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『同じもの』づくりを続けたシェーカー

シェーカーのものづくりは自分たちのコミュニティで使用するための道具としての側面とコミュニティ外の人々に向けて販売するための商品の側面の二面性を持ち合わせています。
そしてその二面性はシェーカーのデザインの長い歴史の中での統一感を生む要因ともなっています。

19世紀後半のマウントレバノンでの生産体制の確立までは、各コミュニティでそれぞれの時代に、自分たちのためにものづくりが行われました。
基本的に自分たちが使用するための家具や道具はシェーカーの平等な暮らしの実現のために、誰もが同じものを扱い、同じように暮らせるよう同一の物を用意するように制作されています。

平等な環境づくりという理由の他にも、個人主義に陥らないために、個性や自尊心などは宗教的理由で否定され、排するように厳しい規則が定められていました。
個人的な思い付きやアイデアで大きくデザインが変更されることや、オリジナルのものを作る考えは基本的には良くなかった。もしくはあったとしても長老たちと協議の上、コミュニティとして判断する必要性がありました。

この無個性の労働の連続と継続は、デザインや規格といったシェーカー家具の根幹の部分が長い歴史の中で維持され、継承された理由の一つとして考えられます。


その一方で、発明や進歩的な考えはむしろ奨励されていました。椅子をはじめとした家具の試作品や特注品も多く残っており、シェーカーにとって同一であることは基本ではありますが、必ずしも最優先ではないこともわかります。

ランナーと呼ばれるロッキング機構を、後になって取り付けたような椅子や、不自然に低くなった座面の椅子などからは、細部に至るデザイン的な一致よりも、使用者に合わせた道具としての適正や利便性を重視していたというシェーカーのものづくりの基本的な姿勢が見受けられます。


またオーバルボックスのジョイント部分や、椅子のフィニアルなどは、手作業であるからこそ、それぞれが微妙に異なり、完璧に同じものはありません。手仕事による技術、技能の熟練度の差や、環境、場所によって変わってしまう、数値化できないニュアンスの部分は無個性な中にある個性のようにも思えます。
この些細な違いに残る、決して表立って出てくることのない作り手の個性や存在感は初期のシェーカーのものづくりの大きな魅力だと感じています。


対外的な家具生産が始まってからは、市場やコミュニティ外での家具や道具の利用を意識し、商品として自覚的に、多くの人に適切であるようにデザインは洗練され、生産もより効率化されました。

特にサイドチェアは座面が広くなり、背もたれは曲げられ、より細く、画一的な洗練された形となりました。
この時代のサイドチェアの復元、参考にした椅子をレバノンチェアとして製作しています。


主にコミュニティ内部に向けて作られていたサイドチェアを復元、参考にしたUNOHのエンフィールドチェアと比べてみると、彼らのものづくりの意識の変化や対象の変化、作業効率や座ることへの捉え方についてなど、彼らが市場を意識する過渡期にあったことが想像できます。


当時のカタログからも、各種のサイズ展開、座面や背もたれの選択肢を用意するなど、家具の商品化に対する意欲的な様子を窺い知ることができます。

シェーカーの人々の労働への献身的な態度や合理化の取り組みと、規格的な家具生産は非常に相性が良く、定められた時間、定められたように働く教徒の堅実な手仕事は、品質の高い家具を安定して生産することができました。
この頃には同じデザインの家具を一貫して、精度高く作ることが、ブランディングとしても作用し、当時のコミュニティ外部の人々からも高い信頼を得ていたようです。

この商業的な側面も、後期に向かうシェーカーにとって、同じものづくりを続ける要因の一つとなっていたと考えることができます。

しかし、20世紀初頭にはマウントレバノンの家具工房は国内の大規模な大量生産、工業生産の波に押され、閉鎖となっています。
その直前には、当時の流行に合わせたデコラティブなデザインの家具も生産するなど、商品としての迷走に加え、教義的な拘束力も希薄になり一貫性を失っていったようです。


無欲で無個性であることと、進歩的で、商業的であることそれぞれの考えは、重なる時もあれば、反発することもあります。そのどれが正しいのかは私にはわかりませんが、シェーカーの長い歴史の葛藤や変化から学びを得ていきたいと思います。




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