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「履歴書」って本当に必要なの?って思った話

フリーランスという道を選んでから、なぜか「履歴書」を提出する機会がちょこちょこと訪れるようになりました。そして、先日ついに、「英文の履歴書を提出してほしい」という依頼がありました。これは大仕事だなあと重い腰を上げ、英文履歴書づくりにチャレンジしました。(と思いましたが、ChatGPTのお世話になったら、サクサクとできてしまいました)

和文履歴書、英文履歴書作成プロセスを比較しながら、いろんな気づきがあったので、今回は、その点について書いてみたいと思います。

結論から言うと、「日本様式の和文履歴書では、その人の良さや実力が表現できない」と思いました。ジョブ型雇用だとか、人的資本経営だとか言われていますが、「人材」を投資の対象としてみるのであれば、日本で広く使われている様式の履歴書は撤廃し、職務経歴書のみで判断したほうがいいのではないかと思いました。

そして、ChatGPTのような対話型AIによって、人の可能性が広がることも書き添えておきたいです。

ということで、以下、このように考えた理由を書いてみたいと思います。

和文履歴書

日本様式の和文履歴書は、フォーマットが決まっています。顔写真、名前、生年月日、性別、住所、電話番号、メールアドレスなど、個人情報から始まります。最近は、性別が任意になったり、顔写真は不要とすることもあるようです。通勤時間、扶養家族や配偶者の有無などの記載も不要になったようですが、基本的なフォーマットは、私が社会人になったときからほとんど変わっていません。

厚労省推奨の履歴書様式は下記https://www.mhlw.go.jp/content/11654000/000769665.pdf

履歴書のメインの項目は、「学歴・職歴」欄です。時系列に記載し、空白期間がないように埋めていきます。これ、20代、30代だったらいいのかもしれませんが、私のように半世紀も生きてしまうと、過去の勤務先を羅列するだけで記載欄が埋まってしまいます。そして、直近の履歴については、2ページ目の最後の方に記載されることになります。転職が多い人とか、何らかの事情で仕事から離れた人も、書きにくいだろうなと思います。

さらに、個人開業しちゃったりすると、「個人事業開業、現在に至る」みたいな書き方になってしまい、私の場合、業務内容について説明する余白はありません。特定の機関に属していないことが、マイナスのように見えてきます。

職務経歴書に詳しく書ければいいのですが、日本語教育のような特殊な業界では、職務経歴書に書く内容まで指定されていることが多く、自分が何をしてきたのか、得意とすることは何かということについて十分に書かせてもらえません。(各教育機関が求める能力やスキルが固定化されており、特定の教授歴の方が重視されるからかもしれません)

このような履歴書をもとに面接をすると、たいてい「どうして日本語教師になったんですか」という20年も前の、もはや記憶が曖昧になっている部分からやりとりが始まります。「それは別の機会に、お酒でも飲みながらゆっくり話しませんか」と言いたくなってしまうこともあります。そして、やりとりの中心は、今の私にとって関心の薄い過去の教授歴についてで、個人開業までして取り組んでいる現在の私の関心事にフォーカスされることはないまま、面接は終了します。

これは、日本語教育業界に限られることかもしれません。今取り組んでいることよりも、過去の教授歴の方が重宝されるところに、変化の乏しい業界の実情が反映されているように思います。

とはいえ、日本式履歴書のいいところもあります。それは、新しい情報を追加・更新すれば、すぐに完成するところです。

逆に言えば、自分がどんなに進化しても、履歴書にその進化は反映されません。「今できること」よりも、自分の出自や経歴の正統性を証明しているような感覚です。

英文履歴書

英文履歴書の場合、日本と大きく違うのは、決まったフォーマットがないということです。また、職務経歴書を別に用意することもなく、履歴書と職務経歴書両方を合わせて、一つの文書にまとめます。どんな人物かがパッと分かるよう、読み手を意識しながら簡潔に書くということも重要です。そこで、提出先の要望も考慮して、以下のような順番、内容でA4、2ページに収まるように作成しました。

