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「日本語教育の推進のための仕組みについて」パブコメ提出にあたり考えたこと②

前回、文化庁から出されている「日本語教育の推進のための仕組みについて(報告)」(以下「報告書」)について、以下の記事を書きました。

この記事では、私が想定していた「報告書」と、だいぶ印象が違っていたので、どのようにこの「報告書」を捉えればいいのかわからなくなってしまい、疑問に感じたことをまとめました。今回は、そこから、さらに考えたことについてまとめてみたいと思います。

日本語教育と社会との関わり

前回、私は、今後、専ら日本語教育を行う機関としての日本語教育機関が、国内の日本語教育を担うことになるのかということに、漠然とした疑問を感じたと書きました。

しかし、この点について、今は、少し違う印象を持ち始めました。それは、「日本語教師の資格に関する調査研究協力者会議」(以下「協力者会議」)の委員でもある田尻氏の下記記事を読んだからです。

第25回 外国人の受け入れに日本語教育は関われるのか|田尻英三

この記事では、「報告書」ができあがるまでの流れををまとめた上で、田尻氏の見解が述べられています。タイトルは「外国人の受け入れに日本語教育は関われるのか」です。委員である田尻氏は、私が懸念した「日本語教育機関が、国内の日本語教育の担い手になるのか」という疑問以前の問題として、そもそも、日本語教育という業界が、「外国人受け入れ」に関わることができるのかという点に疑問を投げかけています。特に、日本語教育機関の類型化で提示された「就労」と「生活」の分野において、日本語教育が関われる機会を逸したとも書いています。

(田尻氏の見解については、私の捉え方が間違っている可能性もあるので、上記の記事や過去記事を直接確認していただきたいです)

つまり、「日本語教育」という業界が、外国人政策や移民問題に対して、そもそも十全的にに関われているのかという認識を問われているように思いました。そう考えると、今回の報告書の表題「日本語教育の推進のための仕組みについて」は、今後、外国人政策に関わっていくための「日本語教育」からの提言のように捉えることもできます。

となると、この報告書の読み方が全く違ってきます。ただ、田尻氏も指摘するように、この報告書は、「今後検討する」という記述が多すぎて、「提言」というには、心許ないものです。それでも、この「報告書」をきっかけに、日本語教育が外国人政策に関われるようにするためには、パブコメで多くの関係者が意見表明をすることがとても重要になってきます。そこで、今後も審議が継続されるようにという期待を込めて、現場のプレイヤーという立場から「日本語教育推進のための仕組み」を改めて考えてみたいと思います。

「報告書」からは、少しずれた考えも書きますので、、パブコメに書けるような内容にはなりませんが、上記の前提を踏まえて、「公認日本語教師の役割」「日本語教育機関の役割」の2点に絞って考えをまとめてみたいと思います。パブコメを書く際には、「報告書」に直接あたってください。

「公認日本語教師」に何を求めるのか

田尻氏の指摘のように、日本語教育という業界は、外国人政策にほとんど関われてこなかったという指摘には私も賛同します。これまで、職業としての「日本語教師」というと「留学」を中心に語られることが多かったようにと思います。

例えば、今年7月に出された以下の文化庁の調査からもその実態がわかります。

国内の日本語教育の概要(令和2年)

「日本語教育の概要」と言いつつも、大学や日本語教育機関(法務省告示機関)が主に担っている「留学」と、主に国際交流協会や任意団体が担っている「生活」を中心に調査が行われています。今回の「報告書」で示された3類型のうち「就労」についての実態は、この調査からはよくわかりません。

実際、私自身も、昨年度まではこの調査の対象となっていましたが、フリーランスとなり、技能実習生の日本語教育に関わっている今は、この調査の対象外となりました。(上記資料には「常勤日本語教師が767人減少している」という記述がありますが、このうちの一人が私だと思うと、なんだか感慨深いものがあります)

一方で、在留外国人数、288万7,116人(2020年度末現在)の在留資格別構成比は、以下のようになっています。
(出入国在留管理庁:令和3年3月31日報道発表資料より)

1. 永住者 807,517人(構成比 28.0%)
2. 技能実習 378,200人(構成比 13.1%)
3. 特別永住者 304,430人(構成比 10.5%)
4. 技術・人文知識・国際業務 283,380人(構成比 9.8%)
5. 留学 280,901人(構成比 9.7%)

日本に在留する外国人数を見ると、「技能実習」など「就労」に類型される在留資格を持つ外国人の方が多く、この分野に「日本語教育」がどの程度関われているのかは明らかになっていません。

実際にフリーランスとしてこの分野に関わり、企業と交渉しながら仕事を得て、さらに、それで生計を立てていくということを始めてから、その大変さがよく理解できるようになりました。技能実習制度のようなガッチリと制度設計されている中に、一日本語教師が入り込むのはなかなか難しいことです。

そして、その制度の中に入り込めたとしても、制度自体に日本語教育的な視点が欠けているために日本語教育の知見を活かせないこともあります。例えば、言語という要素が非常に重要な介護の技能実習制度では、「日本語教育=日本語能力試験」という捉えられ方をしており、設計の段階でもっと日本語教育の知見が活かせなかったのかと思うことが多いです。制度自体に教育内容が縛られてしまい、なかなか思うような実践ができません。

EPAに基づく看護師、介護福祉士候補者の受け入れにより、様々な研究がされ、介護の日本語については、多くの知見が積み上がっています。教材開発も進んでいます。しかし、それをカリキュラムに落とし込むには多くの壁があると感じています。特に、実習先での日本語教育は、あまり考慮されていないのが現状ではないかと思います。

