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「友達100人できるかな」から始まる自我の形成

試される大地、北海道。

僕の出身地です。

約十数年前、就職のため上京しました。

これと言った目標も志もなく
「早く実家を離れたい」の一心で行動していたように記憶しています。

何から何まで初めての経験、不安7割・期待3割といったところでしょうか。

突然ですが、僕は寂しがりやです。

上京したての一番の悩みは「近くに友達がいない」ことでした。
近くにですからね、そこ間違えないように)

毎日顔を合わせていた仲良し達は、みな地元で就職しました。

就職で上京した友人も数名いましたが、特殊な業種で激務に追われて会うどころではありませんでした。

実に困った。
夜が暇だ、土日が暇だ。

ちょうどそんな頃に流行っていたのがmixiです。

イベントやユーザー検索をしてみると、同じ趣味を持つ仲間がたくさんヒットするではありませんか。

当時の国内SNSシェアはmixi一強で、故にサービス分類としての「SNS」という単語はあまり一般的には使われていなかった記憶があります。

そんな黎明期ですから、「人」や「事」を探せるのはかなり衝撃的なサービスでした。

上述したとおり僕は寂しがりやなので、大いに活用しました。
いわゆる「友達100人できるかな(社会人編)」ですね。

手当たり次第にユーザーとコミュニケーションを取り、手当たり次第にイベントに参加しました。

音楽が好きだったので1人で色んなライブを見に行きました。
絵が好きだったので1人で色んなギャラリーを見に行きました。
ビジネスの話題が好きだったので1人で色んな異業種交流会に参加しました。

色んな人に声をかけました。
色んな人に声をかけられました。

誕生日パーティーに100人以上集まったこともあります(半分近くは知らない人でしたが)。

そんな手当たり次第に人と会うような日々を続けて1〜2年経った辺りでしょうか
上京してからの知り合いが数百人を超えた頃のことです。

ふと思ったのです。
「知り合いは増えたけど友達が増えていない」

まずは数を増やすことが目的だったので「初めまして!これからよろしくね!」というファーストコンタクトはお手の物になっていました。

が、関係性の継続について何も意識していませんでした。

なので『次』がない。
「また会おうよ」とならない。

次の課題は継続です。
一人ぼっちで天井を見上げながら考えました。
壁紙の模様が犬に見える箇所を見つめながら考えました。

どうすれば関係性を継続できるのか?
そもそも今までの知り合いと関係性を継続できなかったのはなぜか?

考えて考えてたどり着いた結論はとてもシンプルでした。

「相手を知らない」

相手を知らない・理解していないから、次のアプローチが打てない。
次がないから継続ができない。

では相手を知るにはどんな行動が必要か?
まずは話を合わせることが必要だ。

自己紹介で相手の趣味を聞いた後、その趣味について語っただろうか。
相手が興味を持っている分野について聞き出したあとで、その分野についてどんな会話をしただろうか。

やっていない。これだ。

友達を増やすにあたり、自分に足りていなかったものは何なのか。
答えがはっきりと見つかった気がしました。
次のチャレンジが決まりました。

相手の趣味や、興味ある分野の知識を伸ばそう。

西に登山趣味の人がいれば、次会うまでに山に登り
東にツーリング趣味の人がいれば、バイクを買い
北にパン屋がいれば、次会うまでにパン焼きを練習し
南に研究員がいれば、次会うまでに論文を読み

とにかく「人と会話を合わせる」ことに特化して色んなことにチャレンジしました。
ここだけ見れば「上っ面なぞっているだけで浅い」と思われるでしょう。

良いんです!(モノマネではありません)

相手と会話するためには、逆に浅い知識・経験の方が都合が良いことが多いのです。
「その分野について詳しく話が聞きたいです!」が使えるのです。

ここで気をつけないといけないのが、
「自分はその分野について知識あるよ」感を出さないこと
あくまで初心者であり、最近始めた・最近知ったばかりであることを匂わせるのがコツです。

自分の得意な分野の初心者に対して「こいつ浅いな」と距離を取る人はあまりいません(たまにいます)。

とにかく相手の話に合わせて、次に繋げていきました。

そのうち「相手に会ってから学ぶのでは遅い」と感じるようになり、普段からあらゆる分野について興味を持ち、調べたり体験するようになりました。

後はもう自走です。知識と知識が、経験と経験がつながっていき、勝手に知見が広がっていきます。

最近、戸田山和久 著「教養の書」という本を読みました。
今まで意識したことがなかったのですが、この連鎖する知識によって世の中のアレコレが楽しめる状態を教養と呼ぶみたいです。

思い返せば「前提知識があったからこそ、この人と楽しく会話できたんだな」という記憶がたくさんあります。

人に話を合わせるために始めた活動なのに、いつの間にかその活動で身につけた知識・経験が自分を形成する血肉になっていました。

こうやって出来上がっていったのが今の自分なのです。

そうですね、僕を一言で表すなら、

器用貧乏です。

長文書いておいてこんなオチかい。

それも含めて僕なんです。
以上、自己紹介でした。

よろしくね。

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