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コース設計のプロセスを知る ー『Can-doで教える』 ブックレビュー

今回は、最近読んだ『Can-doで教える 課題遂行型の日本語教育』のブックレビューです。

来嶋洋美・八田直美・二瓶知子(2024)『Can-doで教える 課題遂行型の日本語教育』三修社

「日本語教育機関認定法」が施行され、日本語教育機関では「日本語教育の参照枠」に沿った教育課程の編成が求められています。Can-doという言葉もよく聞くようになりました。これまで、文型積み上げ式が主流だった授業から、大きな変革が必要になっています。

といっても、具体的にどうすればいいのかわからない、という日本語教師も多いのではないかと思います。帯に「マインドセットを一変させる一冊」と書かれた同書は、教育課程編成の考え方を学ぶのにとても参考になるのではないかと思いました。

今回は、同書を読み解きながら、「課題遂行型の日本語教育」が目指すコース設計について考えてみたいと思います。


「課題遂行型の日本語教育」とは?

まず、同書の概要に触れておきます。同書の著者は、国際交流基金で『まるごと 日本のことばと文化』(以下『まるごと』)の企画や執筆に関わった方々です。

『Can-doで教える』では、『まるごと』の内容を紹介しながら「課題遂行型の授業」とはどのようなものかを説明しています。だからと言って、同書を『まるごと』の使い方を説明したマニュアル本のように読んでしまうのは、もったいないと思います。著者らはどのような言語教育観を持っているのか、その言語教育観に沿って、どのようにテキストを編成していったのかなど、新しい理念に基づいたコース設計のプロセスを知るという読み方をすると、いろいろな発見があるのではないかと思いました。

同書の帯には、「文型積み上げ式とはどう違う?」という言葉もあります。おそらく著者らも「文型シラバス」を中心とした日本語教育を行ってきたのではないかと思います。「JF日本語教育スタンダード」(以下、JFスタンダード)に沿ったテキストを開発しようとなったとき、従来の教え方からアンラーンする必要があったと想像しました。

私自身も、「プロジェクト型学習」を日本語教育に取り入れようとしたとき、それまで自分が慣れ親しんだ教え方をアンラーンする必要がありました。そして、非常に多くの葛藤を経験しました。そんな自分の葛藤を思い出しながら、同書を読み進めました。

学習目標の設定

「文型中心型」の授業で難しいのが「目標設定」です。「文型中心型」の授業では、言語知識を習得することが目的となります。しかし、実際の学習者を目の前にすると、「会話が上手になりたい」とか、「試験に合格したい」などの声を聞くことになります。「言語知識」の習得や「試験の合格」が目標でいいのかという疑問も湧いてきます。

1章では、このような疑問に対してどう考えればいいのか「課題遂行型の日本語教育」を中心に説明されています。「課題遂行型」では、「学習目標」を明確にした上で、「授業内容」と「評価」に整合性を持たせることが必要だとします。そして「学習目標」については、「なぜ外国語を学ぶのか」に立ち返って考えるべきだとし、以下のように述べています。

外国語を学ぶ誰もが胸に抱く目標、それはいつか外国語を使えるようになること、外国語を使って自分のしたいことができるようになることです。

(p.14)

同書で取り上げている「課題遂行型の日本語教育」とは、課題(自分のしたいこと)が、日本語を使ってできるようになることだと説明しています。

そこで、初めにCan-doをベースに学習目標を設定し、学習目標を達成するためには、どのような言語知識が必要か、どのように教えるのか、評価はどうするのかを考えていきます。「文型中心型」の授業では、初めに、習得するべき言語知識を提示し、繰り返し練習した後で、練習した言語知識を使ってコミュニカティブなアクティビティをするという形をとりますから、全く逆のアプローチになります。

授業設計

「自分のしたいことが日本語でできるようになる」ことを目指した授業を設計する際、学習目標の設定が非常に重要です。同書でも「学習目標の明確化」が大切であるとし、「Can-doは学習目標の設定、特に、日本語運用力/課題遂行能力を育てる授業の目標を立てる上で大切な役割を持っています(p.27)」と説明します。

同書では、「Can-do」を以下のように説明しています。

学習者が日本語を使ってできるようになりたいことを「〜することができる」という動詞を使った文で記述したものです。

(p.18)

