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PBLのゴール設定 【「Most Likely to Succeed」を観て考えたこと】

前回は、教育ドキュメンタリー映画「Most Likely to Succeed」を観て、PBLにおける教師の役割について考えてみました。

前回からちょっと時間が空いてしまいましたが、今回は少し視点を変えて、PBLのゴール設定について考えてみたいと思います。前回のnoteでは、PBLでは、「ソフトスキル」を学ぶことが目的ではないかということを書きました。しかし、これは、「学び」の目的であって、プロジェクト自体のゴールはもっと明確に設定するべきではないかと思うようになりました。

そこで、今回は、PBLにおけるプロジェクトのゴール設定という点に注目して、PBLについて考えてみたいと思います。

と、このnoteを書きかけた状態で、Learn by Creationが主催した下記のイベントに参加しました。

「High Tech High」 で、実際に教師をされているJohn Santosさんに直接お話を聞ける、とても貴重な機会でした。話をお聞きしながら、この「ゴール設定」という点が、かなりクリアになったので、このイベントで確認できたことも踏まえて、PBLのゴールについて考えてみたいと思います。(このイベントを終えてから書き上げるまで、だいぶ時間が経ってしまいましたが…)

プロジェクトにおけるゴールの位置づけ

「Most Likely to Succeed」では、アメリカのチャータースクール「High Tech High」を舞台に、そこで行われているPBLを描いています。描かれているのは、2つのプロジェクトでした。一つは、オリジナルの劇を創作するというもので、もう一つは、歯車を使ったアート作品を完成させるというものです。どちらのプロジェクトにも、文系・理系の教科横断の学びもプロジェクトに組み込まれています。

「High Tech High」では、学期末に展示会を行い、非常に美しい作品を地域の人に公開しています。映像を見ると、学校全体が展示会場になっており、保護者を中心に多くの人が訪れ、生徒が手掛けた作品を見ることができます。

私は、最初に映画を見たとき、この展示会は、普段の学びの成果を発表する場という程度の認識で、プロジェクトに緊張感を持たせるくらいの位置づけと捉えていました。

しかし、前回のnoteで紹介した『「探究」する学びをつくるー社会とつながるプロジェクト型学習』(以下、『探究する学び』)を読み、また、今回のイベントでJohn Santosさんの話を聞き、この展示会が、実は、PBLにおいてなくてはならないものであることがわかりました。

これまでの「発表会」のイメージというと、関係者を招待して、そこでプレゼンをしたり、フィードバックをもらったりした後、その発表を通して得られた成果は、なんとなくうやむやになってしまうことが多かったように思います。発表すること自体が目的化してしまい、発表して終わりとなってしまったこともありました。

しかし、この「発表会」のような、成果を公表する場の設定には、もっと慎重になるべきだったと改めて思っています。発表の場をどのように設定し、設計するかが、「学び」に大きな影響を与えているのではないかと再認識しました。

以下、この点について詳しく考えてみたいと思います。

「High Tech High」におけるPBLのゴール設定

「High Tech High」では、プロジェクトをどのように設計しているのでしょうか。まず、プロジェクト全体を見てみたいと思います。

『探究する学び』には、プロジェクトにおける大切な9つの要素が紹介されていました。

1. プロジェクトの開始
2. 本質的な問い
3. アイディア出し
4. 批評
5. 学習スキル・知識・学習態度
6. プロトタイプと修正
7. 発表会
8. 評価
9. 振り返り

これらの要素を見ると、プロジェクトといっても、教師が決めたテーマに沿って、チームで作業をするだけでなく、非常に綿密にプロジェクトが練られていることがわかります。

そして、これらの要素を満たすように、担当教師が中心となって、プロジェクトを設計していくようです。(この項目だけでは、具体的に何をするのかわかりにくいと思うので、興味のある方はぜひ著書をお読みいただきたいです)

改めて、この要素を取り上げてみると、プロジェクトを絶えず批判的に検討しているかがわかります。「批評」も「修正」も「評価」も「振り返り」も、すべて、批判的に振り返りをすることが前提となっています。(「9. 振り返り」という要素との混同を避けるため、以下、批判的に振り返りをすることを「リフレクション」と表現します)「本質的な問い」や「アイディア出し」も、何回も練られることが前提となっており、これにも、「リフレクション」が大きく関係します。

