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その背景を探ること

シェーカーのものづくりという言葉が指すものは、非常に幅が広く、200年近く続いた教団としての「大きく一般化された活動」としても、その時代に生きた「個人の営み」としても捉える事ができます。

このようなスケールの違いに注意を払った上で、掘り下げていくことでも、また新たな学びがあるようにも感じています。

シェーカーのものづくりという言葉は、一般的には教団としての、総体的なものづくりを指しているように思います。


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壁にかけられた椅子、積み重ねられたオーバルボックス、壁一面の建具のような、シェーカーと聞いて私たちが抱く、一連のイメージの集合のようなものです。

では、シェーカーのものづくりについて、その成果物として、確かに、ペグボードや椅子、オーバルボックスが挙げられるのですが、実際には、ある年代、ある地域の個人、時には複数の人、集団が関わり、多様性を持ち、その一つ一つのプロダクトが個別に作られていました。

シェーカーの長い歴史の、いくつもの地域で発生し、そして減衰した大きな流れの一部分、切り取られた一点の「物」は、その一つ一つが非常に具体的なデザインや形を持つにも関わらず、それがさまざまに点在していることが、現代のシェーカーのものづくり像の曖昧さに深く関わっているようにも見受けられます。


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その点在した「物」を彼らの「ものづくり」として繋いでいくヒントが、彼らの教団としての生活、労働、組織の思想や理想といった背景理解にあるように感じています。

一口に背景といっても、宗教的共産主義の生活や労働の考え方であったり、彼らに特有な合理的な判断基準、もしくは北米開拓の西漸運動による地域的な環境の違いによるものなど、その項目は多岐に渡り、際限もないものでもあります。

このノートでは、それらの一部分をテーマとして、少しずつ整理しているような感覚です。

歴史や規模感、異文化といった身近には感じていないテーマだからこそ、その一つ一つを整理、理解していくことで、その全体が少しずつ鮮明になっていく、この複層性がシェーカーのものづくりの奥深さの所以でもあるのかもしれません。

これまでにもいくつかの記事で触れてきた通り、シェーカーの生活とものづくりの根源にある性質は、宗教、共産、独身といった、現代日本で生きる私たちにとって、身近ではないし、敬遠してしまうような要素でもあります。

しかし、結果としてシェーカーの生活やものづくりは、この国でも広く知られ、影響を与え、魅力を感じさせる。この因果の乖離は個人的に特に興味深い点です。

彼らの思想や理想を知るということは、容易なことではないですし、際限のないことですが、決して難解で、不可解なことだけではなく、そこには私たちの生活、意識、考え方に対する新しい共感があり、時には新しい否定があるものです。

200年に渡る長い歴史を持ち、ユニークな営みを続けたシェーカーだからこそ得られる知見も決して少なくはありません。


その思索と実践の積み重ねがUNOHという一つの工房で30年に渡り継続されています。


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UNOHにおける家具や道具の復元、製作は、シェーカーの人々の暮らし、考え方を読み解き、想像し、時には当てはめることで少しづつ進められてきました。

とりわけ、一般の方や、シェーカーに興味のある方が参加されるワークショップは、一つの題材、椅子やオーバルボックスを通して、UNOHが考えられる背景や根拠となる部分を伝え、また気付かされるような場となっています。

このような機会が、漠然としたシェーカーのものづくりの理解や認識の一助になれば幸いです。

また、このnoteもそのような積み重ねの一部になるよう継続していくことができればと思っています。

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