葛西祝のバックヤードのテキスト

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葛西祝のバックヤードのテキスト

葛西祝の4つのブログで有料化した内容を取り扱う場 公式サイト:http://site-1400789-9271-5372.strikingly.com/ mail:kyukakukaizoudo(アットマーク)gmail.com

マガジン

  • LIFE- REMIXER

    “人生の欠落感”をコンセプトに、日常のゲーム、政治とポピュラーカルチャー、東京オリンピックの憂鬱と言った数々を扱う連載。テキストサイト『Bad cats weekly』で連載された数々を、加筆修正、追記を施して追記を加えた再録版。

  • 2017年劇場用映画レビュー

最近の記事

第10回:「が」のお話

「が」について、ささやかなお話をしよう。まず、自己紹介のテキストを書くとする。 「ぼくは中学3年生ですが、来年4月から高校生になります」 このテキストはすぐ修正をかけることになる。手を加えたあとはこうだ。 「ぼくは中学3年生で、来年4月から高校生になります」 ダムのひび割れみたいに論理一貫性を傷つけるもの たとえばインタビューでの発言を聴いたり、他のライターのテキストをチェックしたりすると、逆接のはずの 「が」(もしくは 「けど」)は、順接でかまわないテキストへ自然

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    • 第9回:“文化的荒涼”のなかで鳴る東京五輪開会式の『ドラゴンクエスト』序曲

      その音楽は “文化的荒涼”のただ中にて、Twitterのタイムラインで称賛された。 オリエンタリズムのクリシェに塗れた演目が終わり、選手入場のイベントが始まる。噂された『ドラゴンクエスト』序曲が鳴り響き、各国から選手が競技場へ歩み始めた。オーケストラはやがて『ファイナルファンタジー』の勝利テーマへ変わり、さまざまなVGMへメドレーは遷移してゆく。だけど実況は、この光景を前にただの一言も何のゲームの楽曲であるか解説しなかった。抽象的な表現であるコンテンポラリーダンスでさえも何

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      • 第8回:人生の半分を簡単に取り戻す方法

        今回はとても簡単に人生の半分を取り戻す方法について教えましょう。前置きしますと、金銭や健康といったものを取り戻すものではないです。 さて、人生の半分っていつだと思いますか? 40歳? 平均寿命を半分に割った結果ですね。じゃあ30代? そう単純じゃありません。まさか20代とか? 青春ドラマでよく描かれるその頃を、あとの人生で大切な土台だと考えて半分というのもわかります。だけど違うんですね。 皆さまは「ジャネーの法則」についてご存知でしょうか? これはフランスの哲学者と心理

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        • 第7回:テキストにおける “若さ”から手を切るということ

          若さを良いものと評することは多い。選手が全盛期を迎える期間が限られたスポーツはまさにそうだし、流行りのファッションや音楽からは誰でも良い意味で若さを捉えているだろう。 だけど多くの人が見て、若さがすぐに気づかれない分野がある。それがテキストにおける若さである。 毎日誰もが目にする文章には、まちがいなく若さとそれ以外がある。自分が30代を過ぎて半ばを迎え、これから年を重ねていくにあたってひとつ決めたことがある。「そろそろテキストで、事実を事実のままに書けるようにしよう」

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        • LIFE- REMIXER
          10本
        • 2017年劇場用映画レビュー
          3本
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        記事

          第6回:ライアン・ラーキン パンキッシュなアニメ作家の物語。アカデミー賞にノミネートされながら、物乞いに堕ちる路上の人生

          あらゆる表現で、残された作品以上に生み出した作家のパーソナリティが取り沙汰されることも少なくない。その作家が苛烈な人生を送ったならばなおさらだ。 たとえばポピュラー音楽の領域ではたくさんのケースがある。60年代はそうだ。ドアーズのジム・モリソンや、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリンなどなど……どれも音楽とともに苛烈な人生も語り草になった。 ところが同じ60年代、アニメーションで苛烈な作品と人生を歩んだ作家がいる。そんな存在がアートアニメーションの最高機関から現れた

