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夢枕獏『大江戸釣客伝』

この記事は、日本俳句教育研究会のJUGEMブログ(2022.10.02 Sunday)に掲載された内容を転載しています。by 事務局長・八塚秀美
参照元:http://info.e-nhkk.net/

『仰天・俳句噺』で小説を読んでみたくなった夢枕獏さん。様々なジャンルの作品があるようなので悩んだのですが、第46回吉川英治文学賞、第39回泉鏡花文学賞、第5回舟橋聖一文学賞、の3冠を達成したという時代小説『大江戸釣客伝』を手に取ってみました。

吉良上野介を義父として持つ旗本・采女の他、絵師・朝湖と俳人・其角など、将軍綱吉の治世下の江戸で、「生類憐みの令」により釣りを禁じられていくことになる釣り狂いの者達の物語でした。一般に美談のように語られる赤穂浪士の討ち入りを頂点に置きながら、綱吉から出される禁令の数々が生み出すことになった世の中の鬱憤が重ねられていきます。吉良側である采女の視点で描かれていくことで、事件と世の中を冷静に写した物語となっている点を面白く読みました。

冷静な思考をできる者は、誰もが、被害者は吉良上野介であり、加害者が浅野内匠頭であると分かるが、風聞はそうではなく、その風聞によって、民の心はたやすく操られてしまうのである。
もしかしたら、赤穂の浪人たちも、この世間にのせられてしまっているのではないか。(略)期待が世間では高まっている。その浪に、赤穂の浪士たちも背を押され、やらねばならぬ、やらねば面目が立たぬと考えるようになってしまっているのではないか。(略)起こらねば納得しない世間がある。(略)世間によって、時代の前に引き出されてしまった贄なのではないかと思う。(略)世間には鬱屈が溜っている。その押さえつけられたものが、赤穂の浪人達の仇討ちというかたちとなって、吹き出ようとしているのではないか。

そして、小説を貫いているのが、「ひとつのことに狂って身を滅ぼす」ことを潔しとする生き方でした。「人が生きてゆくための杖」「弱い人間がすがる杖」となる釣りを中心に据えながら、「狂」と「求道」がまるで同義のように描かれていくのを清々しく読みました。ある意味「狂」としか言えない禁令を出し続けた綱吉でさえ、「己れのやろうとしていることで、自身ががんじがらめになってゆく」弱い人間として描かれているのが印象的でした。

『大江戸釣客伝』は、容赦のない世間に踊らされないために、「世間の風に負けてたまるか」と、哀しみを「狂」に変えて、(世間的には浮かばれない結末であろうとも)一心に憂き世を生きてゆく男たちの物語であるのかもしれません。