期とその背景

          シェーカーの人々、創始者であるアン・リーを含めた9名の信徒がイギリスからアメリカへ渡ったのは1774年のことです。 アメリカではその翌年から独立戦争が始まり、イギリスの支配からの脱却を試みる、まさに独立前夜と言える時代でした。 シェーカーという宗教集団の源流となるのは、イギリス発祥のクエーカー教、及びカミザールの乱を逃れたフランス人預言者たちと言われています。 ルターの宗教改革以降、キリスト教内部での多様性が広まり、それに応じてカトリックによるプロテスタントへの抑圧、プ

          シェーカーの黎明期とその背景

          労働の原動力について

          シェーカーの人々は勤勉かつ意欲的な労働者として知られます。 丁寧な仕事をする職人集団のものづくりとしてシェーカースタイルのアイテムは今なお、人を惹きつけるものでもあります。 その労働、仕事の原動力について書いていきます。 これまでにも触れてきた通り、シェーカーの人々は積極的に分業の制度や電気、機械を導入し、自分たちの労働環境を快適にするよう努めました。 そこには労働が苦行、修行のような類の物ではなく、神との繋がりを見出す神聖な行為であると考えていたことが大きく関係しています

          労働の原動力について

          軽さという実用性

          シェーカー家具の特徴、魅力の一つに『軽さ』があります。椅子やテーブルをはじめとした家具類も、オーバルボックスやオーバルキャリアといった収納道具類にも一貫して『軽さ』を感じることができます。 これは実際に手にとった重量にも明らかですが、また見た目の印象としても感じることができるのではないでしょうか。 シェーカーの人々にとって『軽い』ことは実用性に直結していました。これは彼らの暮らしの中で家具を移動すること、道具を持ち運ぶことが頻繁に行われていたからでもあります。 衣類やキャ

          軽さという実用性

          『同じもの』づくりを続けたシェーカー

          シェーカーのものづくりは自分たちのコミュニティで使用するための道具としての側面とコミュニティ外の人々に向けて販売するための商品の側面の二面性を持ち合わせています。 そしてその二面性はシェーカーのデザインの長い歴史の中での統一感を生む要因ともなっています。 19世紀後半のマウントレバノンでの生産体制の確立までは、各コミュニティでそれぞれの時代に、自分たちのためにものづくりが行われました。 基本的に自分たちが使用するための家具や道具はシェーカーの平等な暮らしの実現のために、誰も

          『同じもの』づくりを続けたシェーカー

          椅子を編むーテープシート

          シェーカーチェアの座面は織物のテープを格子状に編み込んだ座面が代表的です。 柔らかさと安定感を兼ね備えた手作業ならではの座面のように感じます。UNOHにおいても、展示や特注などの特別な機会を除けば、殆どの椅子がこのテープによる座面です。 初期のシェーカーチェアにはウール素材のテープが使用されていましたが、後にコットン素材へと移行していったようです。 それより以前はラッシュや籐といった天然素材が用いられていましたが、織りの技術の向上と共に、天然素材に比べ扱いが容易で、耐久

          椅子を編むーテープシート

          シェーカー家具における平等性

          シェーカーの人々はコミュニティー内で利用するために家具や道具を自分たちで製作しました。その他にも衣類や建築、食料といった自給自足の理念は彼らの共産的集団生活の中心に据えられたものです。 幸福や安息を体現する地上の楽園を標榜し、最盛期には6000人を超える教徒が複数のコミュニティを展開し、アメリカ東部を中心に集団生活をしました。彼らの幸福や安息についての考え方は、信仰に基づく極めて宗教性が濃い部分であり、また場を改めて考えられればと思います。 実際に男女、人種、職種、その境

          シェーカー家具における平等性