CEFRでも、JFスタンダードでも、レベルに合わせて、Can-doが例示されていますから、Can-doを使って評価をすることも可能になります。 「Can-doは特に学習目標の設定と評価に使うことで、効果的な課題遂行型授業を設計することにも役立ちます(p.28)」とも述べています。

学習者が必要とするCan-doを目標とし(これを「目標Can-do」と表現しています)、同じ指標で評価も行っていけば、学習成果をより実感することができるのではないかと思いました。

2章から3章では、『まるごと』の事例を出しながら、具体的な授業設計方法について説明しています。その際、第二言語習得研究の知見を取り入れ、「聞くことを中心としたインプット→気づき→アウトプット」という流れで授業を構成していることが説明されています。

4章では、評価方法について説明されています。ルーブリックを使った評価や自己評価など、具体的な評価方法が紹介されており、単なる知識の量を測るのではない多様な評価があることがわかります。

以上のように、「学習目標」「授業」「評価」に整合性を持たせるということは、これまでとは違った授業設計が必要となるということです。これで、どうやって言語知識を習得するのだろうと思う人は、ぜひ同書に当たってほしいです。

自分が慣れ親しんだ授業方法をアンラーンし、新しい方法を取り入れるというのは、心理的なハードルも高いです。すでに、提供されているCEFRやJFスタンダードなどの枠組みを使った授業設計の方法を知ることによって不安も減るのではないかと思います。

「課題」とは何か?

従来の「文型中心型」の授業と比べると、ここで紹介されている「課題遂行型」の授業は、これまでと全くアプローチが異なります。CEFRやJFスタンダード、「日本語教育の参照枠」で提供されている「Can-do」を使って授業を設計すれば、「学習目標」「授業内容」「評価」に整合性を持たせた授業設計ができるのではないかと思います。

しかし、私は、ここで「課題遂行型」の「課題」とは何かについて考えてみたいと思います。

同書では、「課題」を、「自分のしたいこと」とします。そして、これから目指すべき授業を以下のように説明します。

私たち教師がこれから目指すべき授業では、学習者が日本語でどんなことができるようになるのかを明確に目標に掲げることがまず求められます。それはシラバス/学習内容が、文型ではなく人間の言語行動を切り口とするという意味で「行動中心」であり、前述したように、言語を使って自分のしたいこと(課題)を行う「課題遂行型」の日本語教育ということができます。

(p.15)

一般的に「課題」といった場合、「自分のやりたいこと」より、解決しなければならないことや社会的に求められることなどを指すのではないかと思います。広い意味で「自分のしたいこと」と言えるかもしれませんが、「課題」は、言語だけの問題に限定することはできません。

「日本語教育の参照枠」では、「課題には、社会の中で目的を持って行う言語的/非言語的行動の全てが含まれる(p.10 脚注)」とした上で、「行動中心アプローチ」を、以下のように説明しています。

行動中心アプローチとは、多様な背景を持つ言語の使用者及び学習者を、生活、就労、教育等の場面において、様々な言語的/非言語的な課題(tasks)を遂行する社会的存在として捉える考え方のことである。

日本語教育の参照枠」(報告)」(p.10)

ここでいう「課題」には、「非言語的な課題」も含まれています。

「課題遂行型」の「課題」を言語的なものに限定してしまっては、本来の意味での「行動中心アプローチ」にはならないのではないかと思います。文型中心ではなく、人間の行動中心とするべきだという点には共感しますが、日本語教育という文脈であっても、非言語的な課題にも注目するべきではないかと思います。

例えば、同書のp.24では、「講演やプレゼンテーションをする」という「Can-do」の例が挙げられています。学習者の日本語のレベルを判定する、または自己評価するときに、ここに挙げられたCan-doを使用することはできると思います。しかし、実際に「プレゼンテーション」という行動を中心に考えた場合、その場面で必要とする日本語を「目標Can-do」として、抽出するのは、かなり難しいのではないかと思います。

プレゼンテーションは、その中身が最も重視されます。「伝えたい」というパッションやスライドの構成など、「非言語的な」要素が大きく影響します。実際に、日本語で伝えるのが難しいと感じた学習者が、動画を作成してプレゼンに盛り込んだことがあります。聴衆からは、この動画が非常にわかりやすかったと高評価を得ていました。