  1. PERSONAL DATA(氏名と連絡先)

  2. SUMMARY(要約)

  3. CAREER HISTORY(職歴)

  4. EDUCATION(学歴)

  5. QUALIFICATIONS(資格)

  6. ACADEMIC MEMBERSHIPS(所属学会)

以下、どんな内容を書いたのかを簡単に説明します。

PERSONAL DATA(氏名と連絡先)

まず、個人情報ですが、和文様式のように、顔写真や生年月日、性別は記載しません。今まで、どこに記載すればいいのかわからなかった「修士号」もここに記載することにしました。よく考えてみると、PERSONAL DATAに記載された内容は、私個人に紐づいている情報のみで、「外見」や「年齢」「女である」などの読み手が持つ固有の認識に評価が委ねられるような情報はありません。

CAREER HISTORY(職歴)

職歴は、最新のものから順番に書いていきます。そして、今の仕事に関係ない過去の職歴は省略します。和文履歴書の1ページ目に書かれている内容は、ほぼカットです。おかげで、個人事業主として行っている現在の仕事を中心に説明することができました。直近の仕事で、実際に自分がやったことを羅列しただけでも、「すごいことやってきたなあ」と、自分でも誇らしい気分になりました。

英文履歴書では、全てを箇条書きにし、要点だけを簡潔に記したほうがいいようです。この辺は、ChatGPTに、「履歴書で使用する文章である」ことを前提に、条件を加えながら、英文を生成してもらいました。

EDUCATION(学歴)

学歴も学位のあるものだけを記載しました。和文履歴書1ページ目のいちばん目につく部分はカットされます。

そして、普段、あまりアカデミックな活動はしていないのですが、今回は「学習プログラム開発」に関わる仕事だったので、一応、箔をつけるために所属学会も書いておきました。

QUALIFICATIONS(資格)

ここも、関係のあるものだけにしました。「普通自動車第一種免許」とか、カットです。

SUMMARY(要約)

最後に、SUMMARYを作成しました。今回の英文履歴書作成のプロセスで、いちばん感動したところです。英文作成は、まるっとChatGPTにお任せしました。職歴に書いた内容から、固有名詞をカットしたものをコピペ。「ポイントを三つに絞って、SUMMARYを書いて」と頼んだら、あっという間に生成してくれました。

どこにも嘘はなく、事実を端的にまとめてくれたのですが、優秀な別人物の履歴を読んでいるみたいでドキドキしました。

そもそも私は、自己肯定感が低く、自分のことをポンコツ極まりない人間だと思っているので、自己アピールが苦手です。ChatGPTは、謙遜も忖度もなく、感情も評価もなく、事実だけをサラッとまとめてくれました。これまで全く自覚はなかったのですが、「そう言われれば、確かにそうだ」と納得できる内容で、多少手直しは必要でしたが、ほぼ丸ごと採用しました。

というわけで、作成に相当時間がかかるなあと思っていた作業が、半日くらいでできてしまいました。これまで使用していた和文履歴書や職務経歴書とは、別人物かと思えるくらい、別物の履歴書ができあがりました。

履歴書作成のプロセスを通して感じたこと

改めて、和文履歴書と英文履歴書の作成プロセスを通して、感じたことをまとめてみます。

日本様式の履歴書って必要?

