見出し画像

文化とは技術と創造の産物だ!

歴史教育は知識獲得に偏重していると言われて数十年。ひたすら人名を、国名・地名を、政策・法令名を頭に叩き込み続けた人も多いはず。特に文化に関しては文化史として著書や作品名を学ぶだけで済まされていたのではないでしょうか?

ではどうして文化を学ぶ必要があるのか。それを考えるべく、文化体験として藍染を体験することにしました。

結論、「”文化”は連続した技術革新の産物」であり「知っているだけでは全く役に立たない」!ということ。

当たり前のことと思っている人も、今一度文化形成のプロセスを再確認していただきたい。

まず染め物は布に色を付けていく作業だと思っている人が多数だと思います。

しかしながら、よく考えてみて欲しい。どうやって人は色を獲得したのか。染色にはどんな素材が適しているのか。多様で高度な染色技術をどうやって体得していったのか。そこには必ず試行錯誤や偶然があったはず。

素材だけみても不思議なことは多い。

使ったものは「インド藍」「炭酸カリウム」「ハイドロファルサイト」、あとは水と柄をつけるための紐。

どうして「インド藍」なのか?「ハイドロファルサイトって何?」など突っ込みどころは満載!

もちろん細かな話は質問責めにしてきて一定の理解は得られました。そしてその結果今我々が手にしているものの多くが「様々な手法を経て最も適したものを選択し続けていった結果としてたどり着いた境地」だということに改めて気づかされました。

1つの決断や新しいものの誕生には多くの失敗が前提にある。このことは「科学」の手法とまさに同じものです。

そしてこれを歴史と重ねて考えてみると、やはりこれも同じことが言えるわけです。そう、多くの失敗や犠牲の上に今我々はいるのだと。

教育現場ではあまり踏み込まれないが、「○○が起こった」とか「○○が殺された」という情報だけでは伝え切れないほどの”ドラマ”が存在します。

例えば、歴史上の出来事の多くは「革新派」と「保守派」が存在し、対立してきたということが言えます。「貴族と武士」「朝廷と幕府」「開国と攘夷」「廃仏派と崇仏派」「資本家と労働者」「奴隷制の肯定派と否定派」など挙げればキリがない。

これら多くの”ドラマ”の中の1つでもいい。課題として追究してみるとどうだろうか。革新性が生まれることの意義やそれとともに命を落とした人が多くいるということ。人の欲深さや集団心理、歴史の連続性といったところが浮き彫りになるのではないかと思っている。

体験するだけでは意味はありません。「あー、楽しかった」でおわてしまうから。

そうではなく、文化的体験を「これからどうなるのか」「もっと改善する術はないだろうか」と考えていく材料として学んでいくと、それは「創造する」ということに繋がるはず。これこそ「これから求められる学力」なのではないでしょうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?