ということは、PBLとは、言ってみれば、リフレクションの積み重ねだと言うこともできるのではないかと思います。このように絶えず、リフレクションを繰り返していると、プロジェクトを進める中で、思いもよらなかった展開になることも想像できます。

これは、わたしも経験があるのですが、リフレクションを重ねるうちに「問い」が揺らいで来てしまったり(おそらく本質的な問いが設定されていなかったのでしょう)、リフレクションによって同じようなところをぐるぐると回り続け、その先に進めなくなってしまったり、「プロトタイプと修正」ループから抜け出せなくなってしまったりと、プロジェクトの沼にハマってしまうことがよくあります。

そのときに必要なのが、明確な「ゴール」ではないかと思いました。しかも、かなりはっきりとイメージされたものです。PBLでは、ゴールよりそこにたどり着くまでに何を学ぶのかというプロセスが重視されるのは理解できます。しかし、どこに向かっているのかわからないまま、プロジェクトを進めてしまうと、プロジェクト自体が頓挫してしまったり、終わりがうやむやになってしまったりするということを、わたし自身も経験しています。

「High Tech High」では、「展覧会」はなくてはならないもので、まず、「展覧会」のイメージから作っていくことが多いようです。最終的にどのようなアウトプットをするのかというところから逆算して、プロジェクトを計画していくと、「High Tech High」のJohn Santosさんもおっしゃっていました。

改めて、自分が行ってきたPBLを振り返ったとき、このゴール設定がかなり曖昧だったなーと、今更ですが、反省しています。

「美しい作品」を創作するということ

「Most Likely to Succeed」を見ていて気がつくことは、「High Tech High」の校内の映像が非常に美しいということです。特に、展示会の映像は、何か、美術館の中を撮っているようでもあります。生徒が作る作品も芸術的なクオリティの高い作品が紹介されています。

これも、私はなんとなく見ていたのですが、この「美しい作品」は、「High Tech High」の重要なポリシーの一つであることが、『探究する学び』を読んでわかりました。

これには、「High Tech High」の校長であるラリー・ローゼンストックさんの意向が強く現れているようです。ラリーさんは、教育に関わりながらも、15年間、家具づくりもしており、自分のアイデンティティは大工であり、ものづくりをするアーティストであると考えているそうです。

そして、サンディエゴに高校を作るという話が出たとき、「ものづくりをテーマとした、エンジニア・技術者・つくり手を輩出するような高校」にしたいと考えたようです。このような「ものづくり」に対する考え方が、この「High Tech High」には、色濃く反映されています。

『探究する学び』では、以下のように説明しています。

ハイ・テック・ハイの生徒たちは、数々のプロジェクトに取り組むなかで、「自分のすることを誇りに思い、自身や他人を尊重し、力強く正確で美しい学習活動をするクラフトマン(職人)」であることを自身のアイデンティティとするように育てられていく。 (Kindle の位置No.1122-1124)

生徒たちには、ただ単に課題をこなすだけでなく、「独創的で美しい作品を作り上げること」が求められます。これは、「美しい作品を作ってください」と教師が言うだけでは到底できることではありません。プロジェクトを通して、「自分は美しいものを生み出すことができるクラフトマンなのだ」という誇りのような、自分自身への価値感のようなものが育っていくのではないかと想像しました。

また、『探究する学び』には、次のような記述もありました。

プロジェクトに最高のクオリティと美しさを求める過程で、「できなかったこと」が「できるようになる」ための努力を惜しまない力(Grit)や、アウトプットの不十分なところ、改善可能な部分については、自分一人で対処するのではなく、他者を思いやり、良好な人間関係を保ちながら、お互いに適切に指摘し、質を高め合っていく「態度」を培っていく。 (Kindle の位置No.1157-1160)

「最高のクオリティと美しさ」を求めることは、他者との協働が不可欠なのだと考えられているようです。実際のプロジェクトでは、どうしても締め切りに追われ、効率性や手取り早い成果を求めてしまいがちです。しかし、効率や成果でなく、「美しさ」を求めることによって「お互いに適切に指摘し、質を高め合っていく「態度」を培っていく」という指摘は、非常に示唆的で、考えさせられました。