まず、和文履歴書と英文履歴書に書かれた内容を比較してみると、和文履歴書のフォーマットに則って書かれた内容は、今の私とって、3分の2くらいは必要のない情報でした。もちろん、私が歩んできた人生なので、無駄な経験はありません。全てが今の私につながっており、自分の血肉になっています。

しかし、紙面は限られています。伝えたい部分を厳選して伝えることも重要です。これは読み手にとっても必要なことで、限られた時間の中、全てをじっくりと読んで公正に評価するのは、かなり骨の折れる作業ではないかと思います。どういう経験やスキルを持った人物を募集しているのか、はっきりと記されている場合はいいのですが、そうでない場合、相手の判断基準は、応募者からは見えません。応募者側が、応募書類のどの部分に注目して欲しいのかを指定することもできません。

進化のスピードが速い現在では、必要に応じて自分の経験やスキルを見直し、アンラーンしたり、リスキリングすることも求められます。しかし、過去の経歴からは、アンラーンの実態は読み取れません。不本意にも、アンラーン前の情報が現状として伝わる可能性もあります。職務経歴書に詳しく書いたとしても、読み手は、履歴書に書いてある内容を重視するかもしれません。

こう考えると、日本様式の履歴書って、何のために提出しているのだろうという疑問が芽生えました。空白期間があったり、転職したり、中退したり、学び直したり… 人の人生は、そんなにきれいに時系列に並べられません。何十年も前に決められたフォーマットに沿って、きっちり書けないことがマイナス評価につながるのであれば、それは、自己PRではなく、その人のキャリアの足枷になるものです。

多様な人材が、自分の得意なことや好きなことに集中し、思う存分能力を発揮できるようにするのであれば、職務経歴書だけで十分だと思うのです。

ChatGPTの可能性

もう一つ、ChatGPTの可能性について書きたいと思います。今回の英文履歴書作成にあたり、ChatGPTを多用しました。これが1年前だったら、もっと時間がかかっただろうと思いますし、クオリティももっと低かったのではないかと思います。

業績の翻訳だけだったら、DeepLを使って何とかなったと思いますが、SUMMARYは、こんなに的確に書けなかっただろうと思います。ChatGPTには、業績の単なる翻訳ではなく、まとめ方も提案してもらいました。「あー、そうやってまとめればいいのか」と納得しながらの作成でした。(やりとりの様子をお見せできるといいのですが、個人情報が多すぎるので割愛します)

そして、先に書いたように、謙遜も忖度も特別な感情もなく、事実だけを拾ってまとめてくれます。その人物の持つ力や経験を、とてもフラットに評価してくれた感覚です。

もし、自己PRがうまく書けないという人がいたら、一度、試してみてほしいです。自分のやってきた実績やこれは頑張ったなあと思うことを書き出し、ChatGPTに、SUMMARYを作ってとお願いすれば、きっといい感じの自己PR文ができあがるのではないかと想像しています。

生成系AIの出現は、教育や語学の分野では、脅威としてマイナスにとらえる意見もあります。しかし、これまでの私だったら、英文履歴書を自力で作ることを諦めていたと思いますし、自分の実績をこれほど上手にまとめることはできなかったと思います。履歴書作成だけでなく、海外とのやりとりもかなり楽になりました。こうなると、ChatGPTやDeepLなどのツールを使えるのと使えないのとでは、その人の可能性に大きな差が出てきます。

正直私自身も、これほどAIにエンパワーメントされるとは想像もしていませんでした。これらのツールを積極的に使うことによって、その人個人の可能性が広がるのであれば、躊躇せずどんどん使ったほうがいいと、私は思っています。


ということで、今回は、履歴書作成のプロセスを通して、考えたことを書きました。決められたフォーマットやこれまでの慣習に則って、自分の経歴を説明している限り、その人の可能性は、その規定に縛られてしまいます。

それよりも、フォーマットは気にせず、固定観念からも解放され、自分の伝えたいことを自由に書いたほうが、その人の本当の実力や個性が見えてくるのではないかと思いました。今回の私のように、同じ人物でありがなら、全く別の経歴が浮かび上がってくることもあり得ます。そして、AIをうまく利用することによって、人間の可能性を解放することができるのではとも感じています。

今回も、最後までお読みいただき、ありがとうございました!

共感していただけてうれしいです。未来の言語教育のために、何ができるかを考え、行動していきたいと思います。ありがとうございます!