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英語+α

英語はもう、目的でも最終到達点でもなくなりました。英語は情報を得る道具、伝える道具。英語ができたらそれで終了!の時代が変化していくのが嬉しいです。

今日はドキュメンタリー映画を観てきました。
『燃えるドレスを紡いで』

世界中で作られた服の75%は廃棄されているそうです。75%です!
衝撃の事実でした。
パリで活躍する世界的デザイナー中里さんの目を通して、私たちの着ている洋服たちが、世界でどう終わりを迎えるのかを知ることになるドキュメンタリーでした。

空は続いているし、海も続いている。
大気を共有しているし、海流も共有している。
日本だけで完結するものは、ほんのわずか。
他国とまったく関係なく国内自給で、食べて着て住んで、とは言えない現代です。

けれどなぜか、私たちは英語で世界のニュースは見ないし読まないし、英語の記事もSNSも難しすぎて近寄れない。誰かの翻訳や注釈入りの解説で、ほんの一部を知る。知ろうとしなければアクセスさえしない。

世界的になにかが起こっても、地球規模でなにかの現象に関わっていても、
英語が苦手というだけで情報鎖国を自分たちで創り出してしまう、そんな恐ろしさも、正直感じてしまうのです。英語ができなかったから知らなかった、わからなかった、で被るデメリットを思うのです。

わたしたちが英語を学ぶ理由として、世界をもっと知るため、というのは大きすぎる理由なのでしょうか? 地球に対する責任を担う国の一員として、情報を公平に得るための手段として英語を学ぶ、というのは仰々しいことなのでしょうか?

学校の成績や合格、入社や昇進のための英語を超えて、
ほんとうにしたいこと 成し遂げたいことをするのに英語が必要だっただけ、という若者が次々と世に出てきていると感じます。
英語自体がもう目的ではなく、英語の役割が進化しています。
喜ばしいことだと思っています。

宇宙船地球号の乗組員として 世界の中の自分として存在する。
そんな次世代が心置きなく力を発揮できるよう、応援できるオトナでいようと思っています。