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脱穀の次の日は 自然農が響く

昨日は 高砂にあるファーマーズキッチンイヌイットの田んぼ部で
脱穀作業のお手伝いに行きました。

1年目と2年目は、足踏み脱穀機や唐箕を使って脱穀作業をし、
時間はかかりましたが、実った稲にゆっくりと触れ、田んぼで語らい、楽しい作業でした。

今回3年目の脱穀は、少人数ながらも機械のおかげで かなりの短時間で終了しました。そこで気づいたことがありました。

効率よく機械で作業すると、静かな音が消され 会話がなくなるということ。
機械のディーゼルエンジンの音が爆音すぎて、鳥の声や、人の声、風の音も聞こえず、会話できる状態でなく、ただ黙々と作業をすることになったんです。

機械は作業をとても効率的にスムーズにしてくれる。
一方で同時につながりを断ち切っている側面もあるんだな...
状況により手作業と機械と使いわけるだけで 、良い悪いではない、を前提とした感想だけれども。

続く今日。
神戸元町のspaceわに(Socialわにえいごの会場です)で、
『川口由一の自然農というしあわせ with 辻信一』(ゆっくり堂)の上映会に参加してきました。大盛況でした。

川口由一さんのサイト
https://akameshizennoujuku.jimdofree.com/自然農について/

この映画の中で、
自然農は手作業、実はこの手作業の方が機械を使うよりも作業が早く、より効率的になる、と川口さんはおっしゃっていました。
昨日の体験が頭をよぎりましたよ笑

多様な生物の生と死の重なりが土となっていることから、川口さんは「亡骸の層」「豊穣の舞台」と名付けていらっしゃいました。
耕してしまうと、この「亡骸の層」「豊穣の舞台」を壊してしまうことになる。
だから耕さない。そして草や虫を敵にしない。
調和のとれた足下は豊かで、調和がめぐり、いのちの量が増える。収穫は減らない。
生きる営みは増やす営み。
それが いのちの世界 であると。

わかってからやっていたら、正しいことはできない。
正しいものは、正しいものに必ず出会う。
自分がなすべきことをやっている人は、寂しくない。
向こうからやってきてくれないから手に入れられない、というようでは、本当に求めていないのと同じ。本当に求めていたら必ず手に入る。

『川口由一の自然農というしあわせ with 辻信一』

映画の中で川口さんがおっしゃっていた、上記のような内容(一字一句正確ではありません)が、私には響きました。
幸いなことに、私は自分のなすべきことを見つけているから、だから、寂しくないんだあ〜 と川口さんの言葉を聞いて キラリ✨納得できました。

よき流れの二日間でした。