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核家族化の浸透と功罪~核家族は今後どこに向かうのか~

 核家族化が浸透し、親の高齢化と介護など様々な問題が生じています。同居すればその都度家に出向いての介護や家事の補助といった負担が減ると分かりつつも、親との同居は考えないという家庭が多いのではないでしょうか。それぐらい「核家族」というものが浸透し、一般化されてきているのが現状です。

 では、どうして核家族化が進んだのでしょうか?メリットはたくさんあるかもしれません。両親(義父、義母)と生活をともするのは精神的な負担が大きいであるとか、単に自分の時間・空間を確保したいなどが考えられるでしょうか。しかし、そもそも核家族のイメージが「良いもの」として認知され、広く受け入れられるようになったのは何がきっかけだったのでしょうか?

 少し歴史を振り返ってみます。戦後、日本は急激なスピードで復興を遂げました。そして先進国に追いつき追い越せと1960年代から「高度経済成長」と言われるような大きな飛躍を遂げてきたわけです。二次産業が拡大し、三次産業も新たな成長分野として日本人の生活水準を押し上げたのです。各種家電が当たり前のように使われ、自動車も普及しました。まさに現代日本の礎がこの時代にあるのです。

 経済成長までの流れを大きくとらえるとどうなるのか。このような感じかと思います。

「自立したい → 先進国に追いつき追い越したい → 経済を成長させたい → 二次・三次産業の成長と拡大ささたい」

 では、この流れの中で「核家族化」はどのようにリンクしてくるのでしょうか?みなさんはご存じですか?もしくは考えたことはおありでしたか?

 あまりにも規模の大きな話なので定かではありませんが、次のような考え方があるとされています。

「自立したい → 先進国に追いつき追い越したい → 経済を成長させたい → 二次・三次産業を拡大させたい → 消費者世帯を増やせばよい

 そう、つまりは消費者を増やすにはこれまであった大きな集団(家族)を分解して中・小集団を再構築(核家族化)し、増えた集団数だけ消費財を生産したらよいわけです。

 国土も小さい、資源も人口も多くない日本ならではの発想です。このような方法は国家レベルで核家族を「理想的な家族」のイメージとして植え付ける必要がありました。そして実際にやってのけたのです。核家族化は経済成長の1つの手段だったということになります。良し悪しはさておき、ある意味官僚に求められるのはこのような視野、思考なのかもしれません。

 実はこの発想、マーケティングでも必要なものだと感じています。どういうことかというと、一般的には販促をするときには消費者の動向を踏まえて戦略を練ります。「昨年末は○○が良く売れたので・・・」といった過去ベースでの分析です。ところが今回紹介した核家族化は全く逆の発想です。超人気モデルに「ぶっとんだイメージの、普通に売ったら誰も買わない商品」を身に着けてもらうような感じでしょうか。そうすると不思議なことに世の中は「あのモデルがもっているから・・・」と購入希望者が殺到するということです。

 では本題に戻ります。結局、核家族の浸透した今大切なことは何なのでしょうか。それは核家族化によって生じた問題にどう対処するかをあらかじめ考えておくことです。

 親の介護をどうするのか?

 小さいコミュニティの中でコミュニケーションが破綻したら子供はどうなるか?

コミュニケーションが破綻したときにできることは何なのか?

 これらをいい加減に考えていると、人はSNSに人とのつながりを求めたり、人とつながることを拒絶する(引きこもる)ようになるのだと思います。

 「経済成長の代償」は教育や環境といったものだけでなく、家庭ひいては人のコミュニケーションといったところにも出ていると言えます。我々は小さくなりすぎたコミュニティをこれから再び築いていくにはどのような方法があるのでしょうか。放っておくと取り返しがつかないことになるかもしれません。だからこそ細分化されてしまったコミュニティをどのような形であれば再構築できるのか考えてみてほしいと思います。

「経済成長の代償」は教育や環境だけにとどまりません。家庭やコミュニケーションの場といった部分にも及んでいます。我々は小さくなりすぎたコミュニティの再構築していかなければなりません。そこには自ら繋がりを作ろうとする姿勢や実際につながり作っていける行動力が必要です。

 やはりコミュニケーション能力のある人こそが求められているのです。ビジネスだけでなく社会全体で養っていく必要がある力といえそうです。

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