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          第6回:ライアン・ラーキン パンキッシュなアニメ作家の物語。アカデミー賞にノミネートされながら、物乞いに堕ちる路上の人生

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          第5回: POPEYEの村上春樹

          雑誌でよくPOPEYEを読む。去年からおや、と感じたのは、村上春樹のエッセイが始まったことだ。はじめはすこし驚いたが、毎回読むうちに昔から書かれていたみたいに思えていった。毎回持っているTシャツについて書いていて、そのスムーズなテキストが、POPEYEのコンセプトへきれいに収まっているせいかもしれない。 …… テキストについてさまざまな形で関わっているならば、嫌でも村上春樹の名前に当たる。編集者が下手なライターに対して「村上春樹の文章を参考にしてほしい」と言うこともあるし

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          第5回: POPEYEの村上春樹

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          第4回: ノンポリティカルの時代は終わった

          令和に変わるまでの数か月、どこでも平成の特集や総括が行われていた。自分がこの30年で確信しているのは、様々なエンターテインメントにしろ、実際の態度にしろ、ノンポリティカルでいることが難しくなったことだ。 平成はノンポリティカルでいられる時代だった。作品と現実はまったく別物であり、政治や現実から遠ざかる態度が正しいと思われていた。1989年に平成が始まってから、年を重ねるごとにその態度は確かになっていったと思う。 自分が成長するあいだ、政治や歴史から切り離されることがクール

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          第4回: ノンポリティカルの時代は終わった

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          第3回:ユン・ドンシクのプロ初勝利 名誉と報酬をめぐる物語としての格闘技

          社会的に得ることのできる名誉と活動対価である報酬について考えるとき、いつもある選手のことを思い出す。 名誉と報酬の関係を考えるうえで、少し前のMMA(※打撃、投げ技、関節技が許される総合格闘技の正式名称)ほど適したジャンルはない。ふたつの価値がドラマチックな展開を見せる、おそらく唯一のジャンルだからだ。 格闘技のプロとアマの極端な溝 スポーツで結果を出した選手の名誉は、誰が見てもわかる。首に掛けられた金メダル。表彰台のいちばん上に立った姿。後の人生でも繰り返し語られるだろ

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          第3回:ユン・ドンシクのプロ初勝利 名誉と報酬をめぐる物語としての格闘技

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          第2回: 現実世界の向こうの現実へのアクセス

          「現実からディスプレイの向こう側の作品世界と関わる」これはプレイヤーがモニターを介してビデオゲームの作品世界に関わるという構造を利用した仕掛けだ。この構造を打ち出す手法は、とくにメタフィクションで顕著に見られた。 そんな構造について。自分にとってのファーストインプレッションはちょっと気恥ずかしいものだった。『Undertale』や『MOTHER2』みたいにメタを押し出しているものじゃない。ひとめ見れば、だれもメタフィクションとは思わない。SFCの『ワンダープロジェクトJ 機

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          第2回: 現実世界の向こうの現実へのアクセス

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          LIFE- REMIXER 第1回: ささやかな日常の感情についてを見つめるビデオゲーム

          現実は映画や小説みたいに重大な事件だとかイベントだとかに満ちているわけではない。生きているそのほとんどの時間はささいな行動の数々だ。朝決まった時間に起きる。朝食を作る。皿を洗う。服を着替える。歯を磨く。生活のおおよそは特別なこともない行動で埋められている。そこにドラマチックな物事はほとんどない。 記憶に残る劇的な出来事とは、記憶から消える膨大な日常の削り節で構成されているように思える。ドラマチックな2時間程度で終わる映画や数百ページで終わる小説もその裏で何万時間にも何万ペー

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          LIFE- REMIXER 第1回: ささやかな日常の感情についてを見つめるビデオゲーム

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          『シン・エヴァンゲリオン』自分語りも庵野監督語りもすべて排除し、アニメートのみに特化したレビュー