このようなケースの場合、どんなに流暢な日本語で説明できたとしても、必ずしも高い評価を得られるとは限りません。日本語を使用しなくても、「わかりやすく伝える」という課題は遂行できます。

言語を学ぶという意味では、言語活動に基づいた「目標Can-do」を設定し、それを元に、必要とする言語知識を抽出して授業を構成するということは可能です。しかし、細分化された言語活動に基づいた「目標Can-do」を積み重ねた結果、どこに向かうのかを考えるのが、コースの設計者ではないかと思います。

『まるごと』は、その点にも考慮し、「コースブック」という位置付けにしていますが、どんな機関でも使用できる一般的なテキストを目指した場合、汎用性の高い「目標Can-do」に基づいた授業の枠組みを提供するのが限界であり、その先の設計というのは、やはり教育機関が考えるべき課題ではないかと思いました。

「異文化理解能力」とは?

ここまで、「異文化理解能力」には、触れてきませんでしたが、第5章では、「課題遂行と異文化理解能力」というテーマで書かれています。

JFスタンダードでは、「相互理解のための日本語」を理念としており、そのためには、「課題遂行能力」だけでなく、「異文化理解能力」が必要だとします。

同書では、「異文化理解能力を持つ人」を以下のように説明しています。

① さまざまな文化に触れることで視野を広げ、他者の文化を理解し尊重する人
② 日本語を使って、相手の考え方を受け止めながら、柔軟にコミュニケーションできる人
③ 他者との関係を構築するためにコミュニケーションできる人

(p.126)

これらの能力を育成するために、『まるごと』には、さまざまな工夫がされていることがわかります。写真などを見て、日本についての知識を得るだけでなく、学習者同士で話し合いをしたり、教師からの働きかけが必要であることを指摘しています。

しかし、「課題遂行型」の緻密な授業設計に比べ、こちらは、教師の役割の重要さが強調され、その方法については、担当する教師に委ねられている印象です。『まるごと』は、海外で使われることを想定して制作されていますから、「異文化理解能力」を養うための授業では、目標言語である日本語以外の言語が使われることが前提となっています。

クラスの中に多様な言語を持つ学習者がいる国内の日本語教育機関では、かなりハードルが高い運用になりそうです。

『まるごと』が目指すものとしては、以下のような説明もあります。

このように『まるごと』は、目に見えるモノ・コト、言葉、やりとり(会話)を通して日本文化に関する知識に触れ、学習者同士でその背景にある価値観を考えたり、自分や自文化、他者や他文化について考えたりすることで、異文化理解能力を持つ人を育てることを目指しています。

(p.143)

『まるごと』の理念に関わる重要な考え方だと思いますが、この点が現場の教師の役割に委ねられているのは、なんとも心許ないと思いました。むしろ、ここに挙げられているような「異文化理解能力」こそ、これからの言語教育が目指していくべき目標であるように思いました。現に、先に挙げた「異文化理解能力を持つ人」には、「〜コミュニケーションできる人」という項目が含まれています。

「異文化理解能力」の育成を目指すのであれば、ここで果たす「言語」の役割は重要です。しかし、それを「目標Can-do」のような形で示すのは、難しいのではないかと思います。だからこそ、「課題遂行」と「異文化理解能力」のように、カテゴリーを分けているのかもしれません。各教育機関がこのような理念をどのように捉え、教育課程の中に組み込んでいくのかが、問われるように思いました。

以上、『Can-doで教える 課題遂行型の日本語教育』を元に、「課題遂行型の日本語教育」や「Can-do」「異文化理解能力」など、重要な用語について考えてみました。どんなテキストにも、そのテキストには、必ず制作者の理念があります。そのテキストの目指す理念と自分の持つ理念とを比べ、何がどのように違うのか、自分が大切にしている理念は何かを考えることが必要だと思いました。

そして、最終的には、各教育機関や教師が持つ理念に沿って、コース設計していくことになるのではないかと思います。「Can-do」に基づいたテキストを採用すればそれで全て解決できるということではないと思うのです。

今回も、長くなってしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございました!

共感していただけてうれしいです。未来の言語教育のために、何ができるかを考え、行動していきたいと思います。ありがとうございます!