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しあわせな言葉えらび

みなさんは好きな言葉ってありますか?
僕が昔からずっと好きな言葉は、ありきたりかもしれませんが
「ありがとう」
です。いつかは「ありがとう」をテーマにした絵本も書きたいなぁと思っております。

この言葉は相手がいてこその言葉ですが、「ありがとう」が生まれる時って、年齢や出身や場所に関係なく、言う側も言われる側もお互いに
「良かった!」
という気持ちになっていると思うのです。

それってとても素晴らしいこと。

でも最近それを使う人が少なくなっているような…というか使わない人が増えているような…


すこし前になるのですが、家族で買い物に出かけたときのことです。

用事を済ませて駐車場へ戻るため、デパートのA棟からB棟へ移動する連絡橋へ出てみると、来た時には降っていなかった雨がぽつりぽつりとこぼれていました。
L字になった橋を足早にすすむと、B棟の入り口で女の子が泣いています。
雨に打たれながらひとりでいるその子の年齢は、小学校に入ってるかな?ぐらい。
「おとうさんか、おかあさんは?」
たずねると、その子は首を横にふります。
「おなまえは?」の質問に答えてはくれたのですが、とぎれとぎれの小さな声で聴きとれません。
「お店の人にマイクで呼んでもらうかい?」
と聞くと、肩を上下させながらうなづいてくれたので、抱き上げてサービスカウンターまで連れて行くことに。

係りの人に事情を説明し、アナウンスをしてもらいました。
これで一安心。あとはおまかせしても良かったのですが、なんとなく迎えがくるまで一緒に待ちます。
すると5分もしない間にご両親と兄弟が到着しました。
家族を見た女の子は、泣きながら歩いていきます。
軽く会釈を交わしたあと、そのご両親は女の子に
「ほら、連れてきてくれた人にごめんなさいは?」
と言ったのです。

僕は耳を疑いました。

「早くごめんなさいを言いなさい」
両親にもう一度言われ、
「ごめんなさい…」
と言った女の子の顔は悲しそうでした。

なぜ「ありがとうは?」って言わないんだろう…

女の子は全然悪いことをしてません。
迷子になったいきさつは分からないので、もしかすると家族に謝る必要はあるかもしれない。
でも僕に謝る必要なんか全くないのに、「ごめんなさい」をいうのはつらかったと思います。
そのあと、ご両親も
「すいませんでした」
とだけ言って、去っていきました。

「ありがとう」を求めてたわけではなかったのですが、謝ってもらったことで複雑な気持ちになりました。
僕としては笑顔で「よかったね!」と言いたかったのに…

誰かになにかをしてもらったときに、
「すいません」
と言ってしまうのはもったいないと思います。

けして頭を下げるのがもったいないとか、謝るのがもったいないということではなく、「ありがとう」を言える機会に言わないことがもったいないと思うのです。

その理由はふたつあって、まずひとつめは「ありがとう」の語源である
「盲亀浮木のたとえ」
という仏教の教えを読んでもらえばわかるのではないでしょうか。


釈迦が、阿難(あなん)という弟子に、
「そなたは人間に生まれたことをどのように思っているか」
と尋ねた。
「大変、喜んでおります」
と阿難が答えると、釈迦は、次のような話をしている。
「果てしなく広がる海の底に、目の見えない亀がいる。
その盲亀が、百年に一度、海面に顔を出すのだ。
広い海には、一本の丸太ん棒が浮いている。
丸太ん棒の真ん中には小さな穴がある。
その丸太ん棒は、風のまにまに、西へ東へ、南へ北へと漂っているのだ。
阿難よ。百年に一度、浮かび上がるこの亀が、浮かび上がった拍子に、丸太ん棒の穴に、ひょいと頭を入れることがあると思うか」
阿難は驚いて、
「お釈迦さま、そんなことは、とても考えられません」。
「絶対にないと言い切れるか」
「何億年掛ける何億年、何兆年掛ける何兆年の間には、ひょっと頭を入れることがあるかもしれませんが、無いと言ってもよいくらい難しいことです」
「ところが阿難よ、私たちが人間に生まれることは、この亀が、丸太ん棒の穴に首を入れることが有るよりも、難しいことなんだ。有り難いことなんだよ」
と、釈迦は教えている。
「有り難い」とは「有ることが難しい」ということで、めったにないことをいいます。
人間に生まれることは、それほど難しいことなのです。
仏教では、人間に生まれてきたことは大変、喜ぶべきことであると教えられています。
「他人から何かしてもらうことは、めったにないことなんだよ、有り難いことなんだよ」というところから「有り難い」、それがくずれて「有り難う(ありがとう)」となりました。





これを読んで「有り難い」ことをしてもらったときは、「申し訳ございません」よりもやっぱり「感謝の言葉」の方がふさわしい気がしました。

もうひとつの理由は、表情です。

なにかをしてもらったときに、どの言葉を使うかによってその人の表情が変わります。
僕がよく思うのは、エレベーターでの場面。

先に乗っている人が、乗り込んできた人のために「開」のボタンを押してくれたり、階数をたずねてボタンを押してくれることがあると思うのですが、そのときに「すいません」と言う人は、申し訳なさそうな顔をしています。
それに対して「ありがとう」と言う人は、たずねてもらった時から笑顔です。
たまに「すいません。ありがとうございます」という人もいますが、そういう人は「すいません」と言ってる時点で表情は笑顔になっています。
そのときボタンを押してくれた人は、押してもらった人と同じ表情をしているはずです。

こういう場面が一日のうちにどれくらいあるかわかりませんが、選ぶ言葉で笑顔を消してしまっているとしたら、こんなにもったいないことはない。

それなのに「すいません」が先に出てくる人が多くて、そういう人が子供に感謝より謝罪を優先させてしまう。
だからまた笑顔のチャンスが減ってしまう。

あのデパートでのことも、ご両親が「ありがとう」を言ってくれて、子供にも「ありがとうは?」っていう質問をしてくれていれば、女の子の笑顔をみれただろうし、僕も本気の笑顔で「よかったね!」と言ってハイタッチのひとつでも出来たかもしれません。

だから「すいません」をやめませんか?

もちろん迷惑をかけたときは「すいません」ですが、感謝のときの「すいません」をやめて「ありがとう」を言うって決める。
そんな日をつくれば、笑顔が増える日になるかもしれない。

会社で。家族で。親子で。夫婦で。友人で。ご近所で。出先で。それがどんどん広がれば世界中に笑顔が増えるはずです!

それがもっと広がって、人からなにかしてもらうことが「有り難い」ことではなくなって、ごく当たり前に「ありがとう」になったらいいな。。。




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