医療に例えるなら、研究医は十分にいるけれど、臨床医が足りていない状態です。どんなにすばらしい治療薬や治療方法が開発されても、実際にそれを処方するのは、現場の医師です。優れた治療方法だと思われるものでも、患者によっては、その治療方法が適切でないこともあります。それを判断できるのは、患者に直接接している臨床医です。優れた医師であれば、その人の健康状態を総合的に判断し、さらに生活環境なども考慮に入れ、何が必要で何が必要でないかを判断するのではないかと思います。

そして、どんなに優れた研究がされ、現場の医師が努力をしたとしても、制度が機能しなければ、状況によっては医療崩壊が起こってしまいます。個人の善意や努力には限界があります。

このように考えると、今後、外国人を受け入れていくのであれば、受け入れの制度設計においても、現場の実践においても、日本語教師がしっかり関われるような仕組みを作ることは非常に重要だと思っています。ただし、その仕組みを日本語教育機関をベースに設計することに関しては、やはり疑問が残ります。

むしろ、産業医のように各企業に専属して日本語教育を行う「公認日本語教師」の存在が必要なのではないかと思います。日本語教師を機関に固定するのではなく、「公認日本語教師」として、社会的に認知され、就労や生活の場に飛び出して活躍して行けるような制度設計が必要だと思うのです。本当に必要とされるところにどうやったら日本語教師を配置できるのかという発想が、制度設計の段階では必要なのではないかと思っています。

このような考えに照らして、「報告書」に当たると、やはり「日本語教師養成機関」の役割が非常に重要なのではないかと思います。今のところ「公認日本語教師」にどんな役割を求めるのかが、はっきりと示されていないように感じています。養成の内容を見ると、あれもこれもと考えられる要素をすべて盛り込んだものになっており、それを短期間ですべて網羅しようと思えば、知識偏重の養成になるのは仕方がないのではないかと思います。教育実習も必修とされていますが、教育機関で働くことをベースに実習をするのか、機関の外で働くことを想定した実習にするのかでは、だいぶ養成内容が変わってくるのではないかと思います。

「就労」や「生活」という場に日本語教育が必要だという認識が盛り込まれたという点で、この「報告書」はとても意味があると思います。次に考えるべきことは、もう一度「公認日本語教師」に何を求めるのかに立ち返ってその役割を明確にすることではないかと思います。

日本語教育機関の教育内容は制度化できるのか

次に「日本語教育機関」を中心に考えてみます。私が「報告書」を読んで疑問に思った点は、「専ら日本語教育を行う機関」を中心に、「日本語教育の推進の仕組み」が記述されていることでした。

これまで、「日本語教育機関」は「留学」を中心に日本語教育に関わってきました。しかし、上記にも示したように、「就労」や「生活」の分野にどう日本語教育が関わっていくのかという点が重要だと私は考えています。その点について、今回の「報告書」では、「今後検討」となっており、十分な提案がされていません。前回の記事に書いたように、十分な提案がされないまま、「専ら日本語教育を行う機関」としての日本語教育機関が、「就労」や「生活」の分野でも事業を展開するという方向で話が進められた場合、これまで行われてきた「留学」と同じような考え方で、「就労」や「生活」分野での日本語教育が行われるのではないかということを懸念しています。

実際に、私は、日本語教育機関で「就職コース」を運営していたのですが、日本語教師だけで、「就労」に関わっていくことには無理があると感じました。専門知識も同時に扱わなければならない「就労」の日本語教育では、日本語だけを取り出して教育していても十分に言語を運用できるようにはなりません。これは、「就労」に限ったことではありませんが、様々な分野と連携し、協働でプログラムを設計することが必要だと感じています。

今後、評価制度も含め、「就労」や「生活」に関わる日本語教育機関のあり方を検討するのであれば、「どのような日本語教育を行うのか」という点も考慮に入れ、制度設計をしていくことが必要だろうと思います。「評価制度」については今後の検討課題になっていますが、もし、専ら日本語教育を行う機関が「就労」や「生活」に関わっていくのであれば、その教育内容については、機関をどのように評価するのかも含め、思い切った改訂が必要だと思います。

学校教育でも、大きく方向転換が行われ、学習指導要領も大きく改訂されました。今後、文科省が日本語教育の評価に関わっていくのであれば、日本語教育においても、教育内容の大幅な見直しが必要だと思います。

今、社会そのものが大きく変化しようとしています。様々な業界でアップデートが求められています。言語教育についても同様のことが言えると思います。この先、どんな社会になるのか、誰も予想できない状況で新たな制度を創るという試みは至難の技だと思いますが、制度が出来上がったときには、社会はずいぶん先に進んでいたという状況にならないように、進められていくといいなあと思っています。

ということで、2回にわたり「報告書」を巡って、あれこれ考えてみました。パブコメの締め切りは9月17日(金)で、あまり時間がありませんが、これから意見をまとめてみたいと思います。(本当にいつもギリギリだなあ)

以下に、パブコメのリンクを貼っておきます。

日本語教育が、少しでも社会のアップデートに貢献できるようなものになるといいなという期待を込めて、建設的な意見表明をしたいなと思っています。

今回も、最後までお読みいただきありがとうございました!

共感していただけてうれしいです。未来の言語教育のために、何ができるかを考え、行動していきたいと思います。ありがとうございます!