よく考えてみれば、チームで作業をする際、うまく行かなくなる要因の一つとして、締め切りに間に合わせるために、クオリティよりも手際の良さや効率性を求めてしまったり、見栄えをよくすることが先行してしまったり、ということが関係しているように思いました。うまくできない人を非難したり、チームでやるより自分一人でやったほうが早いと協働作業を嫌がったりするということが生じてしまうのです。「探究する学び」の「探究」には、美しさやクオリティへの「探究」も含まれていると感じました。

私自身、クオリティよりも効率性や締め切りを重視するようなところがあったのではないかと、この部分は、非常に痛い気づきでした。

言語教育におけるPBLのゴール設定

このように考えると、私が日本語学校で行っていたPBLは、かなりゴールの部分が曖昧だったと思います。特に、開校当時は、このような取り組みをしている学校がなかったため、何をやるにも手探りで、プロジェクトの進行を見ながら、急遽、発表会を設定するということもしました。締め切りを設けて、プロジェクトに緊張感を持たせるという効果を期待していた部分もあります。

また、最終的にどのレベルのものを製作しようとしているのかも、私自身がアプリ開発の実際をよく知らなかったということもあって、かなり曖昧な提示の仕方をしていたと思います。もしかしたら、途中でゴール設定を変えるということをしていたかもしれません。

何回もプロジェクトを重ねるうちに、徐々に改善されていったと信じたいですが、この点について振り返ると反省すべき点がたくさんあります。あの無茶振りによく学生たちは対応していたなーと、申し訳なくさえ思っています。(ごめんなさい)

一方で、言語教育という文脈では、学校教育における学習指導要領はありませんし、特に、教科として学ぶべきことが決められているわけでもありません。ということは、この「ゴール」は、かなり自由に設定することができます。また、言語を扱う教育だからこそ、創造性やクオリティ、美しさを求めることは、とても自然なゴールとなるのではないかと思います。

そこで、前回も書きましたが、担当する教師が、どのような「問い」をプロジェクトに設定するのかが非常に重要になるのではないかと思いました。

言語教育におけるプロジェクト活動というと、プロジェクトを通して、「問い」を追求しつつ、何かひとつの作品を創ることより、「接触場面」と言われるような言語を使う機会や場を提供することが目的とされることが多いように思います。

しかし、プロジェクトを通して、チームで何かひとつの作品を作るとき、そのプロセスでは、非常に密度の濃いやりとりが行われています。この密度の濃いやりとりの機会をうまく捉えて、言語教育として位置付けることをもっと考えてもいいのではないかと思っています。

先のイベントで、Santosさんは、PBLを行うとき「教師は、知の専門家からプロセスの専門家へとシフトしなければならない」とおっしゃっていました。

これは、日本語教師にも言えることで、PBLでは、日本語の知識を与えることよりも、プロセスの専門家になることが求められるのだと思います。しかし、ここが非常に難しいところで、私もまだうまく言語化できていないのですが、「この場面ではこのような表現を使いましょう」と、先回りして、言語知識を提示することでは決してありません。創造的な美しい作品を創ろうというゴールを設定した場合、決まった表現を押し付けることは、かえって創造性を阻害してしまうことになると思います。

今の時点で考えられるのは、やはり、密度の濃い「ことば」のやりとりが生まれるようなプロセスを設計することしかできないのではないかと思います。そして、それが、これからの日本語教師の専門性に必要なのではないかとも思っています。

最後は、少し抽象的になってしまいましたが、PBLにおけるゴール設定から、言語教育におけるPBLのゴール設定について考えてみました。


「Most Likely to Succeed」や『探究する学び』は、何度も観たり、読んだりしているのですが、それでも、その度に新しい気づきがあります。そして、知れば知るほど、PBLで行われている活動を断片的に捉えて、分かったように気持ちになってしまうのは、とても危険だと思うようになりました。やはり、どのような理念がプロジェクトの枠組みとして設計されているのか、全体を見るということが必要だと感じています。

そういう意味で、ここに書いていることは、「High Tech High」におけるPBLのほんの一部だということを付け加えておきたいと思います。(実際「High Tech High」でいちばん大切にされている理念の部分については、全く触れていません。しつこいですが、ここは『探究する学び』をご覧いただきたいと思います)

今回も最後までお読みいただきありがとうございました!

共感していただけてうれしいです。未来の言語教育のために、何ができるかを考え、行動していきたいと思います。ありがとうございます!