課題の見つけかた~ep0~

課題解決能力が問われるようになってから久しい。

その間、公教育では「総合的な学習」や「プログラミングの導入」などが進められてきた。ところが、教科や科目に関係なく、「課題をもつこと」自体がいかに難しいかを痛感させられてきた。

そのように感じる要因はいたってシンプルである。普段の生活の中で「特に考えていない」からだ。これは「疑問を持たずに生活している」と言い換えてよいだろう。

例えば、通勤中に様々な花を見かけたとしよう。色とりどりの花を見て、ふと考える。

「どうしてこの花は赤で、あの花は黄色なのか。」

こんなことを考えている人は多くないだろうが、この当たり前を追究する態度は大切なものだ。素朴な疑問は自身の知識不足を痛感し、学ぶ意欲を駆り立てる。そして学び続け、段階的に知識を得ることに楽しみを見出すことができる。

このことは「自分自身の生活を見直す力」にも直結する。今の生活に対して不満を持たない人は、何の行動も起こす必要がない。結果、自分自身に行動の変化をもたらすこともなく、何らこれまでと変わらない行動をとり続ける。それを自身が求めるのならばそれでよいのかもしれないが、少なくとも公教育が目指すものではないはずだ。

「課題」にも様々な着眼点がある。「自分に対して人から与えられたもの」や「自分に対して自ら課したもの」、「好奇心から自分が知りたいこと」「社会にとって必要だから改善したいもの」などだ。

この中で多いのが「自分に対して人から与えられたもの」。つまり「宿題・仕事」だ。

公教育に必要なのはそれ以外の、「もっと知りたい」「もっと学びたい」「自分を変えたい」という、いわゆる向上心ともいえる課題意識だ。ではこれを担保するにはどのような方法が考えられるのか。

この点について「トヨタ自動車の思考法」と「社会科教育の課題解決」を範として考えてみる。(続)

#社会科教育 #トヨタ自動車の思考法 #課題解決  

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