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西加奈子『さくら』

この記事は、日本俳句教育研究会のJUGEMブログ(2020.11.07 Saturday)に掲載された内容を転載しています。by 事務局長・八塚秀美
参照元:http://info.e-nhkk.net/

映画化されると知って手に取った、西加奈子さんの初期の作品でしたが、ドッシリと堪える作品でした。様々な切り口から読むことが可能な作品で、11月13日公開の映画ではこの作品のどんな部分に焦点があてられるのか……、とても気になりながら読みました。

妹ミキが生まれるときに、兄ちゃんと僕が出会った目の見えないおじいさんの言葉と、女性となったサキコ(サキフミ)さんの言葉の二つが作品全体を支えていきます。

「ぜえんぶわしのもんに出来るし、ぜえんぶ誰かに返すことも出来るんや。」「ぼん、だからなぁ、いきていけるんやで」

「嘘をつくときは、あんたらも、愛のある嘘をつきなさい。騙してやろうとか、そんな嘘やなしに、自分も苦しい、愛のある、嘘をつきなさいね」

登場人物たちは皆、「愛」にあふれた文字通りの幸福であるべき人ばかりであるにもかかわらず、作品では無(亡)くしていくものばかりが描かれていきます。そして、完璧で皆に通目され「いつも全力で生きて、自分に嘘をついたことが無」く「ありのままの自分」で生き続けてきた兄ちゃんが、「愛のある嘘」によって「こんなはずではない自分」に行き当たってしまう現実……。「愛のある嘘」が破壊しかもたらされない真実には愕然とさせられます。

歪んでいく愛や報われない愛、そして、ままならない現実を過ごしていくには、「この世にあるものは全部誰かのもので、全部誰のものでもない」とでも受け入れるしかないのかもしれません。「結局自分」であることを知った僕は、さらに、そこにあり続けてそんな自分を受け止めてくれる神の存在と共に現実を受け止めていくことになる……。そんな様々な形の「愛」が描かれた『さくら』でした。

あなたの愛は、僕を世界の高みに連れて行ってくれる。

作品に出てくるカーペンターズの「Top of the world」の歌詞を、なんとも切なく感じながらも、どんな日常であっても、それは奇跡的な美しく尊い日常であるのだ、という作者の祈りのような願いを感じた作品でした。