          『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(以下「シンエヴァ」)は荒い点がすごく多いけれど、観終わってよかった作品でした。 本レビューは、シリーズを長年見てきた書き手自身の思いを書くことや、監督の心情や人間関係を特定のキャラクターに当てはめるような、すでにネットに溢れている評価を一切書いておりません(もちろんオタク論みたいなものは1文字もないです)。“アニメート”一点のみです。 アニメートとは、アニメでキャラクターやオブジェクト動かし方を意味した言葉です。広く言えば動きや表現を通し

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          『シン・エヴァンゲリオン』自分語りも庵野監督語りもすべて排除し、アニメートのみに特化したレビュー

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          『宇崎ちゃんは遊びたい』が灰色のカラートーンである意味

          こちら『17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード』の元記事の続きになります。 (少し追記)

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          『宇崎ちゃんは遊びたい』が灰色のカラートーンである意味

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          『スパイダーマン:スパイダーバース』ライフスタイルとメタ。もういちど物語世界を信じるために

          メタフィクションってありますよね。作品を俯瞰し、物語の構造を言い当て、「この世界はフィクションだったんだ」って言いだす手法のことです。観客が物語の世界に没入し、信じることの限界を暴いてしまう、インテリジェンスに思われているやり方ですね。 でも今、そのやり方は賢いことでもなんでもなくなりました。何故かって?メタが当たり前だから。どうして当たり前なの?物語世界をもつコンテンツが、現実の生活にカルチャーとして浸透しきったから。どういうこと?現実から見れば当然、物語の世界の限界は知

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          『スパイダーマン:スパイダーバース』ライフスタイルとメタ。もういちど物語世界を信じるために

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          <隣の言語・1>淡さと残酷が入り混じる、“家族の呪い”を描いたベトナムの小説『囚われた天使たちの丘』

          「だって君はずっと悲惨な話ばかりするし、君がそれに慣れっこになっていくのがいやなんだ。君はそういう話をしていても、心の中ではなんの痛みも感じてないんじゃないかな」(p.260) これからもっと諸外国の人たちが増えていくというが、とうの昔から外国の人たちは国内で働き、過ごしている。だけど、その人たちそれぞれの国の歴史も心についてもあまり知られてはいない。 <隣の言語>はそんな物語と現実のコントラストから見えてくる、アジア諸国の文学について書くカテゴリー。第一回目は2000年

          <隣の言語・1>淡さと残酷が入り混じる、“家族の呪い”を描いたベトナムの小説『囚われた天使たちの丘』

          現実との境目を象徴する場所を描くマッドハウス

          アニメは実写映画と違い、基本的に手描きであったり、CGを使ったりした作り事の世界である。だけど現実を緻密に描くことで、作り事を本当みたいに感じさせるものがある。たとえばジブリの宮崎駿や高畑勲の作品がそうだろう。 そうした流れを組んだアニメの中には、現実を描きながら、どこか非現実的な境目のある場所を描いている。今年注目すべきは、同一のスタジオがそのような場所を立て続けに制作しているという面白い流れが起きていることだ。そう、マッドハウスである。 今回は『宇宙よりも遠い場所』が

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          現実との境目を象徴する場所を描くマッドハウス

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          写真と、莫大な情報の渦中にて trialog vol.2『ヴィジョナリー・ミレニアルズ』より

          今回のエントリは価格が設定されていますが、最後まで閲覧することが出来ます。 インターネット以降のなかでも、とりわけスマートフォンに代表されるモバイルコンピューティングが浸透してからは莫大な情報量で溢れかえるようになった。それはテキスト、映像、イラストレーションなど個々の表現媒体の意味合いを大きく変化させた。その中でも写真表現に関しての変化は大きい。 各種SNSの発達により、日々に生産され発表される写真の総量は紙媒体が主なメディア時代から考えれば莫大な量に変わった。アナログ

          写真と、莫大な情報の渦中にて trialog vol.2『ヴィジョナリー・ミレニアルズ』より